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私淑する|学校/02 #3|関野哲也

《勉強を学ぶだけの場ではない。生き方や学びに対する姿勢を教えてくれた恩師のこと》

関野哲也(Tetsuya SEKINO)
1977年、静岡県生まれ。リヨン第三大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。フランス語の翻訳者/通訳者として働くが、双極性障害を発症。その後、福祉施設職員、工場勤務などを経験。「生きることがそのまま哲学すること」という考えのもと、読み、訳し、研究し、書いている。著書に『よくよく考え抜いたら、世界はきらめいていた』他。
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高校一年生のとき、クラスで下から二番目になるまで成績が落ちた。

勉強をしなかったからである。わたしは高校の寮にはいっており、夜は先輩のマッサージや身の回りのお世話に忙しかった。夜の自習時間は一時間半あったのだが、そのあいだに勉強できた記憶はほとんどない。先輩のためにコーヒーを入れたり、ラーメンを作ったり、先輩に話しかけられたり、とにかく集中できない。加えて、人の三倍努力しなければ何ごとも身につかない愚鈍なわたしにとって、そもそも一時間半の自習時間では足りなすぎた。

すると、授業がわからなくなっていく。わからないから、眠くなって授業中は寝てしまう。もっと授業がわからなくなる。もっとわからなくなるから、学校がつまらなくなって早退を繰り返す。早退して、誰もいない寮でのびのび昼寝をする。本屋で漫画を立ち読みして時間をつぶす。そうして授業にも出なくなる。結果、成績は右肩下がりに落ちていく。

ところが転機が訪れる。一年生の終わりに、普通コースと英語コースへの進路分けがあったのだ。わたしは英語が勉強したくて、英語コースを希望したのだが、やはり成績がふるわず許可されなかった。二人の英語の男性教諭に職員室に呼ばれ、普通コースへ行くようにと諭された。「二年生からやり直したいです。だから英語コースに行きたいです」とお願いしたのだが、もう定員がいっぱいだからという理由で断られてしまう。悔しかった。しかし、それまで勉強してこなかった自分がわるいのだと自分に言い聞かせた。

だが数日後、もう一人の英語の女性教諭が、二人の男性教諭にかけあってくれたようで、わたしは英語コースへ進むことが決まった。授業のあと、女性教諭に呼ばれてこう言われた。「関野くんは最近がんばっているんだから、絶対に大丈夫よ。このまま英語コースでがんばりなさい」と。このときは、涙が出そうになった。今でさえ、こうして思い返すと泣けてくる。先生にしてもらったことは一生忘れない。絶対に先生の期待に応えてみせる。そう思った。この言葉が転機となり、二年生のはじめから卒業するまで、成績は右肩上がりによくなっていく。二年生になると、先輩のお世話から解放されるので、好きなだけ勉強できたということもある。

学校は各教科を学ぶ場だ。そしてもうひとつの大切な役割は、先生という師から人生や生き方、学問への姿勢を学ぶ場でもあるということだ。生徒の人格形成のうえで、先生の人格が及ぼす影響は大きい。あの先生のようなひとになりたい、そう感化される場が学校だと思うのだ。恩師である女性教諭がそうしてくれたように、わたしはひとにやさしくありたい。つまずいているひとの芽を摘むのではなく、むしろ可能性を引き出してあげたい。そう強く思うようになった。

ところで、わたしが女性教諭から直接的に感化されたように、本をとおしてその著者から間接的に何ごとかを学ぶということもあるだろう。本をとおして著者が師となる。著者に私淑することができる。『デジタル大辞泉』によると、私淑とは「直接に教えは受けないが、ひそかにその人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶこと」とある。わたしはこの「私淑」という言葉が好きだ。なぜならここまでの人生の大半は、わたしは本をとおして学んできたし、本のなかに私淑する師がたくさんいるからだ。

わたしが本格的に哲学を学んだのはフランスに留学してからで、日本の大学で専門的に学んだことはない。ではそれまで何をしていたかというと、本をとおして勉強していたのである。特に、哲学を専門とする二人の著者を好んで読んでいた。お名前を挙げると、永井均先生と野矢茂樹先生だ。お二人からは、どう考えるかという「哲学する術」を学んだ。だから、お会いしたことはないのだが、このお二人が日本での哲学の先生であり、わたしが私淑する哲学の師なのである。

約10年前にわたしは双極性障害を発症し、その苦しさに耐えられず、解放されたいと切に願った。そして、何度も死のことを考えた。しかし、そのときに救ってくれたのが哲学であり、「哲学する術」だった。哲学の問いを考えているあいだは、もっと考えたいと思えた。だから、もう少し生きてみようと前を向けた。

わたしにとって、考えることが生きることになった。自分にとっての切実な問いを考えるために、今日も生きてみる。わたしはそのようにして、これまで生きてこられた。考えること、考えたことを書きつけること、それが死に抗うことだと思って生きてきた。だからわたしにとって、哲学は〈救い〉なのである。人生の土壇場で踏みとどまる「哲学する術」を授けてくださった永井先生と野矢先生という私淑する二人の師に、心から感謝している。そしてもちろん、あのとき転機を与えてくださった高校時代の恩師にも。

文・写真:関野哲也


>>次回「学校/02 #4」公開は10月16日(水)。執筆者は安達眞弓さん

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