葉見ず花見ず
たしか、先週でしたか、彼岸花の別名を小耳にしました。すっかり彼岸花は枯れ落ちて、どこにも痕跡はありません。
ただ、十一月は母の命日でしたので、今さらですが、彼岸花で詠んでみました。
墓参り葉見ず花見ず母想ふ
季語は、「曼珠沙華」。その関連季語である「彼岸花」の別名の別名にしてみました。
"葉見ず花見ず"は彼岸花のことです。折角、花を咲かせても、ほんの二、三日すると枯れ始める。そんな儚い命の彼岸花は、葉も花も同時に見ることなく枯れてしまいます。
素直に「彼岸花」にしてもよかったけれど、折角、覚えた「葉見ず花見ず」を使いたく、強引に中七に入れちゃいました。
彼岸花(ヒガンバナ)は墓地や畔などに多く植えられていることが多いのですが、これはモグラやネズミ等の土中を移動する害獣から稲や野菜などの作物、土葬された遺体を守るためであると言われています。
これは彼岸花(ヒガンバナ)に含まれている毒や臭いに期待して、とありますが、実際のところは眉唾物です。
生前は、あまりいい関係を築けなかった母とわたしですが、そんな不器用な母娘関係が「葉見ず花見ず」と重なりました。
でも、試行錯誤の推敲のすえに、このような句で落ち着きました。
盆支度葉見ず花見ず墓洗う
そして、俳句の先輩と、コメント欄の推敲により、次の句に落ち着きました。ファイナルアンサーです(笑)。
亡き母や葉見ず花見ず盆支度
ここからは、わたしの実体験に基づいた少し残酷な句です(笑)。
冬麗らメダカの水槽いい湯だな
季語は「冬麗ら」です。寒くなってきても、天気がよいと外に置いてあるメダカの水槽の水温が急上昇します。
「あれ?元気ない?」
水槽に手を入れてびっくり。いい湯だな~と歌いたくなる温度でしたが、メダカは災難。危なく、煮えメダカになるところでした。
大急ぎで冷水を足しましたが、湯あたりしたメダカの目は虚ろでした。冬場、水槽に氷が張っても元気なメダカでも、どうやら温泉はお好きではないようです。
※俳句の先輩よりご指摘。メダカは夏の季語だそうです。しまった(笑)。季重なりどころではない、まさかの季違い。
同じ光景を季語を変えてもう一句。
小春日や腹見せ浮かぶ冬メダカ
季語は「小春日」です。帰宅があと少し遅れていたら、こんな俳句になったかと思うと、メダカの飼い主の責任を果たそうと肝に命じました。
小春日とメダカで季重なり、季違いかもしれませんが、冬メダカとしたことの是非は? 小春日に水槽がまさかのお湯に。死なそうになっていた冬のメダカです。
そういえば、まだ小学低学年だった頃のことです。寒い時期、畑で見つけた青蛙を温めてやろうと、お鍋のお風呂に青蛙をいれ、ゆるゆるとコンロにかけました。
「気持ちいいね~」と、覗き込んだら、青蛙たちは、白い腹を見せてご臨終でした。
それからは、そのお鍋でできた料理を食べることが出来ませんでした。
無知な子どもとは、残酷なもんです。
残酷ついでに、もう一つ。これも小学生の頃でしたが、庭に女郎蜘蛛がいました。好奇心旺盛だったわたしは、女郎蜘蛛の蜘蛛の糸の限界が知りたくなりました。
どれだけの糸を作ることができるのかしら?蜘蛛を宙に垂らして、地面につかないように気をつけて、ゆっくりと糸を作らせました。
すると、とうとう糸の元が失くなったのか、女郎蜘蛛はぺちゃんこになって、ご臨終。
無知な子どもとは、本当に残酷なもんです。
でも、こんなことを書いて、もしも、残忍な事件を起こしたら、悪の根っこの部分は幼い頃からあったと、言われるのでしょうね。
昔読んだ、萩尾望都さんの「残酷な神が支配する」を思い出しました。