ソ連誕生後のウクライナについて
*この記事は、公開済みの「この戦争は8年前に始まっていた~ウクライナ情勢について考えてみる~」の一部です。有料記事である同記事があまりにも長すぎ、我ながら読みにくいなと反省したため、無料公開だった部分を中心に再構成した上で、別記事として数記事に分け、公開することにいたしました。
1922年のソヴィエト社会主義共和国連邦(以下、ソ連)の誕生の後、1932年から翌年にかけて、ウクライナやカザフスタンなどでは農業生産が停滞し、大量の餓死者が出ました。特にウクライナのものをホロドモール(大飢饉)と呼びます。
もともとウクライナは「土の皇帝」とも言われる肥沃な黒土(チェルノーゼム)に覆われており、大穀倉地帯です。だからこそ歴史を通じ、ロシアやドイツなどがこの地を狙ってきたわけです。
なおウクライナの土の話は、「ビッグイシュー日本版」の2021年10月15日号でも取り上げていました。
そんなに肥沃な土地で、なぜ餓死者が出るような事態になったのか。それには3つ原因があります。
①まずはソ連誕生後、コルホーズ(集団農場)やソフホーズ(国営農場)の建設による、農業の集団化が進められたことです。
つまり自分の農地だったら、収穫が自分の収入に直結するわけですから、真面目に働きますよね。加えて例えば嵐が来たら、作物が被害を受けないよう、真夜中に畑に行って対処したりもします。でも農地が自分のものではない「農業労働者」になってしまったら、働くモチベーションが下がるし、上記の例のように嵐が来ても、時間外の労働をする気にはなりません。
もちろん農民魂にあふれる一部の人は、時間外労働をするでしょう。でもそれをしても給料が増えるわけではありませんし、時間外労働をしない人からは逆に、「余計なことをするな」という目で見られるでしょうから、時間外労働をする気にはならなくなります。で、結果的に生産量が落ちてしまったわけです。
②2つ目は、集団化の一環で、クラーク(富農)と呼ばれる裕福な農民が追放されたことです。ソ連は1つの階級としてのクラークの撲滅を目指し、ウクライナ人をはじめ約170万人が、シベリアなどに送られ、強制労働の末に亡くなりました。優秀な農民が大量にいなくなったわけですから、これも農業生産の停滞につながりました。
③更に外貨獲得のための穀物徴発で、国民が食べる分まで輸出されてしまったのも、多くの餓死者が出た理由です。ウクライナだけでも、推定300万人以上が餓死したと言われます。
ちなみに現在ロシアとウクライナを合わせ、世界全体の小麦の生産量の13.3%(以下、数字はすべて2016年のもの)、大麦の生産の19.4%、ライムギの生産の22.6%、ジャガイモの生産の14.1%を占めています。他にトウモロコシや大豆の生産も盛んですし、小麦についてはロシアは世界第1位の輸出国となっています。なお現在、ロシアでもウクライナでも輸出用の小麦やトウモロコシが大量に滞留してしまっており、世界的な小麦価格の高騰や、アフリカ島での食糧不足に繋がっています。
なおホロドモール、そしてスターリンによる粛清などの事実はあまりに強烈でした。それが1941年の独ソ戦の開始後、ウクライナの一部の人がドイツ軍に協力した理由です。彼らにしてみれば、自分たちを苦しめるスターリンに支配されるソ連に侵攻してきたドイツ軍は、いわば解放軍でした。もちろん手を組んではならない相手と手を組んでしまったわけであり、かつソ連が最終的に独ソ戦に勝利した後、彼らは裏切り者とみなされるようになります。これがプーチンが時に「ウクライナのナチス主義者」といった表現を使う理由です。
見出し画像には、「みんなのフォトギャラリー」からライ麦の写真をお借りいたしました。
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