社会には大まかに二種類ある(自分用メモ)

※段落ごとにメモになっているので、並べ替えなど工夫したほうがいいかも知れない。また、前に書いた記事と割とダブる。

まとめ

一般的に社会は老人・子ども・病人・けが人・障害者・女性のいずれかまたは複数の属性からなる人々が圧倒的多数を占め、女性に守られている。

男性は基本的に、いざとなればこの意味での社会を見捨ててでもどこかの偉い男性の支配の仕組み(狭義の社会)のために生きて死ぬことになっており、社会をあんまり守っていないし、何なら社会が見えにくい。

現実は騎士道モノファンタジーじゃないんで、事実だから仕方がない。

まず広義の社会は老若男女が生きる社会で、どこでも女性に守られている

老人・子ども・病人・けが人・障害者・女性のいずれかまたは複数の属性からなる人々が圧倒的多数を占める、普通の集団を意味する場合だ。この社会の合理性とはそれぞれ/みんなの幸福である。

この意味でいえば古今東西、どの社会でもシス女性に守られているし、シス女性の問題解決思考と論理的な思考に依存している。

むろん女性が人々を守らない場合もあるが、近代社会でも国も企業も女性に依存しているため、女性に守られなかった人々は詰む。

そのため大抵の女性は逃げないし、社会もわざわざシス女性の名前や教育機会や職業機会を奪ってまで逃げにくくしてきた。

男性は一般的傾向として、世界中どこでもあまり広義の社会を守らないし、問題解決といえばシス女性への丸投げになりがちである。

原始的で自称「女性が偉い母系的な」原始的な社会でも女性の負荷が過大で、彼らのいう「西洋が男尊女卑を持ち込んだ」という発想は大枠で妥当でも割と眉唾だったりする。人間たいてい人生の最初は問題解決といえばママへの丸投げであるし、男性は女性よりも、そのまま育ちがちなのだろう。

さらに集団に身分ができるにつれて、男性の場合、ほとんどは狭義の社会(つまり偉い男性の序列)に組み込まれ、いざとなれば妻子も老親も見捨て、広義の社会を破壊してでも偉い男性のために死ぬ仕組みの中で生きているため、社会を守ることは例外的ですらある。(平常時限定など)

世界中どこであれ、そのへんの父ちゃんらが、子供の食費や教育費や医療費になるはずの金で武器を買い、競い合った挙げ句、男の集団ヒステリーとしか言いようがない戦争に至り、母ちゃんらにしわ寄せがいく事態はよくあるし想像しやすいだろう。

ちなみに「男性は狩りをするから」という進化心理学のニセ科学を借りれば、男性が共感と情緒と集団ヒステリーで動くのはむしろ合理的じゃなかろうか。いちいち議論してたら獲物が逃げるし、集団に流されれば猛獣相手でも安全だ。

しかし男らしい男性の共感と情緒に流されやすい傾向や、女性らの合理的思考や問題解決思考を認めると、男尊女卑と支配の前提が揺らぐ。

そのため、「女性は動物に近いから。母は強し。」と貶めて説明する男性のお気持ちが長らく科学でも主流だった。そのような集団ヒステリー的なニセ科学に、たとえば日本でよく見かける母性本能や女性ホルモンに関するニセ科学がある。海外なら高校生でもニセ科学と知ってるもんで、悪いけど、頭良い人には見えないんですけどね。

狭義の「社会」は男性の上下関係と支配維持の仕組み

もう一つ、俗に言う「社会」は「従来の、主に男性同士の上下関係と支配の維持を目的とする仕組み」と言っていい。

「男社会」「女性の社会進出」などという一見バカげた発想が出てくるのは前述の広義の社会(老若男女の社会)と後者(主に男性同士の支配構造)の違いによる。

現代人からみれば当然、この意味での社会とは、男性が多いぶんだけ無能が多く、男同士の情緒論に流されがちで、集団ヒステリーにも弱く、しかもピラミッド的な上下関係ゆえに大多数の人々が無駄に消耗し、そのぶんだけイノベーションの機会が激減し、しかも女性を奴隷的な下働き要員として使う前提の、非効率的・非生産的・非人道的な社会だ。

