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【海外旅行記】訪問した大学生が語る イースター島とモアイの全て①

こんにちは!note大学4年のかみりょうです。

今回もご覧いただきありがとうございます!

今回は、『【旅行記】訪問した大学生が語る イースター島とモアイの全て①』です!!

以前からかみりょうnoteを見ていただいた方はご存知かもしれませんが、

かみりょう自身、旅行好きでありまして、
大学生までに世界12ヵ国を訪問してまいりました。
以前にもイースター島に関する投稿をさせていただき、多くの方に閲覧していただきました!ありがとうございました😊

そして!この度
2024年1月19日(金)から約1週間、夢でありましたイースター島に行ってまいりました!!

昨日帰国しまして、
イースター島で得た学びを少しでも多く書き残せるようにnote投稿頑張っております!
(教授には、いつ大学に来るのか 急かされておりますが笑笑)

第1回目の今回は、イースター島の歴史と生活
がメインです。
(モアイに関しては2回目に深く書きます✍️

世界史や日本史の学びを中学で終えたかみりょうにとって、歴史は人生の中で縁がないものですが、イースター島の歴史は本当に面白いんです。

と言いますのも、昔の〇〇人が××して、△△が広がった のように断定して言える事実はごく僅かであり、ほとんどがわかっていない事ばかりなんです。つまり、××が発見されたから、〇〇なんじゃないかな〜、という仮説なわけです。

仮説の歴史。歴史好きの方にとっては信じられないかもしれませんが、、、
逆に理系の皆さんは好きかもしれませんね!得たデータから理論上で様々な可能性を解析する必要がある点が考古学とそっくりで、まるで理系の脳が必要不可欠と言います。

今回の内容は長いですが、楽しく読んでもらえるように作りました!!

どなた様でも楽しんで読んでいただける内容ですので、ぜひ最後までご覧ください!!

1、 イースター島の成り立ち

イースター島はポリネシアに浮かぶチリ領土の火山島。日本からは約9,500km離れており、日本の小豆島とほぼ同じくらい、愛知県名古屋市の約半分の大きさだ。そんなイースター島は3つの火山であるラノ・カウ山、プアカティキ山、テレバカ山の3つの火山の爆発によってイースター島ができたとされている。

日本からのツアー旅行では一般的にラノ・カウ火山を訪れることが多い。なぜならオロンゴという鳥人儀礼の舞台に近いからだ。(オロンゴ・鳥人儀礼に関しては後述)実際にかみりょう(私自身)もラノ・カウ火山を訪問した。

ラノ・カウ火山
かみりょうとラノ・カウ火山
一部、自然の力によって砕け水平線が綺麗に見える

島内で唯一の湖。直径は約1.6km。湖の表面にはトトラアシという草が浮いている。また、湖から地下水が流れ、ハンガロア村で井戸を掘って利用されている。しかし、村人たちはその水を飲まない。基本的にミネラルウォーター。

3つのうちのもう一つの火山。テレバカ山。残念ながら、日本人観光客で訪問したことがある人はほとんどいないのだという。なぜなら、道が存在しないため、バスや車で行くことは不可能徒歩でも片道3時間程度で全て足場の悪い山道を登るしかない。しかし、テレバカ山はイースター島内で一番標高が高い場所で頂上にはモアイがあるそう。そんなお話を伺い、かみりょうと同行者は互いに話し合った。「日本から来た若者2人が行くしかないんじゃないの?」と。

という訳で、ラノ・カウ火山を訪問した2日後、
馬を2匹借りまして、乗馬でテレバカ山の山頂に向かいました
片道1時間強で到着。

暴風のテレバカ山 尾根
お借りした2匹の馬 左:クラクラ君 右:オノ君
テレバカ山 山頂
山頂からの景色 奥がハンガロア村

2、 【イースター島の歴史】最初の島の移住者はだれなのか??

