「純文学はつまらない」という人へ
純文学の新人賞で有名な「芥川賞」は毎回といっていいほど賛否両論の飛び交う楽しい賞になっています。
純文学に対して、否定的な意見の大半はこの3つ。
つまらない
意味不明
文章が難しい
そう思います。若ければなおさら。私は面白いと感じるようになったのは30代になってからです。
そもそも純文学の定義とはなんでしょうか。歴史からたどるとわかりやすいです。
明治時代に定義された日本の純文学は、暗いものだったようです。負の面を捉えているから内容が重くなりやすい。
旧時代の価値観だと、人間の本質は暗いものだとされていたのだから、楽しい内容にはなりえません。
明治になるまでは、物語性の薄い小説だったようですね。大衆小説にくらべて面白くないのは、こういった歴史をもっているからかもしれません。
それでも、明るい内容かと問われれば疑問に思います。明治以前の小説はどれだけ暗いものだったのでしょうか。
つい最近の話ですね。争いのたびに枝分けがなされ、差別的に区別されていく。どの分野でも一緒ですね。
「人類の歴史とは戦争の歴史である」といわれるように、人は争わなければいけない宿命にあるようです。
面白さを追求した大衆小説に対して、芸術的価値を追求した純文学では、そもそも比べるものではないのでしょうね。
つまらないという意見は、当然の結果のように思えます。さらに、追い打ちをかけるように「純文学論争」というものがありました。
子どものケンカをみているようです。定義と論点がズレているため、議論にもなっていません。知性の高いであろう先生方でも、感情的になってこのような低俗な争いを繰り広げるのですね。
すこし脱線しました。
純文学がつまらないといわれる原因をまとめます。
負の面を捉えた暗さがある
筋の面白さにこだわっていない
文体が難しく書かれている
ある程度の読解力を必要とする
それぞれの時代の主義主張によって文体が異なることから、純文学は哲学と似ています。
学問としてではなく、芸術作品と定義された純文学ですが、文章の奥にある真意を問うことは学びになります。
学ぶことが楽しいと感じる人にとって、純文学は面白いものです。
わからないと感じたとき、なんでだろうと知りたくなる欲求が湧いてきます。それが知識欲です。その欲求がないと、理解できないコトは苦痛になり、つまらなく感じるものです。
つまらないと感じたなら、まだ時期ではないということかもしれません。もうすこし成熟したら、きっと面白いと感じることでしょう。
分析力と理解力がピークを迎えるのは40代といわれています。その頃になったら、目を通してみるといいかもしれません。