とはいえ近代社会が成立した当時は、階級や人種民族や男女の優劣を説くニセ科学や歴史修正主義を根拠とする仕組みや発想が生きていたので、今もこの狭義の社会の愚行が広義の社会(老若男女)を振り回しがちである。

狭義の社会の前提はアンチフェミの信念と同じ「俺は生まれつき良い支配者だ」という妄想

アンチフェミの信念は、そういう自分中心の天動説のようなニセ科学と歴史修正主義と集団ヒステリーでできている。

アンチフェミは「俺たちは良き支配者ではなかったし、お前も良き支配者ではないよ。そもそも、良き支配者など有り得ないよ。」という当然の指摘にヒステリーを起こす。

中世貴族ならそれで通用したろうし、実際、20世紀後半の先進国男性は、女性その他の世界人口を資源のように使う中世貴族めいた立場にあったのだから勘違いも自然かもしれないが、やはり妄想は妄想である。

なので今の世界ではアンチフェミは男からもお祖母ちゃんからも嘲笑されるし、

上司にも取引先にも蔑まれるし、

各国からはテロリスト予備軍扱いされるし、

当然、女性にも嫌われる。

日本が近代化の参考にした復古思想

とはいえ、日本が近代化で参考にした当時の欧州社会は市民革命への懐疑と帝政/王政復古から始まったので、特に日本ではこれがガチガチに強化された面はある。

また、前も何度か書いたが、もともと男尊女卑は洋の東西を問わず古代から聖人賢者が説いてきた政治哲学や原始的な医学の基礎だ。なので批判的に読まないとならないのだが、なにせ権威なので、今もうかつに教養を身につけると男尊女卑が凄まじくなる。

そんな昔の教養のおかげで、たとえば、中央集権が進んだ中世後期以降から近代初期の西洋では女性は法的無能力者や二流市民扱いだった。

さらに日本などの東洋では、女は全員が地獄行き確定のケガレで精神が卑しい穀潰しだと権威が大っぴらに教える社会だったので、この意味での社会からはほぼ除外されてきた。

男が男を守る「狭義の社会」において老若男女の「広義の社会」を守るか否かはオプションであり、平常時の贅沢だ。

そのため古今東西、広義の社会を守る戦いでは大抵シス女性が主力になる。社会も男性も一般的に、女性に守られる一方であるが、女性を守らないものだし、女性の守る社会も守らないので。

歴史マメ知識「一般的に男性が戦うのはカネと名誉になる場合であり、あまり社会を守らない。社会を守る戦いでは男性は女性の影に逃げ隠れしがちで、後で女性の戦果を横取りしたうえで女性を排除する。」

という傾向は覚えておくと歴史や現在の世界を見るうえで便利である。

たとえばフランスであれ日本であれ、近代や現代の諸国の人権保護や平等などもまさにそうだ。

最近などだと男性のトランスライツ活動(TRA)も「シス女性の戦いにタダ乗りして成果を簒奪したうえでシス女性を排除する」という、このお約束の動きが見られますね。情けないことですが。

近代初期は女性に戦わせて簒奪してきた歴史の掘り起こしがまだまだで、あたかも男性が歴史を作り、戦いで女性や子どもを守ってきたかのような妄想が通用した(フランス革命なか露骨に女性たちの戦いを簒奪したものでしたし産業革命でも女性や子どもを酷使してましたが)。

そんな近代社会では古代ギリシャローマさながらに女性や異民族その他を動物に近い二流市民と位置づけて、市民男性だけの自由と活躍と最大幸福達成のための資源として扱う仕組みを作り上げ、その正当化のニセ科学や歴史修正主義を説いた。端的には

「俺様がお前らを支配するのは正当な支配で、お前らは俺の下働きになれて喜ぶべきだ。俺様の支配がお前らを守っている。」という妄想だ。

いまの日本のジェンダーギャップなどもこういう思い上がりと妄想がなければ正当化しにくいが、19世紀には国家間でも「俺の支配は良い支配」が普通だったし、20世紀後半の普通の男性の世界観もこれが普通だった。

