アンチフェミさんの集団ヒステリー列伝 :①ついに「フェミはバカにされているだけです」と必死にマントラを唱え始める
前者は以下について。
フェミニストはなぜ「からかわれる」のか? 「からかい」という行為のズルい構造(江原 由美子)
この記事に対する普通の男性の反応の真剣さは勉強になるし、アンチフェミさんらの集団発狂についてはただ笑えるのでぜひ検索のこと。
ちなみに今の世界では、よくあるアンチフェミさん的な冷笑を「パニックと心の弱さ、感情的になる能力の乏しさ」と判断するので、ヘラヘラした側が即座にイエローカードを喰らうとこがあります。
科学的にはヒステリーってそういうもんですからね。
「なにヘラヘラと逃げて解離起こしてんですかボケ。これは怒りと屈辱の問題です。怒りと屈辱の問題としてきちんと感情的に扱えるまでお前はすっこんでなさい。」という扱い。
はじめに
いまどき中等教育まで受ければ身分制度、文化、産業構造としての差別の存在を知る。
現実の「基本的に男性だけを守る近現代社会」「一般的に男性が戦争や重労働でも女性子どもを使いがちな傾向」「女性差別に依存してきた/いる産業や政策などの構造」にも気づく。
男女の心理や脳の違いがあらかた男に都合がいいだけのニセ科学で、まともに確認されてもおらず、さらに理論上も全くありえず、世界でも近年ずっと錯覚扱い、要は集団発狂の産物とも気づく。
幸福度の高い人は途上国民や女性が多く、「日本女性の幸福度が高い」とはすなわち「国内の被差別集団故に日々の暮らしが大変なだけ」…とも気づく。
普通の男性の人生でも、日本政府や職場の制度や運用がいちいち女性蔑視と女性に守られる前提なので早晩気づく。
歴史や現代を観察するにも「残念ながら人は何でも女叩きか異民族叩きで対応しがち」という事実を念頭に置くと面白いものがたくさん見られる。
フェミニストをバカにするアンチフェミさんたちはもはや未来永劫「こいつこんなこと書いてんよプゲラ」と笑われる運命にあるのだ。可哀想に。
50年前のトンデモ男女論
「男性が女性を守っている」「古来男が狩りをし戦争に行く」「女性にアインシュタインやバッハ、あるいはワトソン/クリック的な学者がいるか?マリ・キュリーは男性化した特異な女性のはず。男性による女性への実効支配は不可欠な必要悪だ」「女子大生亡国論」「女子医学生や女性司法修習生育成は税金のムダ」
が言われていた時代だろう。どれも今ではただバカにされる考え方である。
2021年現在の普通の男女論
「古代から中世の大型獣の狩猟や戦争はしばしば女性が半々か主力」「女のヒステリー説は科学史に残る男のヒステリー」「自称理性的で冷静な男はただのパニック状態」とか
アインシュタインの相対性理論を検証したところ、どうやら妻の業績の横取りと判明。バッハの名曲の相当数も妻の業績。ワトソン/クリックの業績は完全に女性からの強奪。男性ホルモンが能力を向上させることは原則なく、むしろ逆。マリ・キュリーも有能な男性たちも《女性的な》人。社会を支える労働の過半数は女性が無償か低廉に担っている。「男性が女性を守る」どころか潰してきた
※アインシュタインは若い頃劣等生で、妻は同級の優等生だったことは有名だがつまりその後も以下略
と知られる時代だ。
時代が違う。
男子で今どき「古来、男が狩りをし戦争に行き、文明を築き、重労働をし女を守ってきたのだー男脳がー女脳がー」
などと言うようなニセ科学フルコンプのやつがいたら恥ずかしい。
そんなこんなでアンチフェミニストはもはや断末魔を上げる一方の負け組。
笑う側から笑われる側に変わったアンチフェミニストも必死に、フェミニズムこそバカにされているバカにされている、と自己暗示をかけている。
傾向としては
ファンタジー風味の「男尊女卑が女性を守っているー。フェミニストはさらに女を守れと言っているー」式の妄想世界に住まうかたがた
が、カルト信者集団がマントラを唱えるように唱えていて哀れみを誘う。
「子孫を残すことがフェミニズムへの対抗措置だと思います」という意見まで出てくる。
ふつうの男性は女性を搾取する一方守られる一方なので、子孫を残したければまずアンチフェミニストをやめよう🤣。途上国と仲良くなりたければ帝国主義を捨てるくらいに当たり前だ。
