見れない映画9:わたしの音楽


・乗っ取られること。

音楽そのものが苦手というわけではないのだけれど。
小学生の頃だったと思う。地元の文化会館に山崎まさよしがくるというので、母親に連れられて行ったとき、山崎まさよしはあまり関係ないのだけれど、当時20〜30代の女性が多いかなという会場でまさよし氏が何曲か演奏してそれなりに盛り上がってきたところで一人、また一人と観客が手拍子を打ちながら立ち上がっていくので、そのうちなんとなく母親もそれに加わり、自分もいよいよ周囲と同じように手拍子をしながら立ったほうがいいのか、という気がしてくるようになって、このときが初めてというわけでもなかったがそういうふうにしてくる「気」のことがいつもかなりこわい。こうした場合に、必ずしも立ちあがって拍子をとり、それに加わらなければならないことは少しもない。そんな決まりはないのだから。しかし、一方でなんとなくしたほうがいいのだし、むしろしないと居心地が悪い、というそんな気もしてくるのだ。ただそれはまた頭の中だけで迷っていることでそのうちのいずれか片方、つまり「したほうがいい」のほうが時折まさって、立て、ノれ、と身体に指令を出すようなことがあると身体はそれがたまらなく嫌、だといって頑なに指令を突き返す。そのうちの固まった身体で人の奏でる音楽に揺れる身体の波に周囲が埋め尽くされていくので、まるで沖で急に泳ぎ方を忘れてしまうような、登った木の上で降り方を忘れてしまったような気分のまま人静かに沈んでいる。この段になると、ライブになど来なければよかったと、もうかなり、後悔している。繰り返すが山崎まさよしはなにも悪くない。きっと立って、手を叩いて、拍を取れば、楽しいのだろう。そう、きっと楽しいのだろうと思えるときのその「楽しい」はなぜか即座に「楽しまなければならない」という指令に変換されるそれになっていて、それが自分でも非常に恐ろしい。楽しまなければ「いけない」ってなんだ? 「なければいけない」とはなにごとだ。しかし、私の生活にたびたび生じる。楽しいが「なければならない」になる。楽しんでしまえば、そこで身体を乗っ取られる。それが怖いので楽しめない。楽しめないと思えば思うほど、しなければならない気がしてくる。それで明らかになるが、私をその気にさせるのは他人でも、それが作り出す波でも、音楽でもなく、私だ。わかっている。わかっている。けれど、これからは逃れ得ない。私はあまりにノリが悪い。そういうことになるのか? わからない。よくわからないが、体を動かして波にコントロールを奪われればもう何もわからないという状況が訪れる。小便を漏らしてしまうかもしれない。それでおさまらないかもしれない。まだライブは、半分以上も残っている。このままいつまでも座っているわけにはいかない。最後まで座っているわけにはいかない。見渡す限り、座っているのは私だけではないか。周りはみんな立ち上がっている。遠くのほうは見えない。もうまさよし氏も見えない。音だけが聞こえる。拍子を身体で感じる。立て、立て、ノれ、ノれ、と訴えるように。波が押し寄せる。他の人は泳いでいる。私は泳げない。流される。波は大きくなる。もう首まで浸かっている。私は浮のように頑なにものとしてその中を漂う。ライブが終わるまでそれに耐える。

・『どもる体』のこと

極端な例だけれど、たまにこういうことが私には起こる。それが怖くて、いくことに踏み切れないライブイベントというのもいくつかあった。これが何なのか、ぴたりとその通りというわけではないだろうけれど、説明に近いものに初めて出会うことができたのは、伊藤亜紗の『どもる体』を読んだ時であった。

