人生を変えるきっかけの会話#あの会話をきっかけに
「先生、看護師さんが向いてるんちゃう」
社会人向けのスペイン語講座の先生として、慣れない教壇に立っていたとき、アラフィフ世代の学生が突然、声をかけてきた。
教壇に立つわたしから見て、いつも最前列の右の端っこに座っている彼女。頷きながら、熱心に耳を傾けてくれていたが、話したことはなかった。
だから、声をかけられたことにも驚いたが、その内容にさらにビックリだった。
当時のわたしは着付けにハマっていて、職場にも着物で出勤している、少しヤバイ?変な奴だった。
スペイン語を教えているんだし、どうせやるなら、フラメンコの衣装で出勤の方が辻褄が合うだろう。
でも、あの当時は着付けにハマってしまい、仕事でもプライベートでも着物。夜の会食も着物で押し通していた。
ただ、今より自尊感情が高めの自意識過剰の塊だったわたしは、変わっている自分、変な自分、他人と違う自分が好きだった。
たぶん、短い期間だったけれど、外国生活を経験したり、いろんな価値観を持ったボランティアと行動を共にしていたので、自分を みる視線も多角的だし、優しかった。
だって、まわりの人がわたし見る視線が固定されてなくて、多角的だったし、優しかったからだ。
偏見もあったろうが、他人に傷つけるような無慈悲な偏見は少なかった気がする。少なくとも、わたしは気づかなかった。
だから、わたしは着物-Lifeを満喫していた。すこしくらい変でも、迷惑はかけてないし、楽しむ自分を俯瞰して、楽しめた。
原付バイクで通勤していたので、着物の前がはだけて見えないように、着物用の前掛けを用意したのはわたしなりの思いやりだった。
・・・・・
そんな変わり者に声をかけてきた彼女、実は看護学校の教員だったのだ。先生しながら、生徒もする、二足の草鞋なアクティブ女子が彼女の正体だった。
それまで、わたしの人生には看護師になる、という選択肢はなかった。わたしの親族には教師はいたが、医師も看護師もいないので、病院は病気になったら行く場所で、働いて、お金を稼ぐ場所という認識はなかった。
ただ、彼女の突拍子もない提案には、興味がわいた。どうして、わたしが看護師に向くと思ったのか、何を根拠に?
突然、始まった彼女との会話。
豪速球を投げつけてきた彼女には、わたしが真っ正面で彼女の言葉を受け止め、コミュニケーションすると分かっていたのかな。
とになく、わたしはドーン!と彼女の言葉を受け止めた。落とさなくて良かった。
「えっ、看護師って年齢制限ないの?」
無知って、自分の可能性を狭める困った認知になりかねない。それまで、看護師みたいな専門職には年齢制限があると、わたしは思い込んでいた。
なんや、そんな制限はないんや。でもでも、今から看護専門学校の受験競争を勝ち抜き、最短の3年で卒業しても、その時、わたしは何歳なの?
それに、事故で首の骨を折ったわたし。果たして肉体労働の看護師が勤まるのか。先ずは「お試しや」。
彼女と会話をしながら、一気に脳内でシュミレーションしちゃった。
看護師として、イキイキ働く白衣のわたしの姿が見えた気がした。たとえ夢でも、脳内で鮮やかに描けたら、もやは現実だった。
彼女と交わした、たった一度の会話で未来の看護師が誕生した。わたしは即、スペイン語教師の仕事を辞めて、看護助手になった。
夢は追うけれど、現実的なわたしだった。
そして、夢は現実になった。
彼女と交わした、"人生を変えるきっかけ"となったあの会話。あれから1年後、わたしは看護学校の1年生になっていた。