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凄腕狙撃手は私の心も撃ち抜いた

高校時代からの友人から勧められた「ゴールデンカムイ」。漫画は一昨年に完結しているので、かなり遅れての履修となりました。
土方歳三の生存if世界が見られる+CV津田健次郎さんのキャラがいるということで釣られてアニメと漫画で追い、少し前に漫画の最終巻を読み終わって心を揺さぶられたところです。

過去記事で、「尾形百之助にハマってしまった」と書いたと思うのですが、作品の結末まで見届けた今、さらに語る機会が欲しくてこの記事を書いています。

尾形は解釈が難しいキャラで、考えていると頭がパンクしそうになってしまうんですよ。ここらで一度整理したくて、この記事を書いています。

私は尾形に沼り、アニメイトで公式フレグランスを購入し、枕かブランケットに少しだけ振りかけています。そうするとぐっすり寝られます(末期)。

なお、記事の性質上ネタバレを含みますのでご了承ください。ネタバレダメ絶対!という方はブラウザバック推奨です。
また、作中のアイヌの人名・名詞に出てくる小文字は筆者のパソコンでは入力できず、全て普通のカタカナで入力しています。ご了承下さい。

1.なぜ尾形に沼ったのか


理由はたくさんありますが、挙げるとすると
・顔も声もいい(個性的な美形×津田さん)
・冷徹に見えて隠しきれない人の情
・猫ちゃん!
・他の者の追随を許さない狙撃スキル(数百メートル先の狙撃が可能で、心理戦にも長けていて、ライバルポジの狙撃手にも勝利する)
・希望の芽を自ら潰していく詰み加減

なんていうのかな…尾形の場合、好かれたいというか「私が守る!幸せになって!お願いだから!」みたいな気持ちになるんです。
次の段落で詳しく説明していきましょう。

2.詰んでいる男

常々言っていますが、尾形を好きになるのは「詰みゲー」です。
理由は、彼はずっと一人で負の答え合わせのようなことをしていて、下手に口を挟むと撃たれるから。物理的に。
何の答え合わせか?

これを説明するには、尾形百之助という人の生い立ちから解説する必要があります。

尾形百之助は、花沢幸次郎中将と、浅草芸者(妾)であった尾形トメの間に生まれました。
しかし花沢中将は、本妻との間に息子(のちの勇作。キーパーソンです)が生まれるとトメ・百之助親子を遠ざけるようになりました(嫡男の誕生により、トメが「狂った」かららしい)。

トメは、花沢中将の足が遠ざかると、毎日あんこう鍋を作るようになります。花沢が美味しいと褒めてくれたから、いつかあんこう鍋を食べに花沢が戻ってくるのではないかと信じて作り続けるのです。

祖父から銃の手ほどきを受けた百之助が自らの手で鳥を撃って持って帰っても、トメはあんこう鍋を作っていました。
百之助はある日、あんこう鍋に殺鼠剤を入れて母を毒殺したのでした。
「もし、父上が母に対してまだ愛情を持っているのなら、父は母の葬式に来てくれるだろう。母は最後に愛した人に会えるだろう」と。

このいきさつで、尾形の好物が「あんこう鍋」なのは大変に苦しくなります。
多分、「あんこう鍋おいし~!」と思って食べていたのではなく、思い出に残るまともな食べ物があんこう鍋しかなかったのではないでしょうか。
尾形なりの「おふくろの味」ってことですね…

そして母の葬式に、父・花沢中将は来なかったんですね。このことが幼い尾形に影を落としたのでした。尾形はこれにより(原因はこれだけではありませんが)、自分のことを「愛情のない両親の間に生まれた、何かが欠けた人間」と考えるようになります。成長した尾形は、父と同じく軍人になります(これにもちょっとしたエピソードがあるのですが後述)。
軍隊で、花沢中将の嫡出子である花沢勇作と出会います。

ある意味母を狂わせた張本人なわけですが、勇作本人は明るく人なつっこく、尾形のことを「兄様」と呼んでそばを離れようとしなかった。

尾形は、そんな勇作を見て面食らうとともに「これが祝福された子供なのか」と心の中に黒い何かが溜まっていくのです。
日露戦争には、百之助・勇作兄弟も参加します。百之助は狙撃兵、勇作は旗手として。

ある夜、百之助は勇作を手負いのロシア兵のもとに連れて行き、
「勇作殿はここに来てから誰か一人でも、ロシア兵を殺しましたか?勇作殿が殺すのを見てみたい」と詰め寄ります。
しかし勇作は「できません」と固辞。
それは国旗を背負う旗手という立場上、手を汚すことは避けた方が良いというのと、
「誰もが、人を殺すことで罪悪感が生じる」と父である花沢中将から言われていたからです。

