基礎と発展。”人間”を生きる上で
今日も全然わかりやすく書かない。ただ自分のために書く。
でも、これでわかってもらえるなら嬉しい。
はじめます。
まず当たり前のこと言います。
何事にも、基礎と発展があると思う。
基礎を疎かにしたままいきなり発展しようとすると、
もしかしたら初っ端は結果が出るかもしれなくても、
後々崩れていくパターンは多いものだと思う。
そしてそれは、結構取り返しのつかないレベルだったりする。
土台が安定していないから、土台もろとも崩れてダメになる。
だからと言っていつまでも基礎固めにばかり固執していても、発展(成長)はできない。
より高みを目指すのであれば、発展していく必要がある。
つまりバランスが大事だということと、
基礎と発展はセットである(セットにするとつよい!)ということが言いたい。
勉強、スポーツ、ビジネス・・・
なんでもそうだと思う。
じゃあ、そもそも、
”人間”を生きる上での、
基礎と発展は・・・?
勉強とかスポーツとか言ってる前に、そこ大事じゃん!!
それは、
個人の絶対性と、集団の中での相対性じゃないでしょーか。
言わずもがな、絶対性が基礎で、相対性が発展。
日本の現代社会は、絶対性を疎かにして相対性を重要視している価値観が広く存在していると思う。
そして、それが心の病がこれだけ蔓延している原因(の一つ)だと思う。
人生はゲームで、
ゲームには勝敗がある。
ゲームは楽しい。勝つともっと楽しい。
だけど人生は楽しいものではない、もしくは楽しんではいけないと考えている(潜在意識にそう刻まれている)人が多い。
私もそうだった。
その考えは、良し悪しではない。個人の自由。
でももし、人生を楽しいものにしたいなら、
やっぱり勝っていきたい。
そして勝敗は、相対性の上に成り立つ。
ただ、「勝たなければ存在価値がない」とは違う。
個人の絶対性は、人間を生きる上での基礎だから、
相対的に負けたからと言って、揺らぐものではないのである!!
人の価値を、絶対性の評価を疎かにしたまま、相対性にぶち込んでその結果で評価する世の中だから(一側面だけど)、
さっき言ったみたいな
「勝たなければ存在価値がない」
っていう価値観が広がるしこれまで続いてきたんだ(ー_ー)
スポーツにおける、勝利至上主義とかね。
別にいいんだよ、どの価値観選ぶのも個人の自由だから。
だけど自分のものではない価値観によって、自分の存在価値が揺らいで、
大切な心が病気になって苦しい思いをする負のループは終われ!
と思うのです、個人的に。
親、教育者、
なんでもいいけど子どもに教える立場にある人は、
まずは子どもの絶対性を評価・尊重するのが先だと思います。
それか、それができなかったとしてもそれはそれで仕方ないから、
「自分は未熟だ」と認めろよと思う。ほんとに。
自分を守るために、弱者を攻撃したりコントロールしようとしたり・・・。
一連の根元は戦争だと思うけど。
加害者は、元を辿れば被害者で、
じゃあ誰に責任があるのかって、それ探しはどこかでストップできるものじゃないと思うんだよね。
・・・って話逸れたけどそこは置いといて。
最後に、
自分の絶対性や、発展しているかどうかを知るためには、
何かと比べなくてはならない。
その何かは、過去の自分かもしれないし、ライバルなど他者の存在かもしれない。
”比べる”ということは悪いとされがちだけど、
それは「比べて勝敗や優劣がつくことによって個人の存在価値が揺らぐ」という前提のもとでの”比べる”であって、
「自分自身を知るために比較対象が存在してくれているのだ」という前提のもとであれば、”比べる”は悪いことにはならない。
そうなると、
嫉妬は感謝に変わる。
視点や考え方を反転させると、
闇と光も反転する。
あなたの絶対性、なーに♡
今日も好きに書きました♩
おわり♩