過去は過去だし、未来の話をしよう!
わたしは自分の過去の上に乗って生きるのが好きじゃない。過去は過去であり、重要なのは、私が今日どこにいて、明日どこに行こうとしているかだ。
私の名前が歴史に残っているということは、私の子供や孫には素晴らしいことだろうが、現在の私にとっては重要なことではない。
過去は歴史であって、歴史とは終わったことなのだ。
過去はもうすんだことであり、過去に何かをしたということに寄りかかって、その後の 人生を私は生きたくない。
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これはジーン・サーナンという宇宙飛行士の言葉だ。
サーナンは、32歳で宇宙を飛んだ最も若い宇宙飛行士であり、さらに2度も月に行ったという経歴の持ち主だ。
わたしにそんな輝かしい経歴、過去の栄光があったなら、そんなキラキラした過去という船から決して降りないかもしれない。
過去の栄光は、たとえボロボロになろうとも手放すのは、惜しい。
お惜しいけれど、同時に、過去の栄光は足枷にもなる。そこが悩ましい。
誰もが、今のわたしではなく、過去の栄光という衣をまとったわたしを相手にするようになったら、わたしの存在意義が無くなる。
「わたしを見て!わたしはここにいる!」
自分の存在に気づいて欲しくて、叫びながら狂っていきそうだ。
幸いなことに、わたしには脱ぎたくない様な立派な衣はないし、どちらかと云えば、脱ぎ捨てて処分したい外面的な衣があるだけだ。
ただ、外面的な衣は脱ぎ捨てても、その衣をまとって経験した過去の記憶は鮮明に残っているので、そっちの方がキツいこともある。
旅の恥はかき捨てとか云うけれど、かき捨てても過去の経験、過去の記憶から解放されることはない。
それでも、周囲の人はそんなわたしの気持ちなんか知らない。彼らに見えるのは、過去のわたしの足跡と薄っぺらな今のわたしだけ。
そして、過去のわたしと現在のわたしと、 どちらのわたしが彼らの優越感を満たすか、そんなモノサシで選択されそうだ。
「○○をしていたんですって、凄い!」
○○を成し遂げるまでの過程ではなく、その結果にのみ興味を示し、すでに過去となったわたしを褒めちぎる人は苦手だ。社交辞令は好きではない。
もちろん、彼らに悪気がないことは分かっているし、現在のわたしには興味や関心を示す素材がないということだろう。
ただ、過去は過去だ。新しい乗り物に乗っているわたしを見て欲しい。
もっと、未来の話がしたい。