本書では、吃音症において身体にはなにが起きているのか「連発」、「難発」、「言い換え」、「ノる」、「乗っ取られる」の五段階で説明を加え、そのゆらぎの中で生きていく方法が提案されている。私は吃音症の当事者ではないし、少なくとも自覚はないが、この、意図を身体が跳ね返すという感覚のことはよくわかる。
例えば、電車に乗っていて、到着先の駅で待ち合わせをしている相手がいた時のことだ。何時ごろには駅に着きそうだと連絡をすると、相手はじゃあ、その時間なら何時に改札で待ち合わせようと、待ち合わせ時刻を早めて変更してきた。すると必ずその時間にその電車をぴたりと降りなければいけないのだけれど、私は必ずそこで降りなければいけないと思うと身体が固まって降りるはずの駅を乗り過ごしてしまった。
こういうふうに身体と、頭からの指示との間にいつもある程度のずれがある。必ずこのタイミングでこれをやるようにと身体に指示しておくと、できなくなる。身体のほうにやってもやらなくてもいい、あるいは、やるならその時間の幅を持たせるなど、なんらかの余地を用意しておかないと身体はうまく動かない。そういう意図と身体のずれ、を日常として生きる者に、その不都合を言語化して与えてくれるという点で『どもる体』は救いの書である。
本書のテーマはあくまで吃音で言葉がどもることを比喩的に「体がどもる」と言い換えているようなのだが、私のような頭の意図を身体が拒んで、文字通り「身体がどもる」人間にもこの書はいささかの救いである。それで、連発」の例として挙げられている、意図が失敗した時に「身体が伝わってしまう」という感覚が私にはとてもよくわかる。

話を音楽に戻そう。
『どもる体』では、「ノる」において、吃音を回避するために節をつけてリズミカルに喋る対処法の紹介がされている。その副作用として、「乗っ取られる」ことがあるという。

バフチンはこう述べています。「リズムは、志向、行動、体験がある種のあらかじめ決定されたものであること(…)を前提としている」
つまり、リズムにおいてはベクトルのようなものが生まれ、自分ですべてを決めなくてもよい。法則の力によって、運動の進むべき方向がおのずと決められ、進んでいく。
(…)
「うまくいく方法」が私の主体性を乗っ取り、「今」から切り離された状態で、ただの「運動」として機械的に運用されていく。結果として生じるのは、目的の喪失です。自分が何のためにそれを行っているのか。「今」という文脈と宛先を失い、運動だけが虚しく空回りすることになります。

同書

リズムに合わせて喋ることというのは、自分の身体を機械化して、その操作をリズムにアウトソーシングすることで、吃音を避けてなめらかに喋るテクニックとして紹介される。しかし、そこで機械化が意図しないところまで進行すると、意志が不在のまま身体が自動的に目的を遂行し、結果、思ってもいないことをやってしまうという事故に陥る。
「ノる」は、話者本人が意図した吃音回避のテクニックとして紹介されているが、周囲との会話の「波」にうまく「ノる」ことができるか、という事例が紹介されていることからもわかるように、リズムは私の意図や身体の外からもやってくる。本書でそこまで紹介されている訳ではなさそうなのだが、どうもこの「波」というのが自分の体の外からやってきて、それに流され、身体のコントロールを乗っ取られ、意図していない何かを遂行しそうになる。私はそれが怖いのだ。

