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親日国ってなんだろう。
(2023年8月に下書きをしたものです)
日本語教育史、今年も終わりました。
今年のアップデートは山本冴里(2014)『戦後の国家と日本語教育』を読めたので、その内容も織り交ぜながら話をしました。
ところで、親日国ってこのところ受講生の方からよく聞くようになったので、ちょっとした違和感をもぞもぞさせていました。
『戦後の国家と日本語教育』と日本語教師
本書の理解が自分が十分とは思えないのですが、私として非常に印象に残ったことがあります。それは、戦後の日本語教育政策は、日本語教育を通した日本語への好意的な理解を醸成することによって、日本経済の発展を目標としてきたということです。そして、この本を読む中で、私はこの思想は、第二次世界大戦中に大東亜共栄圏で行ってきた「文化交流」や「皇民化政策」といったものとの共通点、少なくとも政策としての見取り図を共有するものではないか、と思いました。そして、日本語教師はその最先端としての役割を担うことになりうるのです。
なぜ「親●国」に注意が必要か?
例えばですが、あなたはセネガルについてどう思いますか?といきなり聞かれて、何と答えるでしょうか。サッカーが強い、タコを輸入しているなどがあるかもしれません。では、日本はセネガルにとって親セネガル国ですか?と聞かれれば、答えに窮するか、特に悪い噂も聞かないからそうなんじゃないかな、と思うくらいだと思います。人間、200近くある国について全てに精通することは不可能ですから、こうなること自体は問題ではありません。
しかし、「親日感情」は実態がつかみにくくいかにして作られたものかという点に注意を払わなければなりません。「親日感情」はもしかすると日本の「好意的な理解の醸成」の結果かもしれません。そうすると、さまざまな問題を覆い隠し、見なかったことにしているだけにはなっていないでしょうか。
ましてや、これが学習者を理解するステレオタイプとなることは最も避けるべきことです。例えば、台湾やトルコの学生は、彼らは「親日国」の学生だから、非常に優秀だ、日本に望ましいというのはというのは、彼らにとっても、それ以外の学生にとっても偏見に満ち満ちているものです。このような見方をしないようにするためにも、養成課程でもこのような考え方を抜けられるように気をつけたいものです。