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余白

休みの日に家に居ると、あまりの静けさに、ふと世界が終わっているんじゃないかしら、わたし一人が気づかずに、能天気に暮らしているんじゃないかしら、と思ったりします。

noteにしても、外の世界の人がわたしに偽のnoteもどきを送っていて、みんなと繋がっていると思い込ましているんじゃないかしら。

そんな物語って、よくありますよね。

ドローンで食料品とか身のまわりの必需品を送ってくれるなら、たとえ偽りの世界でも、快適に暮らしていける自信があります。

もちろん、相棒の猫のマールは本物がいい。こんな愛すべき我が儘な猫はいない。

では、今日もよろしくお願いいたします。


頬っぺたの金柑甘くみずみずと

(ほっぺたの きんかんあまく みずみずと)

季語は「金柑」です。

頬っぺたに含んだ金柑が、甘くて瑞々しいという、それだけの句です。そのまま食べても美味しいですが、「ごっくん馬路村」という柚子ジュースと蜂蜜で煮ると、めちゃめちゃ美味しいです。

風邪の季節になると金柑を煮て、父と一緒に食べたもんです。


黙食の音に負けじと啜る蕎麦

(もくしょくの おとにまけじと すするそば)

季語ですが、蕎麦は季語ではないんですね。晦日蕎麦とか夜鷹蕎麦、蕎麦の花は季語でしたが、蕎麦だけでは該当しません。

先日、久しぶりに饂飩屋さんに入りました。みんな黙々と饂飩や蕎麦を啜っていました。

まさか日本人が、麺の啜り方を忘れた訳でもないでしょうが、どこか控え目の音でして、黙食の聞こえる筈のない音に負けんとき!と思ったもんです。

ここで、俳句の先輩より音もいいが、空気はどうだろうという助言がありました。

黙食の空気震わせ蕎麦啜る

わたしと感性が違うので楽しいです。


老いが身の余白の生の斑雪かな

(おいがみの よはくのせいの はだれかな)

季語は「斑雪」です。

斑雪とは、ところどころに地面をのぞかせながら、まばらに降り積もった春の雪です。

定年退職して、余白の生を過ごす身になったわたしですが、真っ白な何も予定のないスケジュール帳ではなく、斑雪のようにまばらにスケジュールもあります。

note仲間さんの多くが余白の人生に突入しています。でも、心はまだまだ少年少女です。

そんな永遠の少年や少女を詠んでみました。


水やり五百年真柏の緑

(みずやりごひゃくねん しんぱくのみどり)

季語は「緑」です。

盆鉢という、人間によって限られた場所で生きる盆栽は、一日でも水やりを怠ると枯れるそうです。

毎日、盆栽に水をやる人がいたから、樹齢数百年という盆栽があるんですね。

真柏という盆栽があります。白く白骨化する幹の芯とねじれていく幹が魅力的で、盆栽のなかでも人気があるそうです。

人間にしても、怠ることなく、毎日、毎日、手をかけてやらないと枯れてしまう、そんな存在かもしれません。


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端から端まで歩いても、60秒もかからない、小さな商店街の市場です。魚が美味しくて、買った魚を料理してもらって、食べることもできます。