・脳と文明の暗号と音楽の起源のこと

しかしそれだけが原因で、音楽が嫌いだというところまでは言えない。たしかに、3歳か4歳のころに近所の音楽教室に行って、ピアノの先生に女の子たちに混じって「お歌を唄いましょう」と言われて、なにか言いようもない屈辱的な気分になり、それに飲み込まれるのが怖くて逃げ出してしまったことがあるけれど、これは結局ノれなかったから、乗っ取られるのが怖かったからなのかもしれないということはあった。あと、中学受験塾に体験で行ったときも先生の独特の節回しが苦手でやめてしまった。野球中継が苦手なのも同じ理由かもしれない。しかし、別に一人での聴取ならイヤホンでいくらでも音楽を聴くし、演奏会が全くダメというわけでもなく、フェスにだって行ったことはある。確かにライブイベント自体は、いつこういう症状が出るかわからないからあまり得意ではないのだけれど、ジャズやクラシックならその心配はかなり薄い。立ち上がってノることをほとんど求められないような音楽は、苦にならない。
また、クラブのような場所も別に嫌いではない。もはやそれほどたくさん行く訳でもないけれど、大きな音が絶えずかかっていてそのせいで空間の感覚が消失するという意味では、あの空間はむしろ無音に近い。音楽の中に漂っていればいいという点で、ああした場所は居心地がいいとさえ感じる。小屋にも依るのだろうが、クラブには踊っていない人、ノリノリにノっていない人だってたくさんいる。ほとんど無音に近い大音量の中で、それぞれが好きなように自分のリズムで揺れている。それはむしろ自由だと感じることがある。とは思うのだが、そういうものだと言い切るには私の経験はあまりに少ない。
そこで、一番苦手なのは、卒業式だ。卒業式のあのみんなで同じ感情を共有する感じがとても苦手だ。果たして私には、それほどの思い出もなければ、仲間意識もないのに、なぜ別れを惜しんで涙ぐまなければいけないという気分にこれほど駆られないといけないのだろうか。そういう気分になる。ただ、こうなるともう音楽があるかないかは、あまり関係はない。言葉も関係ないかもしれない。しかし、あれのとき一番大きな「波」が押し寄せてくる。そんな気がする。
それで、申し訳ないとは思っているのだが、結局説明のつかない「それ」についてわたしは「音楽(仮)」と呼んでいる。

エドゥアルト・ハンスリックの「音楽的に美なるもの」(1854年)について書かれた何か別の本を読んだときに、そういう考えに私は初めて触れたとのだと思うが、音楽を芸術の純粋形式のようなものとする考えは一定数ある。そういう考えのもとでほかの芸術が、内容ではなく表現形式の純粋性を獲得する水準において、「これは音楽的だ」とか言われている。つまり、そこでその芸術は内容とか政治性とかからはずれて、ある種の数字に還元可能な、質と、量と、パターンの抽象形式を獲得したことを祝福されている。私にはそのことがなんだか悔しくて、よく「本当に?」と思う。
本当に音楽は純粋な形式なのだろうか。音楽はほかの何にも喩えられないのだろうか。そういう疑問を持ってマーク・チャンギージー『<脳と文明>の暗号 言語と音楽の起源』を読んだとき、本書における音楽の説明に私は、私なりの音楽の正体を見出す一歩をすすめるおとができた。まず、本書の問題意識に触れておこう。

とにかく人間は文字を読めるようにできているらしい。にもかかわらず、本能ではないと考えられる。そんなことがありうるだろうか?
理にかなった答えは一つ。文字を読むという用途に合わせて脳ができているのではなく、文字のほうが脳の仕組みに合わせてつくられたということだ。(…)(すなわち、人間は、もとから脳内にある機能を使い回して、まったく新しい能力を本能と同じくらい完璧に体得できるらしい。(…))。(…)
脳が文字に合わせたというよりも、脳に合わせて文字ができあがったため、脳と文字はしっくりと噛み合う。このようなことが可能なのは、ヒトという生物が、昔から持つ脳の機能をうまく利用して新しい用途に対応し、本能と同じくらい自然に使いこなせるからだ。これをわたしは「先天的な脳機能の転用」と呼んでいる。
以上を踏まえて、いよいよ本書の目的を明かすことにしよう。
もし、文化的な淘汰によって、文字が自然な形状になり、人間の視覚系にふさわしく整うとすれば(…)話し言葉や音楽も、何万年、何十万年というあいだに文化の影響を受けて、人間の聴覚系にふさわしく進化し、脳に最適なかたちになった、と想像することもできるのではないか? 文字、話し言葉、音楽がすべて文化の産物で、(…)脳に合わせて精巧につくられたテクノロジーだと考えたらどうだろう?
もっと突っ込んでいえば、読み書きが本能に見えるのと同様、音声にかかわる二つの能力──話し言葉と音楽──も、本能のように感じられるものの、じつは言語や音楽など前提にしていない、人間が昔から持つ非常に効率的な脳のメカニズムを転用しているのではないか?
とはいえ、話し言葉や音楽は、いったいどんな本能をどう活かしているのだろうか? それが本書のテーマだ。