尾形はそう言われて、「殺した相手に対する罪悪感ですか?そんなもの…みんなありませんよ」と冷たい目で返します。

勇作はそんな尾形を抱きしめ、
「兄様は本当は優しい人です。人を殺して罪悪感を感じない人間は、この世に居て良いはずがない」と涙ながらに諭すのです。

「罪悪感」という言葉を全て太文字にしていますが、この言葉は尾形検定一級の問題に出題されるくらい重要になってきます。

当時の尾形は、この言葉を聞いて、おそらく「自分はこの世に存在してはいけない」と取ってしまったのでしょうね。

そして、尾形は戦場で旗を振って味方を鼓舞する勇作を、後ろから狙撃して命を奪ったのです。
勇作に対する恨みでも、花沢中将を苦しめたいというのとも違います。
「本妻の子である勇作の死を聞いたら、もう一人の息子である尾形のことを思い出してくれるだろうか?」という疑問からでした。

いや、そうはならんやろ!と言いたいところですが、これには参考にできそうな「前例」があったのです。
それが、本編時空の7~8年ほど前に起きた、「鯉登音之進(のち鯉登少尉)誘拐事件」です。

函館に赴任した鯉登少将(海軍)の息子、音之進がロシア人に誘拐されました。
しかしこれは陸軍の鶴見中尉が仕組んだ狂言で、「ロシア人」だと音之進が思った誘拐犯たちは全員、ロシア語を離せる日本兵だったというオチがあるのですが。

ちなみに尾形はこの誘拐事件に偽ロシア人役を務めていたうちの一人なので、ロシア語が話せるんです。つよい。

鯉登少将はどうしたか?
全速力で息子を助けに行ったのです。
音之進には年の離れた兄がいて、その兄は日清戦争で戦死してしまいました。

音之進は、兄の戦死をきっかけに船に乗ると吐き気を催すようになってしまうのです。そうなると、海軍軍人への道も閉ざされてしまいます。

しかしこの誘拐事件と、少将が迎えに来てくれたことをきっかけに、鯉登親子のわだかまりは解け、音之進は鶴見中尉と同じ陸軍を志すことになったのでした。

この事件から二年後、鯉登親子は鶴見中尉に挨拶をします。尾形は挨拶を済ませて階段を降りる二人と偶然すれ違い、音之進を心の中で嘲ります。
「バルチョーナク(ロシア語で「お坊ちゃん」、「ボンボン」の意味)」
と。

おそらく尾形は、鯉登親子の「前例」を見て勇作を失ったら花沢中将も自分を見てくれるのではないかという淡い期待を持っていたのではないでしょうか。しかしそうは問屋が卸さなかった。

日露戦争後、尾形は花沢中将のもとを尋ね、母とのいきさつを告白します。
「子供は、親を選べません。愛情のない親が交わってできる子供は、何かが欠けているんでしょうかねえ。どんなに立派な地位の父親でも」
とぼやく尾形に対して花沢中将は、「出来損ないの倅じゃ。呪われろ」と尾形に言い放ちます。
このとき、尾形は花沢中将を自害(切腹)に見せかけて殺害しています(鶴見中尉の策略も絡んでいます)。

家族全員を手に掛けた男、尾形百之助。
彼に沼るのは危険です。先輩からの忠告。

3.猫ちゃん


ここまで書くとどんなサイコパスだよ、となりますが尾形はこれだけで終わるキャラではありません。人情がうかがえる場面もそれなりにあります。
目撃者となったおばあさんを殺すことを拒んだり(自称「ばあちゃん子」)、谷垣源二郎が家畜殺し(真犯人は動物大好きな某先生)の濡れ衣を着せられたときはなんやかんや助けたり。
「チタタプ」「ヒンナ」といったアイヌの言葉を小声でつぶやくシーンもあります。
火鉢の真ん前のポジションを死守するのもかわいい。

物陰に隠れたり(スナイパーゆえ?)、蝶を追いかけたり、狭いところを通ったりと猫のような仕草がちゃんと公式からお出しされています。
お前は何なんだ、尾形百之助。

見た目は大人、頭脳も大人、情緒は幼児、みたいなところがあり、不覚にもキュンとしてしまうのです。

4.結末


さて、ここからはモロにネタバレゾーンです。
未アニメ化範囲、およびキャラの結末について触れています。

謎に包まれていた、尾形百之助の金塊争奪戦参戦の理由は最終盤に明かされます。
「母が愛した男も、その男に選ばれた息子も大したことはなかった」こと、
「自分が欲しくても手に入らなかったものに価値はなかった」こと、
「偽物(「欠けた人間」)でも登りつめられる」ことを証明したかったのです。

