年惜しみつつ、父母想う
朝から冷え込んでおります。
ほとんどの時間を過ごすリビングは、東側に窓があり、公会堂の杜と廃屋の倉庫の間から朝日が昇るのが見えます。
窓の下には、両親とわたし、そして猫たちの写真が飾ってあります。その前に"おりん"と線香、ろうそくも置いてあり、気が向けば「チーン」と鳴らしてみます。
自分の写真は遺影にも使えるようにと、数年前に写真館で撮ったものです。
自然体で映るようにあれこれ場面設定して、途中でお色直しもして、数時間を掛けて撮影したものです。
なんと、父母が写真に収まった年齢と近く、気づけばアラ還の集まりです(苦笑)。
母の写真を飾ったのは今年の夏で、わたしの写真は今年の冬、ほんの数週間前です。
親子で同じ方向を向いたのは、何年ぶりか、それとも初めてかもしれません。
母のかお父の笑みよりおぼろにて
(ははのかほ ちちのえみより おぼろにて)
季語は「朧」です。春の季語ですが、気分は母の顔はいつもおぼろげという感じです。
そりゃあ、面と向かって母の顔を見ることを避けてきたので、はっきりと覚えていませんよね。
そこで、「顔」ではなく「かほ」としてみました。ただ、「母のかほ父の笑みよりおぼろにて」よりも「母のえみ父の笑みよりおぼろにて」はどうかしらと思案です。
帰り花七年あまり臥し床よ
鳥わたる七年あまり臥し床を
小鳥来る七年あまり臥し床に
(かえりはな ななねんあまり ふしとこよ) (とりわたる ななねんあまり ふしとこを) (ことりくる ななねんあまり ふしとこに)
季語は、「帰り花」「鳥渡る」「小鳥来る」です。同じ場面を季語をあれやこれや変えてみました。
7年あまり入院生活して、独り逝った母が、長年臥していた床を離れて、帰ってきたよという句を読みたいのですが、さて母は自分の生まれた家に帰ることができたのかしら。
年惜しむ父母の写真に挟まれて
年惜しむ父母のあいだに吾の写真
(としおしむ ふぼのしゃしんに はさまれて) (としおしむふぼのあいだに あのしゃしん)
季語は「年惜しむ」です。そして、しみじみゆく年を惜しんでからの最後の句です(笑)。
初あかり父母の写真の上あたり
(はつあかり ふぼのしゃしんの うえあたり)
季語は「初明かり」です。まだ初明かりには日がありますが、あまりにも綺麗な朝日でしたので、前のめりで詠んでみました。
毎日、お天気なのはありがたいですが、たまには雨が降ってくれないと、空気が乾燥して困ったことになりかねません。
冬ざれや色がゆつくり落ちてゆく
(ふゆざれや いろがゆつくり おちてゆく)
季語は「冱つる」と「冬ざれ」です。
これは音邑音音さんのnoteにありました、「冬になると色彩が落ちていく」というなんとも素敵な表現に魅了されて、拙いながらも一句にしてみたくなりました。
冬になると色彩が落ちていく。でも、今年の色が落ちて白紙に、無垢になるから、新しい年に、自分なりの色を足していくことが出来るんだなあと、思いました。