個々の例外はともかく、植民地支配であれ女性政策であれ、他人様の名前や自由や権利を奪って使い、一方的に自分が儲けて守られている異常な状態をなぜか「自分が相手を守っている」と錯覚しているに過ぎず、守っていなかったのは言うまでもない。

アンチフェミに限らず、俗流の性差論などはこの手のインチキであり、前世紀後半から今では否定されている。

おまけ1 「枢軸国を悪く言う人なんて日本人じゃないはず」というヘタリアファンさんの妄想について

我らが日本は20世紀前半にみるように、人種民族差別や男尊女卑の強い国の典型だった。

1939年頃の「風と共に去りぬ※」原作のピューリッツァー賞受賞から映画化、世界中でのヒットまでの経緯を見ればわかるとおり、第二次世界大戦の世界では、すでに人種民族差別や性差別、階級差別は否定的に見られていた。大衆文化である映画の観客も、そのように想定されていた。

注「風と共に去りぬ」のヒロインは騎士道めいた女性保護と男尊女卑に家業を邪魔されつつも差別主義者を超越したエゴイストなので、奴隷労働の次は囚人強制労働に手を染めるわ、黒人蔑視は常に欠かさないわ、白人も家族友人我が子までほぼ全員をバカにしているわ、献身的で優しい女友達すら敵兵を射殺して財布を強奪するまでは完全にフヌケ扱いしているわ、一見まともな男性キャラがほぼ全員KKKだわ、唯一KKKじゃないヒーロー(?)も公金横領でボロ儲けしているわで当時の南部のリアルさとはいえ安易に憧れられると大問題。最近ポリコレ的な注釈がついたのも当然といえる。

20世紀初頭まで先進国に流行った帝政も、「男らしさ」という古代の迷信と近代のニセ科学に基づき、「男らしい男が文明や歴史の主役のはず。つまり最も男らしい男の家系の代表者、つまり皇帝の自由な活躍と人類支配こそが、文明の進歩であり人類の幸福ではなかろうか」という空想だった。

今の日本の例で言えば日本会議の考え方がこれ。奴ら、ほんと教養がないんだよね。

ともあれそんな帝政はフランスでもドイツでも短期で見事にポシャり、すでに時代遅れだった。

そんな世界で、我が国日本やドイツ、イタリアなどの枢軸国は、未練たらしく、自民族(の男性)至上主義と世界支配を全人類の幸福とするトンデモを唱えた。

現実:日本は全人類を敵に回していた。

自分の世界支配こそが王道楽土とみなす枢軸国のうちでもイタリアは古代ローマ再来の夢を追えば良かったが、覇権だったことがない日本やドイツはイギリスが世界支配に至ったステップを人為的に短縮しようとした。これが悲劇の端緒ともいえる。

イギリスによる世界支配のステップを、人工的に「効率的に」模倣する。だから各地の現地文化の殲滅も、現地人大虐殺なども、イギリス以上の過酷さで、政策として当然に起きた。生存圏構想とはそういうものだ。

模倣元のイギリスの場合は長い時間をかけ、いちいち人道的な議論も起きたうえで以下の好条件と偶然で覇権に至った。

参考1600年代にポリコレ的な発想で成功した名作

①中世世界に広がったイスラム勢力の広域異民族王朝(たとえばイスラム化したモンゴルがインド亜大陸に侵入して南端以外を統一したムガル帝国など)の支配が、ちょうど揺らいでいたこと

②大航海時代の先達スペインとポルトガルの腐敗と衰退、英国王ヘンリー8世の一見アホな理由によるカトリック離脱、そして欧州大陸での宗教改革による疲弊という状況下で、王を教会の長とし消耗を避けられたこと

③産業革命

④人口爆発により世界中へ

という偶然による面が強く、各地の残虐事件を含めてかなり止めようもない成り行きだが、日本やドイツは同じステップを人工的に効率化し短縮して真似しようとしたのでイギリスよりさらに残虐なことになった。

