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さるすべりの転がる坂道

風が立った。
まだ枯れてもいないのに散ってしまう百日紅(さるすべり)の小さな花が、まるでばらけたネックレスの珠のように歩道の脇に転がる。

茜色に染まり始めたいわし雲の合間、飛行機の鋭いライトがほんの数秒だけ見える。その横には少女の胸のように膨らみ始めた上弦の月。

家から坂道をちょっとだけ登ったところに、西播磨の野菜などを売っている店がある。形は不ぞろいだが新鮮で安い。買い出しついでにふと、もうちょっと頑張って坂を登り、夕暮れの神戸の街を見たくなった。
三脚を担いで家を出る。海からの風が強くて坂道を登るのに背中を押してくれそうな夕方だし。

風見鶏の館を横目に見て過ぎ、オーストリアの館のところで山手に折れる。
つま先上がりの坂道、・・・・というレベルではない。四つん這いになりたいほどの急な坂が続く、途中には見捨てられて朽ちかけた異人館が何棟かあるが、やがてうろこの館の背後に回りこめば瀟洒な黒塗りの民家を最後に急に山に入る。

道は荒れていて、コンクリートの割れ目から盛りに出遅れた百合がぽつねんとうつむき加減に花を咲かせている。人影などまったくなく、藪の中からがさごそと音が聞こえるのは猪に違いない。もしこちらに向かって来たときには対決しなければならないと、思わず三脚を構えてシミュレーションしてみる。

ともかく夕暮れ時に一人で来る場所ではないなと思いつも、あと150メートルという看板に勇気付けられて見晴らし台まで登り詰めた。

見晴らし台とは名ばかり、木々が邪魔で大した視野は開けない。いちばん絵になるはずのうろこの館の塔までが大きな楠で隠れてしまう。せっかくだからと数回シャッターを切ったら、すぐに帰りたくなった。

が、どうしたことかそこへ若いカップルが登ってきてしまった。二人の間にはまだこなれた感じはなく、それなのに女子からはなんとも言い難い阿婆擦 (あばず)れた空気が漂い、白いスカートから出た脚をやたらと掻いている。

私は仕舞いかけた望遠レンズをもう一度カメラに取り付け、Daimaru や Hankyu のネオンサインに焦点を合わしたり外したりして時間を稼いだ。そう、意地悪な気持ちがあふれ出てきた私は見晴らし台に居座ってしまったのだ。普段ならそんな無粋な真似はしないのだが。

根競べに負けた二人が薄闇の山道を下って行ったのを確かめて、私は三脚を畳み見晴らし台を後にした。

もう異人館や土産店はすべて閉まった時間で、そのかわりに一般の家々の灯りに坂道がぼんやり照らし出される。こんな急峻な坂道の上にも人の営みがある。それは長崎でも感じたことだ。しかし長崎とは何かが違う。長崎にあるものが神戸にはない。神戸の山際には、意外かも知れないが、得もいえない場末感がある。その言葉が良くないとしたら、「栄華を垣間見た後の凋落の果て」を漂わせる空気がある。

風は強まり、水銀灯の光の下、昔の北野を知っているかのようなオシロイバナが舞踏会を始めている。しばらく鑑賞していたいが仕事のメールが入り、さるすべりの花のように坂道をころがり落ちる。

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(最後の画像は六甲山からの夜景です。この記事には直接関係ありません)

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