【日記】世界の枕経としての映画『関心領域』
ディランの Tryin’ To Get To Heaven という曲に「わたしが見たのは、かれらが見せてくれたものだけ(I only saw what they let me see)」という一節があるが、映画『関心領域』の映像に関していえばまさにそれで、そのままわたしたちの現実ともいえる。この作品は映像が虚仮で、音だけが真実なのだ。何ならところどころうとうとと居眠りをしても構わない。いや、少年が寝室でおそらくガス室で死んだものたちの銀歯のコレクションを広げていたり、庭の肥料に焼却炉の人灰が撒かれたり、遺品の衣類が配られたり、さまざまな切れ端は垣間見られるのだけれど、何も説明されないのでそれらは何もなかったことに埋没していく。つまり「目」は見させられたもの、見たいと信じ込もうとしているものが映っているのだが、「耳」からは常に見捨てられた異物が絶え間なく入り込んでくる。そうして人びとは少しづつ、狂っていく。わたしはこの作品のサウンドトラックが欲しいと思った。全編で使われた塀の向こう側からのノイズだ。それをエンドレスでリピートしてヘッドホンで大音量で流しながら日々を暮らしてみたい。それがわたしたちのあべこべの世界を反転させる唯一の方法かも知れない。人は死にゆくときに瞼を閉じてしまえば何も見えなくなるが、随意的な運動機能を必要としない聴覚だけは最後の最後まで残っているという。死者の耳元で唱える枕経の由縁である。であればこの映画『関心領域』は、みずから見ようとしない世界にとっての枕経のようなものかも知れない。
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