日本からドイツに飛び出して、感じたこと
こんばんは、mariです。
2016-2017年に大学院2年で、1年間ベルリン工科大学の建築学科に留学していました。向こうで書いていたものや帰国後のテキストが下書きに結構いるので(笑)、少しずつリリースしていきます。
ベルリンでの生活は本当に楽しく、今でもなおベルリンに戻りたいと思い、
実際に私はまたベルリンで暮らす準備をしています。
もちろん楽しいことばかりだったわけではなく、正直毎日悔しいと地団駄を踏んだり、泣いたり、つらいことばかりでした。
むしろ圧倒的に自分に足りないものを見せつけられて、それをなんとなく掴みかけたところで交換留学が終了したので、そのリベンジがしたいという思いが強いです。
なぜ楽しかったのか、海外に暮らしていることに酔っていたのか、ベルリンという都市に惹かれたのか、他の都市でも実現するのか、整理したくて文章を書いてみます。
日本にいるとき、大学の修士課程に上がるにつれて、年長者としてどんどん完璧にならなくてはという強迫観念があった。
上の学年のものは、どんなソフトでも使い熟せなきゃいけないし、設計も上手ではなくてはいけない、模型もパースも美しくなきゃいけない、図面も早く引かなきゃいけない。
でも合格レベルに達してなくても、修士課程では研究室に所属して実社会のプロジェクトを担当するので、とにかく毎日やることは降ってきて打ち合わせと締め切りがすごい勢いで押し寄せてくる。
どんどんこなさないといけない。
そうすると、その時点で自分が得意なことばかり担当することになる。戦える武器ばかりつかうことになる。また、「わたしそれできません。教えてください」という一言がどんどん言えなくなっていった。環境のせいだけじゃなくて、自分の見栄やプライドのせいでもある。
そして私はどんどん苦しくなった。何かができないことを怖いと思うようになった。(学生だから当たり前である。自分の傲慢さ、プライドの高さも原因の1つだと思う)
でも、私立の建築系大学で、入学当初から先生の講評を受けるために同期180人の中からいかに上位1割に入るかという超・競争社会だったので、「絶対に誰にも負けたくない」「いい作品をとってA+、1位をとりたい」と思いながら、大学に泊り込みながら同級生と切磋琢磨していた状況もあると思う。
留学して、言葉もよくわからない国に放り込まれて、私は赤ん坊に戻った。英語圏ではなく、ドイツ語圏に行ったことが大きかったと思う。
道行く人が何語を話してるかわからない(英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル以外の言語)、市役所に行っても言葉が通じない、インターネットの契約もままならない、常識的なふるまいがわからず知らず識らずのうちに失礼な態度をとってしまう。当たり前のことが全くできない。
でも、だからこそ毎日何かをできるようになる喜びがあったし、自分以外の人が自分よりも圧倒的に優れているということを素直に認めることができるようになったし、尊敬するようになった。何歳になっても自分はどんどん変わっていける、そう強く確信できるようになった。
また、ドイツ語・英語ともに敬語表現からは自由でだった。プロフェッサーともガンガン議論できた。プロフェッサーはとてもフランクな人で、敬語ではない、「Hallo」「Tschuuss(バイバイ)」という挨拶をする。
ドイツの大学には学年という概念はなく、ただ必要単位をとって卒業していくスタイル。学費が無料なせいか、途中で半年単位でインターンに行ったり、留学に行ったり、30歳まで学生の人も多い。一方で年下でめちゃめちゃ出来る人もいる。どちらにでも共通するのは、何歳になっても新しいことを学んでいるということだ。
自分の意見がどんな目上の人にもはっきり言えるのは、慣れてしまえば精神的に楽だった。なぜ自分がこう思ったのか、こう感じたのか、ということをしっかり伝えないと人間として認めてもらえない社会。
幸い、日本の大学では自分の意見を言えないなんてことはなかったけど、日本だと可愛い女の子でいるためにはニコニコして相手の話を聞いていないといけないし、聞き上手なほうがいいし、自分より目上の人に真っ向から反対意見を投げることはなかなか難しい。
ドイツにおけるコミュニケーションとは、相手の言ったことをレシーブすることではなく、まず相手のいうことを理解し、それに対して自分の考えたことを発言し、相手もそれにフィードバックして、議論する。会話は受けるものではなく、一緒に組み立てていかなければいけない。日本とは真逆だった。
大学で感じていたことは、そのまま社会でも適応すると思う。
年功序列社会では、新しい技術やテクノロジーは若い世代が獲得しているのに、それが使えなくても年長者が指示を出せる世界である。
そんな社会で歳を重ねると、自分が年長者になった時、簡単にどんどん裸の王様になってしまうことに気づいた。
実際、日本にいるときは私は手描きのドローイングや表現が得意で、それを武器に180人の学生の中からその上位に入り、プレゼンする権利を獲得していた。それを制限されることもなく、修士2年まで来て、ドイツに行ったら、プレゼンの表現方法もフォーマットも厳格に決まっていて、手描きをプレゼンで使うことはできず、得意技を封印されて手も足も取られたダルマみたいな状態になった。
もちろん人によっては、いろんなツールを自分から学び、様々な表現方法を獲得していた友人もいる。得意なものを伸ばしていくという大学の教育方針を疑うこともなく、それは続けた結果、最高学年になって、いったい今まで何をしてたんだろう、と思った。
1つの完結した環境での評価基準だけで自分の能力を磨いても、外に出たら何も通用しないこともある、「井の中の蛙、大海を知らず」という当たり前のことを自分の実体験として学び、社会に潜むいろんな「絶対」が相対化してみえるようになった。そして何歳になっても、自分にないスキルや知識を持っている人には、頭を下げて教えてもらうことを実践するようになった。
崩壊しつつあるけど、終身雇用を前提とした日本では1つの「企業」「組織」の中の自分の立ち位置は、自分の人間としての能力や価値、自己肯定感に多大な影響を与えている。また、「何歳でここに到達していなくてはいけない」みたいな人生の指標が異様に標準化されて社会に浸透していると思う。もちろん、他の世界での通用する相対的なものさしもあるけれど、本当に外に出たらどうでもよいものさし、習わし、慣習だったりする。
この経験は、私のこれからの人生を設計する上で多大な影響を及ぼすことになった。それはまた別のお話で。
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