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雑記帳「ベンチの無敵」
自分ばかり、どうしてこんな目に遭わなきゃならんのだって思うことがある。自分の頭上にだけ雨が降っているような気になってしまうことがある。他人の地獄を想像出来ずに自分だけが針山にいるような気分になっていることがある。
少しばかりの苦痛ならまだ耐えられる。それが成長に繋がるのだろうし、痛みは今後のネタになる。
だけど、それが溜まると、それだけしかない日々は自分の不幸を他人を道連れにして昇華させたい、などと思いがちになる。
だいたいは気にかけてくれる人やそんな嫌なことすら忘れさせてくれるものがその思いを断ち切ってくれるのだが、それが全て崩れ去っていった時、人は自分すらも放棄してしまう。その時が「無敵」になる時なのかもしれない。
他人や趣味といったストッパーは自分自身で保ち続けなければいけない。様々な要因で人は簡単に離れるものだし、趣味は当人がそれに対しモチベーションを保ち続けなければ離れていってしまう。
言わば、砂の城。みんな、無敵になりやすい状況の中、運と環境とスキルでそれを防いでいる。無敵というフィールドでベンチにいるような状態だ。
無敵になったら、なんでも出来る。人の道を踏み外すことも、他人の生命を奪うことも。自分自身を大切に出来ないから、他人も大切にできない。全てをめちゃくちゃにすることでしか、自分の不運を成仏させられない。本当はそんなことないのに、それしかないと思うようになる。
実を言うとみんなその淵にいるのに、あたかもそことは遠く離れた安全な場所にいると思っている節がある。そして、無敵となった人にいとも容易く「ひとを巻き込むな」「1人で死ね」と言う。そういうことを平気で言うから、無敵は安全な場所を襲うようになる。
誰かの言う、1人で死ね、努力不足、自己責任と言う言葉によって、また無敵はどこかで放たれるのかもしれない。
誰もが無敵になれる社会で、無敵にならないために、自分で自分の機嫌を取らなきゃいけない。ストッパーの存在をいくつも確かめなきゃいけない。ストッパーがなかったら、作るか、それのない自分を自分で認め、とにかく気を紛らわせなきゃいけない。
どうか1人でも多くの人が自暴自棄にならないように。
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