炬燵猫
我が家から炬燵が姿を消して、20年は経ちました。家族団欒というよりも、個々が個々の部屋で、個々のストーブで個々に暖を取る、それが我が家流でした。
掃除が苦手な母は、炬燵があると炬燵の回りしか掃除をしないので、見えない炬燵の中は悲惨な状態でした。
じゃあ、わたしがすれば?となるのですが、わたしが完璧ではないですが、綺麗に掃除をすると僻むので、あとが面倒でした。
父と相談し、母の機嫌を損ねる、不穏因子は排除となりました。
とまあ、あんまり炬燵にいい思い出はありませんが、とは言え、「炬燵猫」という季語を見つけると、季語の可愛さに負けました。
炬燵猫飛び出た先に我の顔
これは、小学生のときのこと。炬燵に入っていた猫が温もりすぎて、飛び出してきたのですが、そこにちょうどわたしが居ました。
危うく丹下左膳になるところでしたが、どうにか目は回避しました。でも、頬には10cmほどの引っ掻き傷が、スッと入りました。
祖母がオロナイン軟膏を塗って、その上からティッシュを貼ってくれました。
血が固まるとティッシュが剥がせなくなり、顔にピラピラとティッシュをぶら下げて登校しました。
冬の夜あえすぎ食らう猫パンチ
「あえすぎる」と可愛がりすぎる、みたいな意味です。あるあるですが、寒い冬の夜は、猫をあえすぎてしまい、「ウザい」と喰らう猫パンチです。
障子開け猫懐に雪見酒
母家には濡れ縁がありましたが、縁側が濡れないように、硝子戸が濡れ縁の沿ってグルリ嵌め込まれていました。
火鉢で温もった表の間、障子を開けて、硝子戸越しに築山を眺める。半纏のなかには猫が抱かれていて、ほこほこ。
滅多にお酒を飲まない父でしたが、それでも娘が熱燗を用意すると、嬉しそうに飲んだことを覚えています。
障子開け父と語るや雪見酒
同じく季語は「雪見酒」です。懐に猫の句を詠んで、「障子開け」を他に言い方がないかしら?とググっていました。
すると、トヨタの豊田佐吉翁の名言を見つけました。「障子を開けて見よ、外は広いぞ」です。
気が合った父とは、将来のことや、しょうもないことをよく語ったもんです。
目の前にある壁は、障子みたいなもんや。 パーンと開け放って、外の世界に行ってみろと、父が娘と雪見酒を傾けながら、翁の如く諭している、そんな句にしてみました(笑)。
そして、そこからの発想の句です。
障子開け外見る父の懐手
季語は「懐手」です。寒がりの父が、懐手で障子を開けて外を眺めている、というものですが、豊田翁の言葉とは結び付きませんね。自画自賛の句です(笑)。
最初の季語「炬燵猫」から遠のいています。一句詠むと、色々と連想しては脱線してしまいます。
いかに、自分の思考が混線しやすいか、支離滅裂なのか、よ~く分かります。
気を取り直して、最後は「炬燵猫」です。
甥突進脱兎のごとし炬燵猫
弟に初めての子どもができて、実家に連れてきたのは冬の頃でした。炬燵に入って、ヌクヌクしていた猫ですが、やんちゃな甥っ子に追いかけられて、脱兎のごとく逃げていった哀れな猫を詠みました。
足十本三密回避の炬燵猫
最後は、もしも、今、炬燵があったら~と、想像して詠んでみました。
いくら寒がりの猫でも、炬燵の中に足が10本突っ込まれていたら、密を回避して出てくるかな、という句です。
足の渋滞は分かりませんが、炬燵の中で屁をしたら、さすがの猫も変な顔をして出てきたことがあります。
妙に人間臭い表情だったのが、印象的で覚えています。
猫の名前は「にゃんにゃん」、わたしの姉のような存在でした。