【ペンギン・ハイウェイ】 - 少年は、おとなへ -
夏休みまえのある日、登校中に不思議な光景を目にする。住宅街にペンギンが現れたのだ。
小学4年生のアオヤマ君は、ペンギンを研究することに決める。
歯磨きを忘れて虫歯になるほど勉強熱心なアオヤマ君。
ある日、歯科医院に勤めるお姉さんの投げた缶コーラがペンギンに変わる瞬間を目撃する。
「この謎をといてごらん。どうだ。君にはできるか」
ペンギンの謎を解明することは、お姉さんの謎を解明するのとイコールになる。
友達のウチダ君と調査をつづけている森の丘に「球体の海」があることをクラスメイトのハマモトさんに教えられる。仲間は3人となり、海の研究をはじめる。
世界を揺るがす秘密が隠されていた。
◇
小学生の夏休み、こどもから見えている世界は狭い。
だからこそ、夢中になれる。
不思議なことに興味をもって、疑問をもって、わくわくしていた、あの時間。特別なことは身近にあって、刺激的な毎日だった。
高揚感が原動力となっていた、こども時代。
そのときの感覚が、思いだされる。
成長とは、世界が広がっていくこと。単純だけれど、忘れていた思いが蘇る。
角川書店:2012.11.25
文庫本:400ページ
映画【ペンギン・ハイウェイ】
キャラクターに命が吹き込まれたアニメはいいですね。同時に想像力の足りなさも痛感させられました。
映画はいろいろと、炎上していたようです。
不快に思われた方の意見は、個人の感情というだけで、作品の感想ではありませんでした。
作者は1979年生まれ。
原作は2010年です。
時代が古くなればなるほど、価値観や表現のズレは、あってあたりまえ、なのです。当時の時代背景、作者の意図、育った環境、どうしてこう表現されているのかを、考える材料は多くあります。
この作品はいわゆる「世界系」というものになります。
2000年代前半に登場し、流行りました。主人公の少年と、年上の女性の、ローカルで日常的な関係である「ぼく」と「きみ」が、「世界の危機」や「世界の破滅」といった存在論的なものに対して、救済する構成となっています。
裸体の絵画をアートとして観るのか、ポルノとして見るのか、それくらいの違いに感じます。
お姉さんのおっぱいが気になるアオヤマ君は、エロスではなく哲学的に考察しています。研究者とはその対象への配慮に無頓着なものです。
これは虚構の物語なので、リアルとは分けてしかるべきです。
「事象の地平面」- イベントホライズン -
時空の閉じた領域の境界面は観測できない。
知らないことは、認識できません。
知る権利を放棄して「拒絶」するのは、もったいない。どうせなら、寛容であったほうが、世界は美しく、鮮やかですよ。
好奇心を忘れた老人になるくらいなら、バカにされても、少年でいることを、望みたい。
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