同書

つまり、人間が本能的に音楽を好む、とするには音楽というものは、(文字同様に)歴史が浅すぎるのだ。そこで、チャンギージーによると人間は、人間の動作音を好むから、人間の動作音を彷彿とさせる音楽というものを好むようになったという推論を立てている。人間が立ち上がったり、座ったり、歩いたり、物を持ち上げたり、投げたり受け取ったり、その動きのパターンから心地のいいものを抜き出して形式化したものが音楽だ、というのだ。
正直、眉唾であるが、脳の回路をたどったり、歴史を遡ったりしてこれ以上この問いについて検証する術はないので、一旦この線で考えようと思う。というか、音楽の起源は人間の動作音であると言われてみると、楽器なり歌なりがどういう身体の動きから出てくるものかということを想像させて、音楽自体にそういう愉しみが、今、私に生まれている。

その線を信じたい理由がもう一つある。ここから、映画の話になる。
チャンギージーの推論によれば、音楽は人間の動作を想起させる音なので、その音を聞くと聞いた人間も身体を動かしたくなる。人が他人の表情を反射させてコミュニケーションを取ったり、相手の感情を押しはかるのと同様に、聞いた音に合わせて身体を動かすことでその音を聴取するらしい。
一方、映画もまた、というか映画の方がより直接的に「人間の動作」にまつわる表現である。音楽が聴覚によって人間の動作を再現する表現である、という説を今、信じ始めているが、だとすればそれは、特定の時間の中で人間の身体がどのように動いていくのか、ということを表現する形式として音楽と映画は共通点を持っている。しかし、音楽についてはそれを聴取する人の身体が動き出す一方で、映画についてはじっと暗闇に座ったまま他人の動きを見続ける体験を強いられる。暗闇で体を休めたまま、眼球だけをきょろきょろ動かす行為は睡眠によく似ていると言って過言ではないだろう。

次に、音楽と映像とを掛け合わせてみる。すると両者の関係は一層明白になる。
たとえば、ミッキーマウシングという表現がある。音と撮影された人間なり、キャラクターなりの動きがぴったりと一致する映像表現について言い表した言葉だ。というか、それを揶揄した言い回しで、通常これは悪口である。つまり、映像と音楽が互いを補完し合うような関係で同時に再生され、それがぴったりと同期することは演出上、あまり望ましくないとされている。というか、興が醒める。
「あえて」そうした古風な演出をほどこしたミュージカルでもない限り、とりわけ映画においては、音楽にぴたりと合わさった映像というのはあまり見当たらない。つまり、先に述べたように「純粋な表現形式」かに見える、非常に抽象度の高い音楽は他の芸術形式よりもコントロールのしやすいものであるために、その音楽に映像を振り付けのように合わせてしまうと、音楽のための映像、MVになってしまう(というのはあまりに単純な図式で、昨今のMVはストーリーが入っていたり、映画っぽい演出の中でほとんど映像と音とが同期していなかったりするけれど)。
音楽と映像をとりまく表現様態の個別具体的な事例をつらつらと述べていくときりがないのだけれど、つまりここで言いたいのは、音楽と映画とは同時に人間の身体を表現内容としつつ、一定の時間の中で始まりと終わりを持つ形式だということだ。しかし、というかだからこそ、音楽と映画とは、同時にかけられると競合関係に陥る。同時に二つのものがかかっていると、その人は音楽を軸に時間を追いかけたらいいのか、映像を軸に時間を追いかけたらいいのか迷うことになるだろう。それが互いにリレーしながら役割分担を発揮する表現もあるだろう。しかし、決定的に違うのは身体を揺らしたり回転させたりしながら一つの画面を見続けることはできないということだ。音楽と映像との競合関係が争うのは、その争点とは聴取者の身体の状態なのだ。つまり、その一点において、聴取の姿勢は身体を動かすべきか、じっとして一点に視線を合わせるべきか。問題はそこにある。
そのために、映画は、映画が映画として純粋であろうとするときに音楽を嫌悪し、拒絶する。音楽が身体にはたらきかける動員の運動に抵抗する。その一番極端な例の一つとして、私はジャン=リュック・ゴダールの映画のずたずたに編集されたクラシック音楽のことを思い描いている。
その先で私が引き続き考えようとしているのはある種の音楽による身体への、全体への動員はなぜ不快なのか。映画を通じて、それに抵抗する身体の動きを試みることは可能か、という問いである。

