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声と個性と


ミンミンと必死や横に兜虫かぶとむし


自然界は個性に溢れていて、バラバラです。多様性とも呼ばれます。何でもあり!だし、何でもあるから自然は強いと思います。

雑草の生え方がみんなが同じで、揃っていてくれたら草引きも楽チンです。でも、もしもこの世から雑草がなくなったら、世界は乾燥してカピカピになるかもしれません。

わたしみたいに雑な草引きをする人ばかりがいたらいいのですが、チマチマと草引きする人ばかりだったら、そこらじゅうが禿げ地になっちゃいます。

多様性万歳!

個性、多様性、大切と分かっちゃいるけど、苦手なのが苦虫を噛み潰したような声です。どうしても生理的に受け付けません。

ところが先日、そんな声の持ち主と同席する機会がありました。

喉の奥にすり鉢を持っているのかしら。そんなに力を込めて発声したら、喉が磨耗して、ザラザラになってしまわないかしら。

そもそも、彼女に彼女自身の声はどう響いているのかしら。骨伝導で聞こえる自分の声にうっとりかしら。

もしかしたら、お母さんのお腹のなかに居たときから聞き慣れた声で、自分の声を聞くと安心するのかしら。

誰もが、わたしにとって心地よい声の持ち主なんてあり得ないし、それを望むほど傲慢なつもりはありません。

寧ろ、誰もが、わたしにとって心地よい声の持ち主だったら、快も不快も失くなくなり、世界は味気ないものでしょう。

彼女のダミ声を聞きながら、もしかしたら、あの声の周波数が世界を救うのかもしれないなんて、妄想遊びをしていました。

個性が持続可能な世界を作る!


「あまがえるコップにのればコップ色」