当時、無人状態であったとされるイースター島は椰子の木が覆い、海鳥や魚に恵まれていた島だった。しかし、10世紀前後にポリネシア人が島へ上陸したとされている。ここからは神話の話になるそうだが、ヌク・ヒヴァから最初の首長、ホトゥ・マトゥアが一族を率いて移住したと語られている。実際の様子や正解を求めることはできないが、少なくともマルケサス諸島やピトケアン諸島含むポリネシアン・トライアングルのどこかの部族が移住した可能性が高いらしい。

(※ポリネシアン・トライアングル:ハワイ(下図1)、イースター島(下図3)、ニュージーランド(下図2)を結んだ三角形内の島。ギリシャ語で多くの島々という意味)

ポリネシアン・トライアングル(Wikipediaより引用)

3、 【みんな気になる】モアイはなぜ作られたのか

モアイの話をする前に、宗教的な概念の話をしよう。どの地域にもよくある神の存在に近いものである。ポリネシア独自の概念に「マナ」という不思議な霊力がある。この力は「マケ・マケ」という創造神からもたらされており、「マナ」の力により災難から逃れ、生活を豊かにしてもらえると伝えられている。

この「マナ」という霊力は死後も生き続け、様々な概念に影響を及ぼすとされてきた。その為、各部族の首長(偉い人)が亡くなると、集落(陸地)を見渡せるよう海を背中側にして、モアイ像を立て、目をはめた。このモアイ像に目をはめることにより、「マナ」の霊力が宿るとされた。これがモアイ像の始まりとされている。

つまり、モアイ像は村の守り神として立てられたのだ。

ちなみに、モアイは大きさがバラバラだ。

小さいものから大きいものまである。これは、昔に立てられたものほど小さく、次第に大きくなっていったとされている。(「マナ」の力をより多く宿る為)

一つ重要な話だが、

今、モアイが立っているのは全て考古学者により立て直されたからである。

当時見つかったモアイは全て倒れていた。

これは上記に書いた「マナ」の霊力の為に立てた後、全てモアイは倒され、再度研究の為に考古学者が立て直して、今モアイが立っているのだ。

ではなぜモアイは一度全て倒されたのだろうか。

4、 【イースター島の歴史】モアイ戦争

昔どの地域でも起こっていたとされる資源枯渇や食糧危機。イースター島内の部族も同じ状態に陥っていた。そんな中、各部族の守り神であるモアイは、マナの精力を潰すため、モアイ像は倒され、目は壊された。1774年にイギリス人の海洋探索家であるジェームズ・クックが南太平洋を航行中、偶然にもイースター島を訪れる。しかしながら、「銅像(モアイ像とされる)は多く倒され、食料もなく、人々も多くない島」というようにメモを残したことから、モアイ像を倒すだけでなく、人々同士の争いが続けられていた。どのように人々を殺め、処理したかは内容がかなり不快であるので記載はしないが、気になった方は調べてみてほしい。また、このモアイ戦争には続きがあり、具体的にはイースター島人の拉致(奴隷狩り)によるモアイの名前の消失(モアイには一体づつ名前があった)や鳥人儀礼、伝統文化の消滅、チリ政府による支配など内容が深いのだが、時代の流れを掴むのが難しい+内容が記載することに不適切なので、このブログでは記載しません🙇🙇
(気になる方がいればいつでもお話ししますよ!!)

5、 【イースター島観光】最大の村 ハンガロア

イースター島へは、日本の成田空港からエアタヒチヌイ航空でタヒチ島のパペーテ、乗り継ぎでパペーテからイースター島へ向かった。飛行時間は合計で17時間程度。乗り継ぎ含めると20時間強で約1日かかる計算だが、実はこのルートは普段存在しないらしい。普通に行こうと思えば、南米チリ本土からラターム航空で向かうことになるだろう。その場合、最低2日程度必要となる。今回はパペーテからイースター島はチャーター便を利用したことで、気軽に訪問することができた。

エアタヒチヌイ

イースター島の空の玄関口はマタベリ空港だ。空港の全景はこんな感じ。

搭乗口らしい
入国審査&荷物受け取りに外まで並ぶ

なんというんだろう。空港というより、昔の少し大きな家というか、、、少なくとも空港には見えない。

もちろん内部もしっかりはしておらず、、笑
必要最低限の設備だけが存在する。

そんな空港からバスで5分も経たない場所にハンガロア村がある。ハンガはラパヌイ語で湾、ロアは長いを意味する。つまり、湾に沿ってできた長い村を意味する。イースター島の人口が約5700人のうち、9割がこの村に住んでいる。イースター島の経済中心地であるわけだ。

唯一日本人が運営するレストラン TVでも何度か紹介されている
レストランからは海を一望できる
街中に突然モアイ
ハンガロア村のメインストリート

え、ここが!?と思うかもしれないが、街中を歩いてみると、意外と揃っている。銀行、商店、カフェ、レストラン、学校?、市場、病院、協会、ホテル、消防署、ネカフェ、図書館、郵便局、などなど最低限の生活は確保できそうだ。

