見出し画像

"We Covet What We See Everyday" その欲望はどこから

「毎日見ているものを、我々は欲しがる」
タイトルの一文は、映画『羊たちの沈黙』の主人公レクター博士の台詞だ。レクターは、FBI研修生のクラリスに事件の犯人のヒントだと言うが、このときのクラリスは何のことか分からない。だが後になってその意味が解る。

欲望はどこから来るのか。
「ミルクフォーマーがほしい」
「年末年始は宿で過ごしたい」
「海沿いのパン屋さんでバケットを買って、ピーナッツバターを塗りたくって海をみながら頬張りたい」
「本も漫画も文房具も手持ちを気にせず心ゆくまで好きなだけ買いたい」

どれも「私の」欲望に見える。
私から派生した、私の内側から余すことなく出てきた真正の欲求に思える。
しかし本当にそうなのか?
この欲望は私だけのものなのか?
会ったこともない誰かが手にした鞄を持っている写真をみて、羨んでいるだけ?
知り合いが「あそこのお店、すっごく良かった」と言っているのを聞いて、妬んでいるだけ?
誰かがしたから、私もそれに倣いたいだけではないのか?

誰かの欲望≠私の欲望と、どうやったら見分けがつくのだろう。
私の中心から出た欲望だと、どうやったら断言できるのだろう。
これは他でもない「私」が欲しいものだと、なぜわかるのだろう。

「こうだったらいい」「ああだったらいい」
制限をつけずに望みを出そうとするとき、私はいつもレクターの台詞を思い出す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?