再開した『物盗られ妄想』でいろいろ考えた話
1.
母が認知症になった時、一番先に気づいた症状が、手足が上手く動かなくなるパーキンソン病と、幻視。『レビー小体型認知症』の特徴でした。
幻視は、夜寝ていると部屋に、母の兄弟姉妹のだれだれがいるのだと、普通のことのように聞かされました(時には私もいたそうです)。これはこれで困惑しましたが、夢みたいなものだと思い、比較的穏やかな対応ができました。
かなり困ったのは、次に出てきた『物盗られ妄想』でした。
ターゲットは義姉。兄のお嫁さんです。
2.
義姉と母の関係は、良好というには少し距離がありましたが、少なくとも悪くはなかったように思います。
ただ、父の葬式の際は本当にお世話になり、殆ど動けなかった母のことを、あれこれと細かいところまでお世話をしてくれました。
最初におかしな事(義姉の悪口のような話)を母が言い出した時には、「お母さん、お葬式の時、どれだけお世話になったか忘れたの?」と母を怒ると、母は「あ、そうね。もちろんそうよね」とその時は返してきました。
そのうち「あの人がネックレスを盗ったの」「指輪をもっていって返してくれない」「靴を返して欲しい」等と、事実無根のことを口にするようになりました。
3.
きっかけは、母が自分から「いらないからもらってほしい」と言い出し、義姉に何らかのアクセサリーをあげたことでした。
自分はその場にいなかったのですが、騒ぎが起こって返却されたモノを見ると、カジュアルな、おもちゃのようなもので、自分で働いてブランド物のかばんや靴を買っている義姉が欲しがるものとも思えません。
アクセサリーは母の手元に戻しました。しかし今度は、母が自分で引き出しや箱にしまったにもかかわらず、その場所を忘れ『盗られた、盗られた』と言うようになりました。
これはエスカレートしていき、財布、通帳などを、失くして(忘れて)は『あの人に盗られた』と言ってきました。
4.
言い方にも種類があって、文字通り怒ってる時もあれば、「お金に困っているのね、仕方ないわね」という諦めてるような言い方もあって、何となく後者の方がタチが悪い気がしました。
最初は私も、「盗られてないよ、思い過ごしだよ」「自分でここに入れたよね?」と、母に言い返していました。そもそも義姉は近くに住んでいますが、一緒に住んではいないし、何もなければ顔を合わせるのも月2回くらいです。
こちらが何度も、理詰めで『盗る訳ないじゃない(盗れる訳もないじゃない)』と言っても、全く通じませんでした。『あの人が盗った』というのは母の中で、デフォルトーー動かせない事実になっていたのです。
5.
ネットで検索すると、同じ症例がたくさん出てきました。
本当にたくさんあり、みんな苦労してるんだな、と共感しながら読んでいくと、ターゲットになりやすいのは『一番身近で世話をしている人』で、だから『余計につらい』とありました。
なるほど、と思いましたが、なぜ?と、納得できない思いもありました。なぜ『一番身近で世話をしている人』なのか?も疑問でしたが、母を一番身近で世話をしているのは私で、次は兄です。なぜ義姉だったのか?
とりあえずその時は、おかしくなっている人に理屈は通じない――と自分に言い聞かせ、『誰も信じていないから気にしないよう』に兄と義姉に伝え、母に対しては、話題をそらすことで対応しました。
話題を変えると、不思議になるくらいあっさりと、母の意識は別方向に動きました。
これも認知症ゆえのことなのですが、この時ばかりは感謝しました。その内、次第に『盗られた』と話す回数は減っていき、気づいた時には全く聞かなくなっていました。
6.
また『盗られた』と言い始めたのは、1年後くらいで、今度のターゲットは義姉でなく、兄でした。
母は年金を受け取っていますが、徐々に銀行に行くのが難しくなって、時々は兄に代理で引き出しを頼んでいました。
行くたびに、記入された通帳を見せて確認を取って、現金を渡していましたが、忘れてしまうことが多くなり『盗られた』が始まりました。
私に通帳を見せ、「ほら全然ないでしょ?あの子に盗られたのよ」と真剣に話す母の目が怖く、兄が気の毒でした。
7.
ちなみにおろした現金は、母がたまに行く美容院やパン屋、和菓子屋さんで使うか、部屋の引き出し(とてもたくさんある)や衣装タンスの服の中など、どこかに入ってました。
そのことを指摘すると、一時的に納得することもあるのですが、すぐに『盗られた』に戻りました。
今回も、怒っているというより、殆どは「あの子も苦しいのね、お金ないからしかたないのね…」という反応でした。当然ながら、この反応は兄を苦しめました。
兄は自営業で、比較的時間の融通が利くので、平日、私がいない時のお昼を母に運んでいます。つまり義姉より母と接することが、かなり多いのです。
8.
母の『お金がないので母親のお金を盗る、かわいそうな息子』を強調する態度は、傍目から見てもひどく、兄も、またそれを聞かされる自分も精神的に参りました。
怒鳴っても仕方ないのは分かっているのですが、何度も何度も聞かされると、我慢できずに声を荒げて言い返してしまいます。しかし相手は、何を聞こうと「分かってるのよ、お前はお兄さんの味方だからね…」と、こちらの神経を逆なでする言い方をして、決して持論を曲げません。
家へ来るケアマネージャーさんに相談してもほとんど意味はなく、対策と慰めを求めて、ネットを検索する日々が続きました。
9.
ある日、医療関係の知人から、『物盗られ妄想は、当人の罪の意識がそうさせるのでは?』という話を聞きました。
介護は毎日の食事、入浴、排せつ等、生活全般に関わるので、介護される側も忘れることや意識しないことは不可能です。そこまで世話になっている相手に、何も返すことができないのは人として辛い…
だから「あの人は自分に対して不利益な行いをした」と思うことで、「あの人が自分の世話を見るのは当然だ」と、自分のうしろめたさを消去することができる、という説でした。
10.
これはすごく納得できました。また、妄想(願望)を、自分の中で事実にしてしまう思い込みの強さに、『認知の歪み』という言葉の怖さを今更のように感じました。
日頃、それほど親しくしてこなかった義姉から受けた親切、『長男』に食事の世話をさせていることは、母にとって耐えがたく重いことだったのが察せられます。
そして、それは、母にとって私が、初めから『自分の世話をして当たり前』の子供であることも察せられました。疑われないのは有難いですが、多少複雑な気分でした。
11.
原因らしきものが分かった物の、現状は変わってません。兄は、「もう慣れたからいい」と。あと、母が兄を責める時の目が、『どっかいっちゃってて』…怖かった、とぼそりと言いました。
一緒に暮らしていた祖父母を、自分も兄も覚えています。多少の騒動はあったものの、何の前触れもなく、眠るように逝った彼らの老い方は、今見ている認知症の症状とあまりに違います。
多分、自分たちは考えを改め、覚悟する必要があるのでしょう。
12.
昨日も、少しショッキングなことが起こり、それが認知症としては割とポピュラーな症状だと知りました。
これからも、まだまだこの手のことは起こるのでしょう。
それを『怖い、いやだ』と思ってしまうのは仕方ないですが、頭の中に僅かにある『新しい症状だ。知らないことを調べるのは楽しい』の方を伸ばしていきたいなーと、夜明けの空をぼんやり見ながら思いました。
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