ちなみに、村人の仕事は主に観光業と農業、畜産業が大部分を占めるらしい。農業や畜産業は特に人気らしく、牛1匹持てばチリ政府から無料で土地を貸してもらうことができ、そこに家を建てたり、食物を栽培したりしているらしい。

街中を散策中、現地の小学生と何人か話そうとしたが、英語が通じない。彼らは基本的にラパヌイ語(現地の言葉)かフランス語を話す。言葉は通じないが、とても親切で、すれ違う度に声をかけてくる。彼らは村にある体育館やサッカー場で遊ぶこと、海で泳ぐことが唯一の楽しみであり、それ以外は家事や両親の仕事を手伝っているらしい。

車は基本的右側通行で、信号は島内に一つもない。互いに譲り合いだ。ガソリンスタンドは存在するが、値段はよく分からなかった。レンタカー屋さんも多くあり、観光客でも車は借りられそうだが、全てマニュアル車である。

家は平屋のお家が多く、レストランや公共施設は2F建ても見られた。が、ビルのような建物はない。なぜなら、モアイより高い建物を作ることは制限されているからだ。

🌟 【ここで一息 豆知識】 イースター島のライフライン 🌟

ガスはプロパンガスをチリ本土から持ってきている。しかし、メーター等は付いていないため、利用量は不明。ガスがいつ切れるかは分からない。ガスが出なくなったらタンクが空になったという感覚。

電気は小さな火力発電所で発電している。しかし、施設が古すぎることや技術者がほとんどいないことから、停電は日中茶飯事。大抵30分くらいで復旧するが、村人達は停電を全く気にしていないんだとか。

イースター島内の火力発電所

6、 【モアイ観光】鳥人儀礼の聖地 オロンゴ

オロンゴの話に大きく関係するのが、鳥人儀礼についてだ。
皆さんは鳥人儀礼と聞いて何を思うだろうか。漢字から想像もできるが、自由に飛ぶ鳥には昔、神の力が宿るとされていた。このイースター島にもマヌタラという鳥が渡ってきており、この鳥たちが産卵のためにモトゥ・ヌイ島に押し寄せる。この鳥が産む最初の卵には、上記でも示した「マナ」の霊力が宿っており、この卵を手に入れたものは1年間「タンガタ・マヌ」という鳥人になり、村の首長となるのだ。

一番奥がモトゥ・ヌイ

針の形をしたのがモトゥ・カオカオ、小さいのがモトゥ・イティ、大きいのがモトゥ・ヌイという名の島である。このオロンゴからモトゥ・ヌイにむけ、卵を取るために、毎年レースが行われた。レースの参加者たちは皆、泳いでモトゥ・ヌイを目指す。距離は約1.6km。モトゥ・ヌイについた彼らは、マヌタラ(鳥)に気づかれないよう島内でこっそり隠れ産卵時期を待つんだとか。

レースの出発点であるオロンゴには、ホア・ハカ・ナナ・イアと呼ばれるモアイ像があった場所である。しかし、そのモアイは無断で持ち出されてしまい、今は大英博物館にあるそうだ。


長くなるので、前半はここまで!!
次回はモアイ像に着目します!
イースター島には沢山のモアイが!?

実は目がついたモアイも!
モアイは自ら歩いていたの!?
モアイの上の帽子はなーーに??

などなど
モアイ情報が盛りだくさん!!

ぜひご覧ください!
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今回もご覧いただきありがとうございました!引き続き投稿頑張りますので、
何卒よろしくお願い致します!

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🌟🌟自己紹介


※人類学研究所が行う研究や考古学者が行う研究論文には全てイースター島のことを「ラパヌイ」・「ラパヌイ島」と呼んでいますが、正しいのは「ラパヌイ」を使ったこれらの表現が正しいです。しかしながら、「イースター島」と名乗るのも間違いではありませんし、分かりやすいので当ブログでは全て「イースター島」としています。
※本ブログに記載の内容は研究結果を基にしたものではありません。また、記載内容に関しての調査に関する責任等は一切負いません。
※本ブログに記載の内容は筆者が訪問した際の現地ガイド・日本人公認ガイドの方のお話を基に作成しています。その為、一部誤りの内容を含んでいる可能性がございます。

謝辞
この度のイースター島観光において、日本人公認ガイドであります最上賢二様には滞在中、多大なるご教授を頂き、観光にご理解とご協力を賜りました。心より御礼申し上げます。

最上さんに関しては次回の投稿でご紹介します!
お楽しみに!!

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