既視感があると思ったら、「酸っぱい葡萄」の童話に似ていることに気がつきました。
木になる葡萄が欲しかった狐が、ジャンプしても葡萄に届かなくて、「あの葡萄は酸っぱいから」と自分に言い聞かせるみたいな話でしたよね。
難しい人だなあ。
尾形のことは好きだし推しですが、1時間くらい悪口が言えます。

そんな尾形の結末は、もう文句の付け所がない。

主人公である杉元とサシで戦い、「楽しかったぜ、不死身の杉元。心臓を撃っても不死身かどうか試してやる」と言いながら杉元に銃を突きつけます。
杉元、絶体絶命!と焦ったその瞬間、アシリパが尾形に向けて毒矢を射るのです。
尾形は「まだ死ねない」と腹部を切って鏃を取り除くものの、徐々に錯乱し、目の前に自ら撃ち殺した弟・勇作の幻覚を見ます。

ここから、尾形の中で自我の奪い合いが始まります(と筆者は解釈しています)。便宜上、1と2に分けますね。

1「(勇作の幻覚に)邪魔しやがって、この悪霊が」
2「悪霊なのかなあ?アシリパに銃を向けるたび、勇作が出てきて邪魔するのはなぜだ?勇作とアシリパを重ねていただろ?ってことは…『それ』と向き合おうとしてこなかった。『罪悪感』だ」
ここで、目元が隠されていた勇作の全顔が開示されます。

右が花澤勇作。美しいですね。



そう、たびたび出てくる勇作の幻覚は尾形が潜在意識下で感じていた「罪悪感」であり、勇作の目元が隠されていたのは、「罪悪感を直視してこなかった」からだと分かるのです。

1「俺の罪悪感?」
2「勇作だけが俺を愛してくれたから」
1「殺した後悔などしとらん!」

しかし、尾形の自我は揺らいでいきます。
2「罪悪感があるってことは、俺は愛情のある親が交わってできた子どもってことか?」
1「いいや違う!こいつ(花沢中将)はおっ母の葬式に来なかった」
2「愛した瞬間があったということでは?」
(中略)
2「俺は欠けた人間なんかじゃなくて、欠けた人間にふさわしい道を選んできたのでは?」

尾形は目覚めてしまったのでした。
自分のことを「愛情のない親の間に生まれた子どもで、欠けている」と信じ込んできましたが、アシリパが放った毒矢によって自らの真実に気づいてしまった。
それでもなお、「これ以上考えるな!」と拒みますが、もう引き返せない。

自らに銃口を向けた尾形に、幻の勇作が
「兄様は祝福されて生まれた子どもです」
と言葉を掛け、尾形はそのまま発砲。
凄腕の狙撃手が今際の際に見たものは、銃口だったのです。

この
「兄様は祝福されて生まれた子どもです」という台詞。
尾形が最後に聞くのにふさわしいですよね。
勇作は尾形全肯定の光属性の弟だったので、表の意味としては「兄様が祝福されていないわけがない」ととれます。

しかし、「親同士の間に愛情がないから、自分は欠けている=罪悪感を感じない」という尾形の「思い込み」を踏まえると、
「あなたは祝福されて生まれた人間で罪悪感があるのだから、それに向き合いなさい」
という裏の意味もある気がしてきます。

尾形には、杉元に対するアシリパのような相棒が居なかった(更に言えば、杉元からアシリパを奪おうとして失敗した)。
居たとしたら勇作でしょう。
しかしその勇作は自ら手に掛けてしまった。やり直すには遅すぎた。
皮肉にも、尾形は毒(母)→腹切り(父)→頭部への射撃(弟)と、家族の死因をなぞっていくようにしてこの世を去りました。

「親殺しは巣立ちのための通過儀礼」とか言っていた君が、一番執着していたんだな。
毒の影響で錯乱して自害、というよりむしろ元から錯乱していて、最期に正気に戻り、自らの死をもって精算したというほうが正しい気がします。

尾形の最期は難解で解釈が分かれますが、筆者はこのように読み取りました。
芸術点が満点だよ…
ヲタクがどれだけ二次創作で幸せになるルートを開拓しようとしても、やはり公式が最大手なんだ。公式は超えられない。
超えられないけど妄想してしまいますね。罪な男。

以上が限界尾形オタクによる推し語りでした。
この5000字超えの特級長文を読んで下さった方に祝福があらんことを。
ありがとうございました。




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