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仕事で自己表現
秋刀魚焼く尻尾はいつも母の膳
昨日、note仲間がくれたコメント、それが「仕事で自己表現できるって、幸せ!」。
ほんとうにそう思う。よく言われるけれど、あたしたちは人生の大半を学生、それから、社会人として過ごしている。
社会人=労働をしている人、とは一概に言えないだろう。よく考えると分かるようで分からない社会人の範囲。ちゃんと答えられないあたしは、社会人としても未熟なんだろう。
それはさておき、20歳で就職、晴れて親から経済的に独立し社会人となった。
たったの4年あまりだったが、労働の喜びと大変さを身を持って学び、そこからは闘病とボランティアとアルバイトで食い繋ぎ、気がつけば32歳のいいお年頃。
あれだけ来ていたお見合い話もとんと来なくなり、さて、これからどうするかいな。
そんな時に出会ったのが、看護学校で教師をしている女性だった。彼女の勧めであっさり看護師になることを決め、36歳、国家資格を取得し、遅咲きの看護師となった。
仕事で自己表現。
そんなつもりはないけれど、別に仕事でも、ボランティアでも、能動的に動いたらどれも自己表現と呼べるだろう。
看護師はたくさんいる。でも、あたしという看護師はあたしだけだ。
看護師1年目、院長の胸椎穿刺の介助についた時、介助方法が違うやろ!と注意された。その時は甘んじて注意されていたが、どうしても納得がいかず、介助の根拠となる文献を集めてきて、院長に言い訳をしに行った。
看護師長はビビっていたが、院長の目は笑っていた。
院長は外科の医師だったが、その後、外科の外来や手術室に配属となり、泣かされたし、可愛がってももらった。
すぐに涙目になるあたし。「泣きなや!」と言われて、「泣いてへんわい!」と診察室の仕切りカーテンに涙を吸わせながら、減らず口を叩いていた。
これも自己表現だろうか。
仕事で自己表現、どこまでの表現が適当か、分からない。そもそも、自己表現するもの?
でも、自分の無い仕事は詰まらない。やはり自分らしさ、自分をどこかに紛れ込ませたいあたしだ。
さて、そんなあたしのいる職場。渾然一体、不協和音、さてどっち。
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