・ミッキーマウシングのこと

細馬宏通『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか アニメーションの表現史』(2013年)を紐解いてみる。当初、私は「ミッキーマウシング」という表現がなぜ生まれたのか。どうしてそれは揶揄の言葉になったのか。それを解き明かして、映画と音楽との「別れの場面」を見定めようと思っていた。しかし、試みは実際には失敗に終わった。
本書の「第六章 映像に音をつける」「第七章 ミッキーはなぜ口笛を吹くのか」には、黎明期の映像文化がいかに同時演奏や会場での音響と共存していたのかという話とその延長で1928年に史上初のトーキーアニメーション『蒸気船ウィリー』がいかにして誕生したのかという涙ぐましい努力が、現代の学生への講義を交えるという形式で記載されている。細馬の記述は個別具体的な歴史的事象を文献にあたってリニアに語った内容を主軸としており、なにか著者本人の個人的な見解を開陳しているというわけではないが、私はこの記述から以下のような考察を得た。
ある前提を共有しておこう。サイレント期、映画にはそもそも音はなかった。黎明期、サイレント映画として誕生した映画は純粋に被写体の運動を楽しむ、音を排除した文化だった。もし、そのような観念があるとすれば、それは後世の批評においてつくられたでっちあげなのだ。実際のサイレント映画は流行曲の演奏や、人気の活弁士の講釈に合わせて上映される、非常にやかましい流行の大衆文化だったというのが今日的な研究の筋なのだろう。細馬の記載も、そうとは決して明記はしていないが「第六章」では、実質のカラオケである「イラストレイテッドシネマ」や、歌詞の映像に印をつける「バウンシング・ボール」、活弁や同時演奏など、黎明期のサイレント映画が決して音楽を排除した文化などではなく、むしろ映画はもっと賑やかな音楽への動員に寄与する文化だった。
第七章の後半は、学生への疑問に答えるという形式で『蒸気船ウィリー』の詳細な多方面からの作品評という体をなすのだが、そこでこの映画のタイトルの元ネタがバスター・キートン主演のサイレント映画『キートンの蒸気船』(1928年、チャールズ・ウィーズナー監督)であることが触れられている。細馬によれば、その類似はタイトルに飽き足らず、壊されたウクレレと、ウクレレを失った者の口笛という2つのモチーフの共通によって、この2本の映画が「音楽の喪失と再生」というテーマを共通項として持っていることを示唆している。
ここからは、私の考察になるのだが、共通のモチーフを持っているとはいえ、『キートンの蒸気船』のほうはサイレント映画である。実際の製作意図はなんとも言えないものの、キートンというサイレント期のスター俳優が刑務所に入った父親に口笛で呼びかけるサイレント映画のシーンというのは、むしろサイレント映画における音の欠乏をかなり意識させる。実は音楽こそが大衆芸術として重要な要素であることが強調された第六章の延長でこのエピソードを披露する細馬の書きぶりにはむしろ、黎明期のサイレント映画がいかに音楽を渇望していたか、そしてそれが当時の観客の望みであったか、というような風景描写として『蒸気船ウィリー』の製作秘話が語られているように見えなくもないのだ。
こうして、むしろ社会的な事象としての、大衆芸術としての映画の歴史の中に私は、ある種の音楽に動員されるのを拒む身体の居所を再び見失う。

