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わたしで生きる(喪に服する期間とは?)

もう少しで2020年も終わる。去年の今頃は、あとひと月ちょっとで父が亡くなるなんて、そんなこと思いもしなかった。

たとえ病気になって、医者から余命を告げられていたとしても、それでも「死なない」と思ってしまうもんだし、思いたい。

誰も自分や、自分の大切な人が亡くなる日を定めて生きていない。

最近はカレンダーをみると、「去年の今日は父とコスモスを見に行ったなあ~」とか、「いっしょに冬の夏祭りとかいう、変わった祭りに行った日まであと2週間やなあ~」と考えてしまう。

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なんだか、父の亡くなる日に向けてカウントダウンしているみたいだ。

何も知らずに生きていた、去年の今日。後悔とかではない。いずれは亡くなると分かっていた。80歳の誕生日も迎えていたし、心臓の病気もしているし、大分ガタがきていた。

ただ、父娘のいい関係がやっと掴めてきて、喧嘩をしてもその喧嘩すら楽しいし、関係を修復させる過程すらもくすぐったいような、えもいわれぬ楽しさがあった。

これから、もっともっと、父娘でいっしょに時間を過ごしたいと思っていた。やっとそう思えた。そんな矢先の死だった。

何も知らない、気づかないって幸せで同時に残酷だと思う。父が亡くなる前日、いつもの通りに病院の父を見舞い、帰り際に聞いた。

「なにか欲しいものある?」と聞いた。

布団から顔だけだして、笑いながら「食べるもん」と答えた父。

「分かった!じゃあ、また、明日~」

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儒教は親孝行を徳とするので、葬儀はとても手厚かったようで、三國志の古来中国では、親が死ぬと、三年の喪に服すという決まりがあったらしい。

それを知った時、「三年かいな~、長い」と笑ったもんだ。けれども、もしかしたら三年という年月は、大切な故人のことを偲ぶにはちょうどの長さかもしれない。

今年の年のはじめの一月に父が亡くなった。この一年は、去年の今頃の父との記憶を振り返る一年だった。

去年の今頃は、まだ自分と暮らしていた父。そんなかけがえのない存在の不在を確認する一年が、喪に服する最初の年だった。

あとひと月ちょっとで、二年目になる。

どんな気持ちで、一年を過ごすんだろうか。一昨年よりも前に遡って、生きていた父との記憶を辿るのかな?

それとも、大切な人を失っても独りで生きていく、そんな強さやしなやかさを身に付けた自分と手を携えて、未来に目を向ける?

じゃあ三年目は?滅多に父のことを思い出さなくて、そんな自分に気づいてクスッと笑っていたりして。

緩和ケア病棟では年に一度、グリーフケアのために家族会が行われていた。そういえば、毎年参加していた家族も、三回目あたりから欠席をする人が増えていた。

「今年は来ない」ではなくて、「来なくても大丈夫になったんだ」と思った。

故人との関係性とか縁によって、喪に服する期間は人それぞれな気がする。長いからいいとか、短いからダメではない。

自分の場合は、どうだろう?

夏の頃は元気になっていた気がする。でも、季節が変わって秋から冬になると、「あれが父との最後」の思い出が思い出されて切なくなる。

う~ん、早く他の誰かと「はじめて」の思い出を作らないといけないのかな?