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「天日坊 渋谷・コクーン歌舞伎第十八弾」を観てきた

実は行ったのはもう2週間前なのですが、一応忘れないうちに感想を書いておこうと思いまして。


「自分探しの話」とまとめたら、ありがちになってしまいますが、でもそうとしか言いようがない。勘九郎ちゃん演じる天涯孤独の法策(後の天日坊)が、ひょんなことから頼朝の子になりすまし、更に別の人間になりすまし、そうしているうちに本当の素性が分かり……と、正直話がややこしくてかないません。

ただでさえややこしいのに、このご時世なので上演時間を短くするため、30分分台本が削られたそうです。その結果、多分入るはずの説明が飛んでしまったと思われるところがあり、ますますわかりにくい、と。


でも、分かりやすくしようとする工夫はすごいです。セットの中に、「○○の場」とか、簡単な粗筋を書き込んでいるのもそうだし、登場人物自身がこれまでのあらすじをちょっと語ったりもする。間違いなくがんばっています。


冒頭、化け猫退治を託された北條時貞がなかなか出てこず、出演者たちから遅刻遅刻と言われるので、本当に時貞役の中村虎之介が遅刻したんだろうかと思ってしまいました。そうしたら、そういう台本になっていたのだと、筋書(パンフレット)を見て分かりました。そういう意味で、高くても筋書って大事ですね。


それにしてもすごいのは、勘九郎ちゃん。最初のぽーっとした法策から、欲が出てきて最初の人殺しをしてしまい、第二の殺人を重ね、どんどん顔が変わっていきます。最後の大立ち回りのすごさと言ったら! すごい演技力と体力です。


たちまわりといったら、人丸お六の七之助ちゃんもすごい。それこそあの衣装を着ての大立ち回りだし。筋書には「ずっと出ずっぱりの兄の様子を見ながら、地雷太郎役の獅童さんと『俺たち楽だね』と話した覚えがあります」とあるのですが、いや、全然楽じゃないでしょう。

お六には真実の姿があるのですが、もはや真実の姿を忘れ、お六であることを楽しんでいる気がしました。実はもう、真実の姿に戻る気もないのかもしれない。


獅童さんの地雷太郎は、もういかにもって感じ。あの人、こういう役をやらせたら、天下一品ですよね。


「マジかよ」に代表される現代の言葉がばんばん出てきちゃうのも、コクーン歌舞伎ならでは。別に反対ではないのですが、ちょっと多すぎる気もしました。ただ、筋書で演出の串田和美さんの言葉を読み、ちょっと考えを改めました。

モーツァルトが生きてて、演奏してるときに聴衆は畏まって聴いてはいなかったと思う。みんな、飲んだり、ガサガサしてたと思う。そういうものがアカデミックになっていった時に一番大事なものを失くしていったんじゃないかな。

まさに庶民の芸能ですものね。それこそこのご時世なので、休憩時間であっても、客席では飲食はもちろん、私語さえろくにできないのは厳しいです。静まり返った客席なんて、おかしいと思います。そういう意味でも、早くパンデミックが収まってほしいです。


↑筋書に、串田和美さんと大島真寿美さんの対談が収録されていたので。

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