ジョイス ダブリナーズ『出会い(An Encounter)』(問題篇)
ネタばれかもしれないので注意。
このノートは、「Deep Dubliners — ジェイムズ・ジョイス『ダブリナーズ』オンライン読書会」の予習メモです。
https://www.stephens-workshop.com/deep-dubliners/
読んだのは下記。
『DUBLINERS』NORTON CRITICAL EDITIONS Edited by Margot Norris 2006
『The Collected Works of James Joyce』THE CASTANEA GROUP (kindle版)
『ダブリン市民』安藤一郎訳 新潮文庫(昭和58年11月20日 43版)
『ダブリンの人びと』米本義孝訳 ちくま文庫(2008年2月10日 一刷)
『ダブリナーズ』柳瀬尚紀訳 新潮文庫(平成22年3月1日 一刷)
以下、原文の引用は1から(D En.行数)、翻訳は5から(D-Y En.ページ数)。
ジョイスが「Wild West」といえば、西部劇よりもイギリスの西に位置する非文明的なアイルランドであろうかと思い、裏庭(back garden)といえば、それはイギリスの裏庭のアイルランドであろうかと思う。
であれば、厩に立てこもり攻囲戦を繰り広げるインディアン(ママ:以下略)は、独立運動のアイルランド人ということになる。
このインディアンを真似るのは、最初はリーオ・ディロン(弟)とジョウ・ディロン(兄)であったが、学校をサボってピジョン・ハウスに向かう際、リーオ・ディロン(弟) は約束を破って不参加、インディアン役はマホニーになる。
ディロン家は敬虔なカトリックでありジョウは司祭になっている。弟リーオも宗教的な意味を負わされて、カトリックとアイルランド独立運動の関係を示唆している(どう示唆しているかはここでは踏み込まない。というかわからない)
より興味深いのは「攻囲戦」である。
朝、「ぼく」とマホニーは、運河橋で落ち合う。マホニーはポケットに catapult (パチンコ)を入れていて、
bulged している。
参考にした翻訳はすべて「はみ出ている」としているのだが、本来「ふくれている、出っ張っている」という意味である。
このパチンコで女の子を狙うという場面もあり、日本語にも「テントをはる」という隠語があるくらいで、catapult=陰部が突き出しているという、後々の「男」とのくだりの伏線をはっているのではなかろうか。
ま、はみ出してもいいんだけど。
とにかく、「ぼく」とマホニーは二人でピジョン・ハウスへ向かう。
途中、山ほど面白い言い回しがあるのだけど、とりあえず、
ここでもまた、攻囲戦である。しかも3人いないとできない、と念押ししている。
これは、3人になったら攻囲戦をする、つまり、2人対1人になる、という予告であろう。
そして、3人目が向こうからやってくる。黒緑色という腐ったアイルランド色の男だ。
当然、「ぼくとマホニー」対「男」の攻囲戦であろうと思うが、一度だけ、「私たち(us)」が「ぼくと男」を意味する瞬間がある。
朝、庭に book を隠してきた「ぼく」と「男」は「us」になり、ここでマホニーが「ぼくと男(us)」をまじまじと見つめ、攻囲戦が裏返る。
ここから「男」は sweethearts の話や、女の子の話を延々と(He repeated his phrases over and over again (D En.235-6) まるで自分の言葉の周りを巡るように繰り返す。
しかし、ここでより奇妙なのは、「ぼく」の態度だ。
「男」が話している間も、マホニーが「—I say! Look what he’s doing! (D En.245)」と絶叫しても、「ぼく」は足元の一点から目を離せない(gaze)かのように、俯いて黙っている。
【問題】
ぼくのこの麻痺(パラリシス)は、一体、何が原因なのか?
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