性暴力を減らす唯一の対策は、性暴力の認知件数を増やすことである。当然、数字上は増える。

論理的に考えれば当たり前だが、性犯罪を減らす唯一の方法は「性暴力が性犯罪として認知される条件を厳しくすること」であり、被害を防ぐ合理性は皆無だが、主に昔の男性の「俺は良い支配者」というお気持ちは守られる。

そのおかげで日本は性犯罪が少ない。

性犯罪を減らす】唯一の方法は、できるだけ被害を認めないことだ。

具体的には

「性暴力を性暴力とすぐに認識できるような知識を、広く幼少期から教育【しない】」
「性犯罪の定義を狭める」
「認知される条件を厳しくする」
「訴え出るハードルを上げる」

などだ。

そもそも近代国家は元々男性だけを守るものであり、女性は二流市民扱いだった。女性は男性を守るための資源(例「福祉の含み資産」)であり、男性のおこぼれと気まぐれでしか守られない。

性犯罪においても、ひと昔前は先進国でも男性加害者や男性家長だけを守り、女性を守らないことが当然だった。今の先進国でも、たとえば我らが日本が今もそうだ、という小学生でも知っていそうな単純な事実だ。

そういう方向性で国を作ってきたんで、当たり前でしょう。

対照的に、【性暴力を減らす】唯一の解決策は、ちょうどヒヤリ・ハットの把握で重大事故を防ぐように性暴力の認知件数を増やすことである。当然、数字上は【性犯罪が増える】。

その逆はない。

なんであれ公に露見するのは氷山の一角にすぎない重大事象なので、全容は、その方針でだけ把握できる。他は不可能だ。神じゃあるまいし

論理的かつ問題解決的に考えれば当然だが、【性暴力を減らす】には一旦は全容を知る必要があり、調査を実施すれば、当然、性暴力の認知件数は増える。

そして性犯罪の定義も変わり、性犯罪の認知件数も増える。が、体感的な安全感や、社会への信頼は増す。世界の趨勢はこちら。

そんな世界の片隅で、アンチフェミさんらは集団ヒステリーを起こすわけです。「日本は性犯罪が少ないィィイ!!キエエエエエエ!」ってね。恥ずかしい。

性暴力を性犯罪として認知する件数を思い切って増やす、という合理的な解決策を取れない理由は、決定権者(主に男性)の心の弱さ


アンチフェミさんもそうですね。彼ら定番の冷笑という典型的パニックや、「日本は性犯罪が少ないィィイ!海外は性犯罪が多い!!キエエエエエエ!!」というパニックと非合理的な主張と集団ヒステリーを見ればわかるとおり、お察し。

気の毒なことです。

そのうちアンチフェミさんは地獄の黙示録のヘンな軍人みたいにジャングルの奥地に逃げ込んで、自分が王様の小王国を作ろうとしそうで楽しみです。

いやヴェトナムのひとはジャングルの奥地でも、日本のアンチフェミみたいな幼稚な植民地支配そのもののロジックに騙されやしないでしょうけどね。奥地の人ごめん。


さて、そのような日本のアンチフェミさんが好例ですが

問題に際しての自称「冷静」「論理的」、あるいは冷笑的態度、あるいは当事者への「感情的!」という非難は、たいてい言ってる本人のパニックとヒステリー

そいつこそ問題解決の邪魔。ってのは政治でも経営でも人生でも重要なライフハックでしょう。

脳にとって問題解決や論理的思考には感情が不可欠なので、問題にさいして感情を否定する理由なんぞ、そいつ個人の弱さとパニックと現実逃避以外にないんですよ😎

むろん、パニックではしゃいだり「冷静で論理的」という静かなパニック状態になっても合理的に思考し問題解決を行えるコツも存在するが、それは危機が何もない頃から予防的かつ問題解決的なルーチンを構築し、集団で共有し、手順を各自に刷り込むことだ。

今の先進国で性暴力被害者が、いざというときに被害を認識し証拠を保全し相談できるのも、こういう「朝、目を覚ましたらどうもおかしい…一刻も早く市警へ」的なルーチンを身につけているおかげです。

まあ、これら予防策にしても、あるいは「性犯罪認知件数を増やす」という唯一の合理的な方向へ舵を切るにしても、アンチフェミのように

「俺らの支配は良い支配ィィイ!女は守られているゥゥゥ!女が感情的なだけェェ!日本は性犯罪が少ないィィィ!!エビでんスゥー!!」

という非論理的思考と現実逃避とヒステリーの声が大きければ、実現しないでしょう。

たとえば"Yes means yes"を否定する男が「おれはヘタクソです」という告白であるようなもんで、日本の性犯罪の定義が妙に狭い以上、アンチフェミが騒げば騒ぐほど、またもや(主に男性の)集団ヒステリーとニセ科学と歴史修正主義の証拠にしかならないんですがね。

「日本は性犯罪が少ない」なんぞ現実逃避でしかないのに気づかない、集団ヒステリーの哀れさ。