発狂するアンチフェミさんのお気持ちを現代人は十分理解できる。だが理解を示すつもりはない。なぜなら支配によくある集団ヒステリーだからだ。
ジェンダーギャップ約120位の日本は、開国前も今も、産業でも文化も政治でも女性蔑視に依存してきた。
今も無能な男性たちの集団ヒステリーで動く国だ。無能で無責任な上を有能な下が支える国だ。
国会の年寄り(主に男)どもの、共感以外に能のない様子を見よ。女議員を鉄砲玉に使う様子を見よ。市井で尻拭いに努力する女たちの合理的思考と解決脳をみよ。
「下」の人々、最終的に女の努力と有能さゆえに回る社会で、アンチフェミニストは「俺の支配は良い支配だ。反発は感情的。ジェンダーギャップ約120位的な格差は、ヤツラが守られている証拠だ」と支配者のごとく錯覚するわけだが、その中世貴族みたいなプライドが崩されるんだもの、アンチフェミニストが揃って怯え強がる様子も当然でしょう。
でも圧倒的多数の人々は
「昔の男ってのは男の正しさを不動の真理として世界を語る天動説みたいなバカだったんだな、他人を手足のように錯覚しとったんだな。科学もおかしかったんだな、アンチフェミニストってバカなんだな」
と思うだけのことだ。義務教育の延長線だし。
アンチフェミニズムは補陀落渡海と同レベルのナンセンスなんで。
ちなみに、赤毛のアンのようなヴィクトリア朝期の西洋であれば「男が狩りをし戦争に行き、重労働をし女を守るのだ」という文化があった。
彼らが女性を守った理由は、過去の彼らや当時の他の文明(例えば日本)が「男性だけを守り、女性を守らないから」である。そのヴィクトリア朝も、いまや女性差別の代名詞だ。
例えば赤毛のアン経由でエヴァンゲリオンにも出てきた
神は天にいまし世はすべてこともなし
も、元ネタは工場労働者の少女(確か10歳)が1年にたった1日の休日に工場を出て自然の中の散歩を楽しむ様子を歌った詩である。そのように彼らの産業も女性に依存してきた。
「日本の明治大正昭和社会が女性を守っていた/重労働をさせなかった」と思う人がいたら、単に日本史を知らないバカだろう。
伝統的に日本は男性が隠遁しがちで俗世をケガレとみなす仏教文化故に女性の権利がそこそこあるが、それは女性が公にケガレ扱いで、地獄行き確定とされた人々だったためだ。
日本人が「男が女を守ってきた」と思い込むには西洋ファンタジーにすがるしかなかったし、今どきのアンチフェミニストは西洋ファンタジー脳なので西洋と日本との区別がついていない。
我田引水的に言いかえれば
50年前の雑誌の記者や読者視聴者(主に男性)は大日本帝国育ち。
つまり自他の区別という最低限の論理的思考すらあいまいな、中世めいた世界観の人々で(例えば性犯罪は複数人の自由意思と基本的人権が関わる以上は誘拐罪以上の重罪であってよいが、元々彼らの意思ひとつでほぼ加害し放題だった。中世領主の初夜権なみに異常なことだ)。かつ、支配以外の人間関係が苦手な人が多かった。
言い換えれば彼らは
自分と他人の区別が未熟ゆえに他人特に女性を手足のように使って良いと思いこんでいる、異常な心理状態を抱えた人
の集まりと言え、女性からの反発にパニックとヒステリーを起こしやすい。
50年前の知識人のような男ならそうやってゴネていればママや妻や部下が問題を解決してくれたのだから、アンチフェミさん達のようなパニックも合理的()だ。
男尊女卑も身分制度の名残だから責任を負うのは「下」であり彼らではないし。
自分と他人の区別すら危うい論理的思考の欠如。生まれつき履かされたニセ科学や制度のゲタ。支配ベースの貧困な男女関係。己の貧困さを認めたくない意地。
その結果がウーマンリブやフェミニズムをからかう彼らのヒステリーである。
今の世界では、男からも「奴隷主が奴隷の反発にパニックを起こして奴隷の精神異常だと思い込むようなもの」とされる異常心理だ。
少し落ち着いて問題解決思考で考えれば、それなりに妥当な感情による感情的なリアクションが可能なはずだ。たとえ今のアンチフェミニストでも。
近現代社会が長らく女性を資源として男性の手足のように使う仕組みを整備し、男性だけを守ってきた現実は日本に限らず、厳に存在する。記事に書かれた現象は、アンチフェミニストというより古いタイプの男性全般によくある集団ヒステリーや個人のヒステリーといえる。
②に続く