見れない映画7:アダプテーション(ズ)
・映像になる「踊り」のこと
テレビドラマ『セクシー田中さん』の騒動がニュースになっていた時に思い出したことを、つい最近テレビ局側の報告書が公表されたのを機に思い出した。
それは昨年、東京国際映画祭で1本だけ、アンゲレ・シャーネレクというドイツの監督の『MUSIC』(2022年)という映画を見たときのことで、印象に残ったのはそのときに見た映画のことではなくて、たまたま立ち会うことになった併映のヴィム・ヴェンダースの『Somebody comes into the light』(2023年)という短編の舞台挨拶でのことだった。出演者の田中泯のコメントが印象に残ってメモしていたのを『セクシー田中さん』のときに思い出した(偶然にもどちらも「踊る田中さん」の話である)。また今、うろ覚えでメモしていたことを思い出そうとして調べてみると、まるまる映像が残っていた。
要するに、田中は自身の領分である「踊り」について彼はきっぱりと「映像で再現できない」ものとみなしているのだ。その上で映像化しようとするならするで、「映像にするな」と拒絶するのでなく、「もしするのであればずたずたにして再構成し、自分の表現にしてくれ」と映画監督へ、つまり他のメディアへ注文している。そのとき私は、彼の透徹した自身の表現への理解と他の表現への敬意にその場で静かに心底感動した。
2度、3度思い出してこれについて考えていたのはつまりこういうことだ。原作、翻案、脚色というのに際して、ある内容がなにか別のメディアの表現にかわるとき、表現の方は然るべくして一度ずたずたにされ、そのうえで、もうひとつの別のメディアの作法として再構成される。そうであり、そうあるべきならば、そしてそのような状況でこれに反論してむしろ「ずたずたにされてはならない」といったイデオロギーらしきなにかが働くことがあるならば、その何かは少なくとも「表現」というものと対立する何かなのだ。
小説を映画にする、漫画をドラマにする、詩を演劇にする場合のときに、「表現でないほうのもの」、表現される内容がそれにあたるだろう。それはもしかすると「物語」と暗に呼ばれるものかもしれない。私が考えていることは二つある。つまり、問題は「物語」というものがあることにあるのか、あるいは、その何かを「物語」と呼ぶことにあるのかのいずれかなのだ。
ただ、いずれにせよ、観客も作り手も、批評も、こぞってまるで同じ一つのものを見ているかのように「物語」について語るとき、問題が生じるのではないか。表現されるまえの、これから表現されるほうのものを、まるで実態のある何かのようにして扱い、たった一つのそれについての解釈を争っていくつもの解釈を戦わせる人たちが脚色や翻案についての不都合を招いているのではないか。「表現をする側」の方法について、つまり「物語」ではなく「表現」について語ること、あるいは精査すべき問題が具体化したあとの、それぞれの専門分野とそれぞれの領分とがきちっと別れた水準で問題を扱うことに失敗するとき、こういう問題が生じるのではないか。そういうことをあるインタビューを読んだときに思った。
・圧倒的に面白い映画のこと
それが黒沢清のこのインタビューである。
10代の頃、私は洋画と邦画も古い映画ばかり見ていた。少しマシになったが今もその傾向はある程度ある。当時の私にとって、端的にいうと、私は同時代の自分の国の映画が、なにかじめっとした共感を強要するメロドラマばかりに見えてすすんで受け入れたくないものだった。あとから見識を改めて90年代、00年代の優れた邦画ともちゃんと出会えるのだが、私は当時、邦画が今以上に苦手だった。
それが変わるきっかけになったのが黒沢清である。黒沢清の映画の話は別の回に譲るが、彼の映画を見たとき、私は初めて、私は映画の演出が、その認知のあり方、身体のあり方が自分に馴染むものだと思えた。本当に初めてそう思えた、と今ならはっきりとわかる。結局、遠い時代や遠くの場所で作られた映画ばかり見ることは、私に一つの疑念を投げないではいられないのだ。それは、私は映画が好きなのではなく、自分の住んでいる場所や時代からただ現実逃避をしたいだけなのではないかという疑念だ。映画自体が現実逃避であるかという話は、検討するとすればまた別で検討するとして、そういう疑念を一度は振り払ってくれたのが黒沢清の映画だった。
では、なぜ私は黒沢清の映画と他の邦画を区別することになったのか。何年か越しに、このインタビューによってその区別が明らかになった。そんなような気がするのだ。ここで黒沢清は脚本の話をしている。彼はただ、「圧倒的に面白い映画」というものを作ろうとしている。そう思っている人はそうでないかもしれない。しかし、脚本というものの捉え方について、他の日本の映画はどうも黒沢清のようではないようなのだ。
日本の映画は金儲け主義なのか、とか、製作委員会方式でみんなが意見を出すと面白くない映画ができるのか、本当にそうなのか、というのは単なる与太話として。
興味深いのは、ここで、脚本が映画の「設計図」であることと読み物として「文学」であることが対比されていることだ。そして「文学」の条件が「人間を描くこと」になっている。ここでいう「文学」とは文芸表現という意味ではなく、ある一定の人がそれを読んで「人間が描けている」と感じられるカッコ付きの「文学」であろう。そして、それを定義するために描かれる人間も一定の人の共通前提になりうる「人間」であるようなのだけれど、これだけでは言葉として定義はわからない。ただ、私はこれを読んで、ここでいう「文学」が私がかつて非常に苦手とした「じめっとした共感の強要」であるだろうということを直感的に思ったのだ。
そういう「文学」とか「人間」の定義上のよくわからなさに、「でないもの」として逆から迫るために、「文学」としての脚本と、「設計図」としての脚本を引き比べてみる。そこで、黒沢清の映画にとって脚本はいつも「設計図」なのだろう。その言葉には、演出を施す監督や、撮影、照明をはじめとしたスタッフにとっての指示書としてのニュアンスが伺え、専門者にもっとも的確な指示を出す言葉で紡がれたある技術についてのマニュアルとして脚本が想定されていることが垣間見える。必ずしも観客に伝えられる直接の言葉ではない形で表される完成品としての映画には、きっと専門者たちだけにとって明瞭な技術のための「指示」が共有される必要があるはずだ。あるとすればそれこそが脚本の仕事ではないか。つまり、「設計図」というのは、そういうことを窺わせる語彙なのだ。そのように設計されて初めて「圧倒的に面白い」ということが実現される。そういう可能性がここで語られているのではないか。
転じて言えば、脚本が「表現」であるというのは、演出のための脚本であるといこと、それだけでは機能し得ないものであるということがその条件なのではないか。それが実際、そうではなくて誰が読んでもどのような物語がそこにあるのか共感できるように書かれているものとして扱われるとき、作品が圧倒的に面白くなる可能性が排除されるのではないか。
といったところで、私は黒沢清を見始めた。表現としての映画を見始めるようになり、物語と距離を取る仕草を身につけ、自分の認知を、自分の身体と言葉とのずれを見つめるようになった。
黒沢清の映画についてはまた別に書きおく。