【Hope】「放蕩」娘も見放さない
「『自己嫌悪』と言われますが、自分がいやになることはたくさんの人に経験があると思います。私もあなたよりもっと大人になった頃、何度もそういう時期があったことを覚えています。」
すっかり変色したB6サイズの藁半紙。鉛筆で2枚にわたり丁寧に綴られたお手紙は、中2の時にある先生から戴いたものだ。通っていたキリスト教系の学校で「宗教」を担当されていたその先生は、最後の授業で提出した感想文へのフィードバックとして、一人ひとりにお手紙をくださった。
感想文の内容は全く覚えていないが、私はその中で「自分がキライ」と書いたらしい。
小学校高学年の頃からか、3学期に入ると必ず仲の良かった友人が離れていった。自分の性格に問題がある、「変わらなくては」と本気で自覚した時期だった。
その年をもってリタイアされた先生は、悩める14歳をたまげるほど寛容な言葉で受け止めてくださっている。
自分がキライと言えることは、「考え方や心のことに敏感になれるということ、人間としてすばらしい、幸せなこと」なのだと。
画家レンブラントの『放蕩息子の帰還(De terugkeer van de verloren zoon)』という作品がある。この題材にもなった聖書のエピソード(※ご参照↓)を引き合いに出し、先生はエールを送ってくださっている。
「自分に失望したり、イヤになるというのは心がいたみ、傷ついて、ある意味では惨めな状態ですから『放蕩息子の父』のような神さまが見放すはずがありません。神さまはそういう状態を憐れみ、助け起こして、その状態から抜け出させてくださる方です。」
「ただ、すぐに大特急でとは限りません。寒い冬、つらい準備期間が長いこともあります。こういう時はトンネルが終わることを、あたたかい風を待ちながら、祈って、忍耐して、自分にも優しく待つことがよいと思います。」
人生の節々で読み返してきたこの言葉。信じられない時もあった。「でも、先生がこう書いてくださったのだから」と思い直すことで、「自分にも優しく待つ」言い訳を何度となく戴き、救われてきたように思う。
先生は、私の惨めな状態そのものが「解消」するとは決して仰っていない。そして、ただ待っていればよいとも仰っていない。
「あまり悲しみすぎないで、また投げ出さないで、次々と挑戦し、失敗したり、倒れたりしたら、また立ち上がって歩く。神さまに頼りながら、ヨチヨチ歩きの赤ん坊のように歩いていく中で、明るい、温かい光がきっとあなたの中に入ってきます。」
ご自身の経験に基づいて紡ぎ出された言葉だったのだろう。単なる気休めではない、誰かの心の中で弱くなりかけている燈をそっと両手で包み守るような力を感じる。
あの多感な時期に、先生のような教育者に指導していただけたことは何と有り難く、幸運だったのだろう。以前にも増してそう感じている。
※「放蕩息子のたとえ話」(私のざっくり要約ですのでご容赦ください)
父親に財産の分け前を要求して家を出た息子は、そのお金で放蕩の限りを尽くす。お金が底をつき、人生のどん底に落ちてようやく我に返った息子は、自分の行いを父親に詫びたうえで、使用人として雇ってもらおうと覚悟を決め、家に向かう。しかし、父親は叱るどころか、大喜びで受け入れ、宴まで開いて息子の帰りを祝ったという「たとえ話」。この父親の反応に不服な、優等生タイプの兄の言い分も分からなくもなく、興味深い箇所です。