「3.11」とわたし Vol.17 筋書き通りいかないのがこの世の常
宿泊体験館きこり支配人 佐藤峯夫さん
震災から10年の節目、
飯舘村に様々な立場から関わる人々が語る
自分自身の10年前と今とこの先の10年。
今日の主人公は、飯舘村の宿泊体験館「きこり」の
支配人 佐藤 峯夫 (さとう みねお) さん。
きこりは、数少ない村内の宿泊施設のひとつ。
宿泊所周辺にはやハイキングコースや浮き橋のある溜め池(あいの沢)などがあり、
自然を思いっきり感じられる憩いの場です。
震災以降、営業を休止していましたが、
避難指示解除を受け、日帰り入浴と宿泊(素泊まり)事業を再開しました。
村に住む人も、ちょっと遊びに来た人も、日々の疲れを癒しほっとできる空間。
世の中シナリオ通りにはいかないけれど、
きこりを愛してくれる人たちのため、「負けたくない」。
2011年3月11日(金) 14:46分
当時私は、村内で唯一の宿泊施設である
宿泊体験館きこり(当時第三セクター運営の飯舘楽園株式会社)で、
取締役専務兼総支配人をしていました。
忘れもしない、2011年3月11日(金)14:46分
3月は、歓送迎会・総会シーズンになり予約で日中、夜の宴会宿泊は一杯でした。
その日、日中は地区の老人会の総会および会食会また日帰り入浴等で、
夜は歓送迎会のご予約で満室、大変賑わっていました。
お客様お送りのため、バスを準備していたその時、
ゴーーと地鳴りがしたかと思いや否やバスが上下に飛び跳ねる、
建物がものすごく長い時間揺れに襲われお客様の悲鳴、
避難誘導にあたるスタッフの声、今でも鮮明に記憶しています。
幸いにも、チェックイン前と迅速な避難誘導、
厨房の防火体制とでケガ人も火災もなく済んだ事には安堵しました。
従業員の皆さんには本当に感謝しております。ありがとうございました。
揺れもおさまりお客様をバスでお送りする時、道路には亀裂がありました。
客宅近くになった時バス内から叫び声が
「俺ん家の屋根瓦が崩れ落ちて無い」と涙ぐむ大きな声がしました。
見るからに大きな被害である事に目を疑いました。
きこりに戻って目にしたものは、
施設前の道路の大きな亀裂と客室の大きな破損でした。
もしもお客様がチェックインしていたなら、
ご宴会中なら、夜であったならと思うと身の毛もよだつ恐怖に襲われました。
筋書き通りいかないのがこの世の常
私事、初孫が3月16日誕生予定でした。
出産間近な嫁さん、動揺と不安が相混じり
3月12日南相馬市原町区のクリニックに大事をとって入院。
同日原子力発電所爆発、
情報が乏しい中13日夜10時頃福島市内のクリニックに移動。
15日に無事出産、つかの間19日
嫁さんの実家でもある喜多方市に退院避難を余儀なくされました。
母子ともに健康であったのが何よりでした。
間もなく10歳、春からは小学5年生、
飯舘村が故郷にならなかった小学生の孫です。
震災後、インフラが断たれ施設が大きな損傷があり休業となりました。
最初はきこりの片づけ、そして村役場にて給油係、
村避難所から入浴施設への送迎、幼小中間借学校等への送迎などなど。
6月からいいたてむら全村見守り隊(防犯・防災巡回パトロール業務)が発足され、
当初隊員は450名大所帯の事務局長として28年3月まで勤めました。
4月からきこりの再開にあわせ支配人として復帰し、
従業員5名で日帰り入浴のみでの再開、
翌29年から宿泊(素泊まりのみ)可能となり現在にいたる訳ですが、
ものごと筋書き通りいかないのがこの世の常と申します。
震災後10年目を迎える矢先2月13日午後11時08分
あの恐怖が再び思い起されました。
震度6強に見舞われました。
負けたくない、村のため「きこり」を愛して応援して下さるお客様のためにも。
きこりを含め周囲は村の森林公園として、
年間約8万人以上の方々が四季を通して訪れて下さる隠れた名所でした。
今後も以前のような賑わいを取り戻すよう頑張って行きたい。
関連リンク
宿泊体験施設きこり
http://iitate-kikori.jp