※日独伊、全て自分至上主義の三国がでどう同盟できるか謎に思えるが、お互いに相手を利用できると思っていたり、分割世界支配を狙っていたりした模様。

※※ヘタリアとかいう古い漫画があって、同人由来なのか作者の無知と差別と日本純朴化が酷すぎてイマイチギャグにならないんだが、今日あれのファンが、そのへんを指摘した普通の人に「枢軸国が悪だなんて!きっとあなたは日本人じゃないんですね(察し」的に噛みついていたので、記念に書きのこしておく。すげい。

どうしてオルトライトやアンチフェミって自助努力を説くくせに努力が大嫌いなんだろ。

さっきも言ったとおり第二次世界大戦は我々日本と独・伊が「我らこそは世界の正当な支配者」というアホな主張で全人類を敵に回した戦いであり、日本人全員が「あれはマズかった」と思ってないと日本の将来がマズいんだが、某ヘタリアファン氏を見る限り、日本は戦後の反省と義務教育に失敗したといえる。

おまけ2 「日本は伝統的に女性を守ってきた。男尊女卑はキリスト教の輸入」という最近流行りの集団ヒステリー

長いあいだ女叩き本で売ってきた心理学者などがこれを唱えていて笑えますが、一応書いておく。

日本好きな人なら全員が知っていておかしくないことだが、キリスト教のせいにできなかった幕末には男尊女卑は仏教や儒教のせいにされていた。神州日本が女性を蔑視するはずがないからだ。でも結局、神道も男尊女卑は凄まじかったというオチでしたが。

結局いまでも彼らの主張は、自分の民族を善良と見る危険思想や、「女や異民族が悪い」という古今東西の歴史で使い古された恥ずかしい発想のままであり、2020年になってもこれを言えちゃうのは実に無教養で努力嫌いのオルトライトやアンチフェミらしい。ほんと、どこまでも女のせい、外国人のせいが好きな奴らですね。

現実:女神を崇拝していても男尊女卑が凄まじい社会はよくある

これまた、中学生でも少し考えれば気づく普通の教養だろうに、大の大人総出で気づかないあたりがアンチフェミにありがちな集団ヒステリーである。

迷信で血を恐れていた時代を思えばわかりやすいだろう。血を流さない女神を礼賛するが人間の女性はケガレとみなして蔑視/排除することは、神道に限らず世界によくある。

また、科学の未発達な社会では「出産」も「娘」も、『冥界へのゲートが開く危機』とか『この世に苦を増やす悪』くらいに解釈されることもよくある。ってのも基本的な教養だろうし、

いくら無知でヒステリーなアンチフェミでも、三分だまって考えればわかると思う。

現実:男尊女卑ゆえに「伝統的に女性に法的能力がある」社会も割とある

我々日本を含む仏教圏などが典型だ。

くどいようだが、なにせ男性は全員が仏に近いと教えられていた(よって現代インドでも仏教が被差別カーストの救いになったりするらしい)反面、女性は理論上決して成仏できない(古典)又は地獄行き確実(中世以降)と一般的に教えられていたため、女性が商いなどの俗世のケガレを引き受けていた。

日本でピンとこないなら男性に修行の習慣があるアジアの国を想像してもらうとわかりやすいだろう。男性が尊いとされ修行に送り出される文化や、俗世を卑しいとみる文化があるからこそ、女性が家業の実務を担う

女性の立場の強さというより「ワタシは地獄行き確実な女性の身だけど地獄の責め苦が和らぐかも、何なら来世で男性に転生できる可能性も…」という迷信による脅迫と搾取だ。

ちなみに、日本を含めてアジア圏で伝統的に盛んな娘の身売りなどもこの発想で堂々と行われてきたし、当然、20世紀の「欧米」で黄色人種を危険視し蔑視する理由ともされた

その日本で「日本では女性が守られている。男尊女卑はキリスト教文化の産物」ととく滑稽さたるや。

これまた(主に男性の)集団ヒステリーが社会を潰していた例や、歴史修正主義を今現在作っている例といえる。