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【Book】『知らなかった、ぼくらの戦争』(小学館)

 SNSではいろいろ不思議な縁があるもので先日、老母と呉線に乗って広島へ行くという投稿をアップしたところ、大阪・豊中の小学校の先生が旧陸軍の毒ガス製造の大久野島について書かれたこの本をすすめてくれた。

 地元の図書館にあった本を借りてきて、毎日すこしづつ読み継いでいたのだが、これはとても良い本です。

 ミシガン生まれで日本語で詩を書くアメリカ人の著者が、さまざまな立場で戦争を体験した日本人を訪ねて話を聞いた記録。

 アメリカの日系人強制収容所にいた人、真珠湾攻撃に参加したパイロット、北方領土にいた人、毒ガス島で働いていた女学生、多くの戦友が死んだニューギニアへ移住して遺骨収集をつづけた人、硫黄島で捕虜になった通信兵、戦艦大和の最期を見た駆逐艦の少年兵、漫画家のちばてつや、与那国で生まれ台湾で育ち戦後は「日本」東京と米国領「沖縄」を密航して勉学に励んだ人、千数百人の疎開児童が海に沈んだ対馬丸の生還者、「軍隊は国民を守らない」と語る元沖縄県知事の太田昌秀、「戦争に勝ったら修学旅行でニューヨーク」と教師にそそのかされて英語を勉強し戦後に渡米し詩人となった郡山直、落語家の三遊亭金馬、広島・長崎のそれぞれの被爆体験者、全国に投下された模擬原爆を調べた名古屋の中学の先生、戦後GHQで朝鮮戦争の兵士の家族との連絡事務をしていた女性、「みんなが戦争にのっていった」と語る映画監督の高畑 勲。そのだれもが大仰ではない等身大の目線で「日常」のなかの戦争を語る。

 そしてそれを聞くアメリカ人の著者は自国の偽善にも厳しく、広島を訪れ平和スピーチをしたオバマを「岩国の米軍基地の激励のついでにちょっと立ち寄っただけの時間」と喝破する。

 戦争を語れるひとはまだまだ生存しているし、残さなければいけない話はまだ無数にある。ほんとうなら日本人であるわたしたちが聞き取らなければならなかった話をアメリカ人の著者が聞き取り残してくれた。

 ならばこんどは日本人であるわたしたちは、在日コリアンをはじめとした日本人以外の人たちの日本での戦争体験を聞き取る番ではないかと思った。そうしていつか、歴史は相対化されていくのかも知れない。

 巻末に著者はこの日本では「戦後」と「平和」がほとんどセットになって語られるが、「たとえば朝鮮半島がすさまじい戦場と化し、米軍が空から海から攻撃を繰り返し、その出撃基地も補給も含めて兵站上、必要な拠点をすべて日本が提供している状態」を、果たして「平和」と呼んでいいのか? と問い、アメリカの詩人、エドナ・セントビンセント・ミレーの「平和」の定義を紹介する。いわく「平和とは、どこかで進行している戦争を知らずにいられる、つかの間の優雅な無知だ」 

 いや、単なる「優雅な無知」だったら、70年はつづかないだろう。
 たとえ人口的に「優雅な無知」ですごしている者が多くても、中にはあの戦争を背負って後始末しながら日々、「平和」を生み出している人がいる。その営みがあって「戦後」という日本語は、現在も意味をなしているのじゃないか。
「戦後70年」のとき、ぼくは先人たちの「戦争体験」を聴こうと決め込んで、マイクを片手に出発した。が、実際に向き合って耳をすまし、歴史の中へ分け入ってみたら、一人もそんな「戦争体験」の枠には収まらず、みんなそれぞれの「戦後づくり」の知恵を教えてくれた。
 後のことを放置せず、大事な仕事として引き継ぎたい気持ちで、ぼくは胸がいっぱいだ。
「戦後づくり」以外に、たぶん生き延びる道はないと思う。

アーサー・ビナード『知らなかったぼくらの戦争』(小学館)2017


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會田 陽介
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