日赤募金の協力についての文書について、発信元である「〇〇〇市日赤活動資金募集協力協議会」(何のことはない。本体は自治連合会で、事務局を市の厚生福祉課に置いている)に話を聞きに行った。
そもそも「任意で自由」なはずの寄付に「目標額」を設定することが矛盾しているし、それによって自治会役員が板ばさみになって町内会費より「目標額」を支出、それが町内会の会計を圧迫している現実がある。市役所もそうした実情をもっと把握して、いい加減に単なる日赤の体のいい集金システムと成り下がっているこうしたやり方を見直すべきではないかと「目標額の記載削除」を求め、どうしても「目標額」を設定しなければならない根拠を教えて欲しいと執拗に食い下がった。
最初は初老の担当者が相手をしていたのが、困った顔をしながら何度か奥座敷へ相談に引っ込み、最後に「仕方ねえなあ」といった感じで偉そうに後ろの席から出てきたYヤマナカとかいう課長は「日赤が言ってくる目標額を協議会で検討しただけ」を繰り返すばかりで、最後に「これだけ説明してもダメなら、もう分かってくれなくて結構」と言うので、わたしも流石に激昂して「それならこんなもの、送ってくるな。あんたらが送ってきたから、内容について問い合わせしているんだろ。分からなくてもいいとは、どういうことだ」と声を荒げたのだった。
上記の「厚生福祉課課長とのバトル」について、SNS上で知り合いの市議にわたしが寄せた上品なコメントがあるので、多少これまでの記述と重複する旨もあるが、そちらも引いておこう。
以下、怒りに任せて書いたものの、無駄な苦労だと結局出さなかった文書。バトルの最後に「名刺、頂けますか?」と言うと、件のYヤマナカはこれまた「面倒くせええなあ」オーラを全開放出しながらじぶんのデスクまでもどっていって、投げやりといった感じでわたしに名刺を渡した。余程、この文書をY課長の鼻っ先に突きつけてきてやろうと何度も思ったのだが、これ以上、希望の見込めないやりとりに費やすエネルギーが当時のわたしにはなかった。けれど、内容についてはいまも間違っていないし、有効だと思っている。
行政や社寺仏閣などの体の良い集金システムの末端に貶められている町内会で、8割にも及ぶ寄附金が町内会を疲弊させているという現状に対して、「それは大変ですね! う~ん、いっしょに何か考えましょう」という言葉すらも出ず、ひたすら組織の馴れ合いや慣習ばかりに寄り添い、「分からなくて結構だ」と宣言する行政など、必要があるのだろうか?
ジョン・レノンはかつて「神はわれわれの苦痛を測る物差しに過ぎない」と歌った。であるならば、国も地方自治体も、所詮は人が集団でよりよく生きるための「方便」のようなものに違いない。「方便」を支えるために人が犠牲にならなければいけないとしたら、本末転倒なことだとわたしは思う。
以下の内容で、連載を予定しています。
第一部 【町内会 顛末記】自治会長というのをやってみた
第二部 【町内会 顛末記】町内会を殲滅し廃墟の中から真実の自治組織の出現を待とう
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