・「わたしたちの音楽」のこと

ジャン=リュック・ゴダールの『はなればなれに』(1964年)からの抜粋。音楽に合わせて3人の若者が踊り出すのだが、ダンスは続けられる中、途中で音楽が切られて、彼ら一人一人の心情描写のようなナレーションが入り、再び音楽が途中から再開する。音が切れている間、3人の身体の動きと指のスナップ、靴が床を擦る音がよく聞こえてくる。このようにして音は映画において後付けされ、映像とは別々に編集されるものである。
前述したように映像と音楽とは別々のタイムラインを持っている。そのために、観客が生じたとき初めてそれらはタイムラインのコントロールを争う競合関係に陥る。しかし、それは映像(音楽)を作る側の楽屋オチ的な発想である。その仕組みを開示して、観客に知らしめ、今見ているものが没入すべき物語ではなく、演出され、作られたものであることを暴露してしまう。そういう点で、ゴダールの映画は映画作品であると同時に、同じくらい映画批評である。というのは、今更私が言うようなことでも本当はないのだけれど。

『フィルムメーカーズ21 ジャン=リュック・ゴダール』に寄稿した文章で、ゴダールの映画をおおよそ以下のように分類したことがある。

・60年代 パロディ
・(70年代 ドキュメンタリー)
・80年代 リメイク
・(90年代 アーカイブの編集)
・2000年代以降 フッテージ


非常に大雑把な区分だが、ゴダールのフィルモグラフィーとは同じことの繰り返しであると言うのが私の見立てだ。1959年のデビュー作『勝手にしやがれ』を初めて見たとき、まだ10代だった私はなんの前知識もなかったので、これを若手監督の自己表現のようなものだと勘違いしていた。『勝手にしやがれ』とは、マーシャルプランの進行によってアメリカからの映画輸入が解禁され危機に陥った戦後のフランス映画を描く政治映画なのだ。そこで、アメリカ人の若い女にたぶらかされて命を落とすフランス人のチンピラが、戦前アメリカの犯罪映画のパロディという形で描かれている。私が、そのような勘違いをした一番大きな原因が、今やゴダールの描くフィルムノワールや戦前ハリウッドのB級映画の「現代アメリカ映画」と少しも似ていないからではなかろうか。しかし、このようにして今や私にとってゴダールというのは独自の視点を持つ孤高の映画作家などではなく、過去への水先案内人である。70年代のドキュメンタリー、90年代の「映画史」の制作期間を間に挟んで、劇映画を撮っていたゴダールというのはすべて同じことの繰り返しをしてたのではないのか、というのが私の見立てである。それがゼロ年代以降は過去の映画をフッテージとして扱う編集作業として、80年代は60年代の自作映画のリメイクとして、60年代は戦前ハリウッド映画のパロディという形で、ゴダールは絶えずもっと古い映画へと繋がっている。そういう意味で、山田宏一の言うように、ヌーヴェルバーグというのは、映画の演出にいったい何ができるのかというのが一通りうやり尽くされた後に登場した、決して新しくはありえない世代であるのかもしれない。

と言ったところで、私にはその新しい/古いという感覚が、その時代、その時代への肌感覚がないので実感として持てない。こうして、全て生まれる前に撮られた過去の映画を並べ直して梯子のように過去へと連なる通路を獲得する。それがせいぜい、『アワーミュージック』(2004年)が初めて劇場で見ることのできたゴダールであるような世代の、ゴダールへの見立てである。

***

サイレント映画という点では、ゴダールの映画にはトリコロールに彩られた字幕がたびたび登場する。私は、これはゴダールなりのサイレント映画のサブタイトルではないかと踏んでいる。ゴダールの映画は別に、サイレントというわけではないのだけれど、それでもゴダールの映画は、サイレント映画が音を欠いているように、なにかが欠けていると思わせる。とりわけ近作『イメージの本』『さらば、愛の言葉よ』では、真っ黒な画面が目立つ。これは無言の字幕ではないのか。無言の字幕を提示するとき、映画は何を欠いているのか。私が映画を見るのは、そういうところに音楽に取り残された身体の居場所を求めるからである。


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