自省録を再読する春
ドラマの影響を侮る勿れ、ではないですが、
自省録をまた読んでいます。前に読んだのは高校生くらいだったので、ほぼ半世紀ぶり。
以前は分からなかったことも、少しは理解ができるほどには成長したようです。と申しますか、色んな人と出会い、色んな引き出しができたのでしょう。
深く考えてしまう悪癖のあるわたしですが、でも、なぜ?なぜ?を連呼すると、それだけしんどくなります。
だから、ぐだぐだと考えないように、疲れているくらいがちょうどいい。
夜勤明け、いい塩梅の疲れです。
花菫ブーツの横で笑まひたり
ちょうど今、ブーツの隣にあった花すみれのつぼみがほころびました。
なんて、本当はブーツの下敷きになっていて「あらら~」と足を上げたのですが。
野生のすみれは強くて、少しくらい踏んづけても立ち上がろうとします。完膚なきまでに踏みつけないと再生します。
わたしもそんな強さが欲しいもんです。
戦場もそ知らぬ顔の春の鳥
未だに人間同士の争いが絶えません。でも、過去の歴史を見ても、大陸のプレートのストレスが貯まると大地震が起こるように、人は争いを繰り返します。
鳥にとっては、自然が引き起こした災害も、人間が引き起こした災害も、同じようなものなのかしら。
それとも、「またバカな人間どもが、愚かな争いを始めた」と呆れているのかしら。
そのうち、地球のストレスがパンパンに膨れ上がって、巨大なしっぺ返しがやって来るのでしょう。
鳥は風が強いときほど、風の吹いてくる方に向かって飛びます。まあ、反対方向に飛ぶと羽がボサボサになっちゃうし。
わたしもしっかりと風に向かって立ちたいと思います。
春分や墓前にひとつ尻の跡
春分の日も彼岸の日も、仕事を休んだことは滅多にありません。
まあ、お墓もご先祖さんも逃げはしません、無理をせずとも、行けるときに行きます。
親戚も歳を取ったし、弟は県外だし、墓守もいなくなりました。
墓前には、小さな窪みが残っています。