【お出かけ】横浜の震災遺構巡り③(山手80番館遺跡ほか)
記事にしないまま1ヶ月近く経ってしまい、年を越したらもう書かない気がするので、ざざっとまとめます。
・山手80番館遺跡
元町公園内にあります。現在見学できる部分は、地下室に当たるそうです。
説明版の両脇のタイルは、遺跡から出土したものだそうです。
・西洋館の一部
ざっくりした表題ですが、これも元町公園内の山手通りに近い場所にあります。
・アメリカ海軍病院(現・横浜地方気象台)
横浜地方気象台は、震災で崩れたアメリカ海軍病院の跡地に建っています。病院で使用していたレンガ造りの井戸の一部が、前庭に展示されています。
横浜地方気象台では、「関東地震から100年 特別展示」をやっていました。
震災とは無関係ですが、井戸の一部の近くにあった、植物季節観測用標本のススキが、その辺に生えているものとは違って、美しかったです。
その後、港の見える丘公園まで移動しました。これまた震災とは無関係ですが、ガンダムを遠目に見ることが出来ました。間近で観ようと思うと結構なお値段なので、私的には遠目で満足です。
一応、ガンダムファクトリーのサイトも載せておきます。
・フランス山の遺構
かつてフランス領事館が建っていたので、フランス山と言います。
なお山手には、明治初頭の公使館ゆかりの地であるアメリカ山、イギリス公使館が建てられたことが由来のイギリス山、イタリア領事館があったことが由来のイタリア山もあります。分かりやすさ最優先の命名ですね(^-^;
このフランス山の遺構は、正確には震災遺構と震災復興施設が混在しています。井戸や風車の基礎は、震災前の領事官邸のものですが、上の写真の遺構は、震災後に建てられ、戦後火災で焼失した領事館の遺構です。
震災前のものか、震災後のものかは不明です。
このキャプションで紹介されているRF(フランス共和国)のメダイヨン(メダリオン)が、ちょっとどこにあるか分かりにくかったです。フランス橋の橋台裏面にあるのですが、友人が見つけてくれなければ、分からなかったかも。
・谷戸坂の石碑(大震災追悼碑)
これは震災による犠牲者を悼む追悼碑なので、ちょっと写真を撮るのははばかられましたが、記録のために道路を挟んだ向かいから撮らせていただきました。
谷戸坂の近くで、こんなものを見つけました。
1859年に青木屋忠七が、西洋式の洗濯を始めたそうです。
・代官坂の石川家
代官坂にある石川家は、1854年の日米和親条約締結時に、ペリーを接待した石川徳右衛門のご子孫がお住まいです。この石川家が、「石川町」駅の由来です。
この門構えは、ペリーをもてなした当時のもの、ないしはそれを再現したものと思われます。
石川家には、ペリーのサイン入りの軸物があったそうですが、残念ながら関東大震災で焼失しました。ただしお庭にある大松は、当時の位置にあるそうです。
写真中央に見える松が、その大松かなと想像しますが、違うかもしれません。
なお石川家は、内部公開等はなさっておりませんので、門前のみ静かに訪れていただけますよう、お願いいたします。
これで全3回の「横浜の震災遺構巡り」を終わります。最後に、参考にさせて頂いた横浜地方気象台のサイトを、もう一度載せておきます。
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