ふたりですごした日々が、どうか輝いていますように
初めてのnote。
読む専だった私は、今日から文字を綴るということを始めてみようと思う。
私が今からつらつらと書き連ねる言葉たちは、とある「ふたり」に対しての初めてのラブレターであり、単なる自己満足、気持ちの整理、といったところだろうか。
私がこの「ふたり」に出会ったのは、高校3年生のとき。
YouTubeを見漁っていると、「今日も僕の彼女が可愛すぎる」という惚気チャンネルを発見した。
可愛すぎる
本当に可愛い!なんだ!好きだ!
などという感情が溢れた。
その頃はまだ5本くらいしか動画は投稿されていなかった。
そう、私は俗に言う古参である。
ホームビデオクリエイターな「かぁくん」が映す日常の儚さやなんでもない日々
すごく可愛くて内面もステキすぎる「しおちゃん」
わたしにはじめての「憧れの人」ができた。
福岡に足を運ぶたび、「ふたりに会えないかな〜」とか本気で思ったり、しおちゃんに憧れて手芸を始めてみたりした。(わたしは不器用すぎて諦めた)
「明日動画投稿します!」
という言葉で、どれだけ頑張れただろうか。
「ふたり」が一緒にお互いの夢を叶えていく姿がとても眩しかった。
時を重ねていくうちに、「しおちゃんとかぁくん」に対する私の愛は、勝手に増していった。
そんな「ふたり」が、久しぶりにYouTubeを更新するという情報を嗅ぎつけた。
胸がピリピリとなった。
どうか、旅に出てて全然SNS見てなかっただとか、お仕事忙しかっただとか、そういうのであれ!と、願いながらストーリーに貼られていたリンクをクリックした。
私の勝手な願望は、一瞬で消えた。
そこにうつるのは涙ぐんだしおちゃん、ただひとり。
サブチャンネルのほうでは、かぁくんがただひとり。
ああ、そっか。そうなのか。
たくさん泣いた。
もう、2人が一緒に居るところを観れないのか。
4年。
4年という長い年月を一緒に過ごしても、この「ふたり」はお互い別の道を歩むのか。
わたしの中で、すごく大切な存在の「ふたり」に対する思いが溢れ、ティッシュを何枚使ったのかもわからない。
拭っても、拭っても、目から流れてきてしまう。
YouTubeにはまだ、「ふたり」で笑いあっている姿が残っている。
しおちゃんのInstagramには、かぁくんが映すしおちゃんがたくさん居るし、
かぁくんのInstagramには、かぁくんにしか見せないしおちゃんが居る。
いつか消えてしまうのが、いまはこわい。
ずっと見てきた私は、いつの間にか「ふたり」の生活のほんの一部を、一緒に過ごしているような感覚になっていた。
YouTubeで見せてくれる「ふたり」の生活の一部は、私にとって、とても大きな存在だった。
しおちゃんとかあくんだから、たくさんたくさん話し合って、たくさんの時間をかけてお互いと向き合ったんだろうなっていう事がわかった。
お互いがいちばん納得できる形が、
これからは別々の道を歩んでいく
ということ。
受け入れなければならないのだ。
だからわたしは、この形をとった「しおちゃん」「かぁくん」を応援する責任がある。
古参として。
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