よい子でもよくない子でもあなたには僕がいるからお休みなさい
何年も前、瀬波麻人さんの短歌がTLに流れてきた。
『よい子でもよくない子でもあなたには僕がいるからお休みなさい』
これだ、と思った。
私が言われたかった言葉はこれだったんだと思って泣いた記憶がある。
気づくと私は瀬波麻人さんのことをフォローして見よう見まねで短歌を作り始めた。
この人の書く言葉が好きだった。
ツイッターに書かれる言葉も短歌も何もかも好きだった。
会ったこともない人にまるで恋をしているように瀬波さんのツイートも短歌も貪るように読んだ。
瀬波さんの短歌を読むといつも胸が締め付けられ、苦しくなった。
瀬波さんの書く文字は光って見えた。
生への肯定、生きていくことへの喜びと苦しさと後悔を優しい言葉の中に感じていつも狂おしく切ない気持ちになった。
こんなどうしようもない気持ちを抱えながら生きているのは私だけではないんだ、と密かに思えた。
こんな素敵な短歌を詠める人はきっと素敵な人たちだろう、と思った。
私は短歌を少しずつ読み始めた。
少しずつ色んな本を読んだ。
ある時、私は彼の所属していた結社の歌会に出た。
その時出した短歌は余りにも稚拙で今思うととても恥ずかしいものだった。
案の定、先生は評に困っていたし、周りの人たちも困っていた。
となりに座っていた私より少し年上だろう男性は
『こんなレベルで』と小さい声で独り言を言っていた。
私は耳を疑った。
何か心に大きなヒビの入るような音が聞こえた気がした。
何年も前の歌会に出た記憶は、先生や周りの人を困らせてしまった、という記憶しか残らなかった。
妙齢の男性2.3人と話しながら二次会へと向かっていった。
金髪の私が奇異の目で見られている事を薄々感じながら興味を持ってもらえている事を嬉しく思っていた。
『どうして短歌を始めたの?』
と聞かれたので
『瀬波麻人さんの短歌、というか書く言葉も短歌もものすごく好きで見よう見まねで始めました。』
と答えた。
そうしたら事もなげに『結婚すれば良いじゃん。』と言われて、男性たちが盛り上がっていたので酷く戸惑った。
そういうんじゃない、そういうんじゃないんだよ、と思った。
その違和感を上手く言葉に出来なくて私は押し黙ってしまった。
人の言葉に惚れると言うこと、誰かの書く言葉が胸を打って心の支えになって生きる希望になっていくこと。
言葉が人の人生を大きく変えてしまうこと。
そういう事が分かり合える、共通項になると思っていた私は戸惑った。
茶化されたような気がして傷ついたような気もする。
初めて文章にできた気がする。
初めての歌会はあまり楽しいとは言えなかった。
それからかもしれない、歌会の前になると胸がドキドキして動悸がして安定剤の頓服を通常の二倍飲まないと参加出来なくなった。
そうこうしているうちに瀬波麻人さんはツイッターも短歌もやめてしまった。
少し休んだらきっと戻ってくるだろう、そう思っていたけれど戻ってくることはなかった。
どうして私は瀬波さんが短歌をやめてしまったのに続けているのだろうと不思議に思う事がある。
あまり楽しいとは言えなかった初めての歌会を経て何度も歌会に参加したのだろう。
結社に入ろうかと真剣に考えた時期があったのだろう。
人から勧められた田丸まひるさんの『硝子のボレット』をボロボロになるまで読んだ。
特によいと思ったものに付箋をつけて付箋だらけになった歌集を持ち歩いた。
昔、カッターナイフをお守りにして持ち歩いていた私が、歌集がお守り代わりになるのだと初めて気づいた。
人の言葉や評価に怯えて生きてきたけれど歌集を読むといつも心が自由になる気がした。
日々、人の言葉に傷つけられながら、人の書く言葉に癒されている。
短歌にも歌人にも希望を抱いているのだろうと思う。
たったひとりの夜を照らしてきたのは、いつも誰かの書く言葉だった。
誰かの紡ぐ言葉に簡単に傷つき、簡単に癒されてきた。
誰かの書く言葉が胸を打って心の支えになって生きる希望になっていくこと。
言葉が人の人生を大きく変えてしまうこと。
言葉にはそういう力があると信じている。
書く事を続けている人たちは言葉の力を信じている人たちだと私は信じてる。