私にとってのテキトーフォーミー
「やあ、まあち。それってほんとうにやりたいこと?」
かばおさんが話しかけてくる。
かばおさんは藤澤製本さんに住んでいるカバの妖精だ。
誰の心の中にもかばおさんは住んでるって誰かがいってた。
やりたいことだけやってられたらいいんだけどね、かばおさん。やらなくちゃいけないことだってたくさんあるんだよ。
「じゃあ聞くけど、それってワクワクしてる?」
……かばおさん、痛いとこついてくるな。どうかな、ワクワクしてるかな?
ナチュラルにベストな自分
「テキトーフォーミー」がくれるのは「毎日のパフォーマンスがナチュラルにベストな自分」。
ナチュラルにベストな自分って、どういうことだろう。自分らしく活動できるってことかな?
そういえば、私が仕事や活動をするときの指針としているものがいくつかある。
楽しいや面白いがあるか、ワクワクするか。
フリーランスで仕事をするようになって、なぜだか分からないけれど、いろいろなところから声をかけていただけることが多い。
そして、どれもこれも面白そうって思うことばかり。
自分ひとりでは見つけられないような挑戦をさせてもらえることもあるし、やっぱり何かのご縁だし、有難いとしか言いようがない。
少しぐらい大変なことでも、楽しいや面白いと思えるなら頑張れる。決して無理をしているわけではないけど、そこにワクワクがあるなら、しんどいなって思うことも乗り越えられる。
ポジティブな意味で「なんでわたしあれやこれをやってるの??」って思うことばかりだけど、いろいろな挑戦ができていることで、さらに面白い未来につながっていくはずだ。
そうやって、ワクワクに従っていろいろなことに挑戦している自分は、ナチュラルにベストと言える。
何をするかではなく誰といるか。
どんな活動をするかよりも、誰と一緒に活動をするかは重要。だって、一緒に活動をしたい人とだったら、少しぐらい大変なことでも頑張れちゃうから。
それは人に限らない。
たとえば「ライターゼミ」。たとえば「みんなのカレッジ」や「reborn」。
参加しているコミュニティであったりお仕事先であったり、好きだからこそ活動していて楽しいしワクワクも持続する。
少しくらい大変でも、やったことのない業務でも、多少(?)の無茶ぶりでも、好きだからこそワクワクがあるし、そこにワクワクがあるならやりたいと思うし頑張れる。
そうやって、好きだと思える場所や仲間と一緒に活動している自分は、ナチュラルにベストだと言える。
推し活と思えるか。
「誰かのサポートをしたりフォローをしたりするのが好きで、やっていて楽しくて仕方がない」
少し前にそんな記事を書いた。
この記事では「推し活」とまとめたけれど、大切な場所や仲間を「推し」だと思ったら、何をするにも楽しいばかりじゃないかしら。
決して無理はしてないし、楽しいからこそ持続して活動できる。
細かいことが気になってしまう心配性なので、むしろ気になることは進めていかないと気持ち悪いってのもある(笑)
そうやって、サポートやアシスタントとして裏方で走り回ってる自分は、ナチュラルにベストだと言える。
テキトーフォーミーは変化していく
今回、「私にとってのテキトーフォーミー」について考えてみて思ったのは、もしかしたら「私にとってのテキトーフォーミー」ってその時その時で変化していくんじゃないかってこと。
楽しいやワクワクってずっと続くものとそうじゃないものがある。
新しくワクワクする何かが現れるかもしれないし、好きだと思える場所だってきっと増えたり変わったりする。もちろん「推し」も増えていく。
環境もあり方も少しずつ変化していくはずだから「私にとってのテキトーフォーミー」が変化するのも当たり前。
今の私にとっての「テキトー」は、3年後や5年後の私にとっても「テキトー」であるとは限らない。
「テキトーフォーミー」を考えることは、自分と向き合うこと。
ナチュラルにベストな自分はきっとその時々で違うから、考えて意識をすることで、いつでもナチュラルにベストな自分でいられるんじゃないだろうか。
自分と向き合うきっかけに
そしてまたかばおさんが話しかけてくる。
「やあ、まあち。それって本当にワクワクしてる?惰性で続けてるんじゃないの?」
……どうだろうね、かばおさん。
それはもう少し考えてみるよ。かばおさんも一緒に考えてくれると嬉しいな。
「考えるのはまあちだよ。ボクは見守ってるだけ」
うんうん、かばおさんは見守ってて。
自分でちゃんと考える。自分で考えて決めることが大事だもんね。
「私にとってのテキトーフォーミー」は自分と向き合うこと。ちゃんと考えて意識していないと、ナチュラルにベストな自分でいるのって案外難しい。
あなたも考えてみませんか?
かばおさんが、見守ってくれてますよ。