#25 水は方円の器に随うが、水と人では決定的に違う点がある。/コトノハーバリウム
お酒やタバコというのは、百害あって一利もない(依存者の多くは、その利を「コミニュケーションの時間」と主張するが、お酒やタバコがなくてもできるので戯言の域を出ない)。なのに人はなぜ呑んだり吸ってしまうのだろう。
心底残念に思うのだが、私の友達に未成年でお酒を飲んでしまったり、タバコを吸ってしまった人がいた。しかも1人ではない。
私はまだ19歳なので経験したことはないが、どちらも依存性があることは周知の事実である。そんなのわかりきっているのにどうして踏み外すような真似をしてしまうのだろう。
はなから依存症な人なんて1人もいないわけで、最初の一歩を踏み出してしまうには、何らかの契機が必要である。その契機の多くは、周囲の人であると私は考察する。(実情は分からないところも大きいので、いつか本人たちにインタビューでもしてみたい)
今日のコトノハは、「水は方円の器に随う」である。これは「人間は周囲の環境によってどうとでもなる」ことを、容器の形に沿って変形する水になぞらえて述べた故事成語である。
日本語に限らず、類義語は沢山ある。それほど正しいと思われている格言である。勿論対義語も存在し、全員が全員周囲に流されてしまう人だとはいえないが、大多数の人間は頷く部分が大きいのではないのだろうか。私もその中の1人である。
ただし、頭の片隅に置いておかないといけないのは、「人は水に似たところがあれど、決して水ではない」ということである。
水に意志はない。自らの身をどこに置くかなど選べない。しかし、人間は違う。自分がどこにいるかを選ぶのは自分なのである。
とても自己啓発チックになってしまっているが、ここまでで大して同意できない人は勝手にリキュールにでも溺れていて欲しい。
人間はあまりに流されやすい生物であることは認めざるを得ない。しかし、それに甘えてしょうもない人間に囲まれている環境に滞在し続けるのは違うと思うのである。
むしろ流されやすい性質を活かして、この人に流されたいと思える人に近づくことが良い戦略であることが理解できるくらいにはヒトは賢明だと思うのだが、あなたはどう思うだろうか。
ときたま、「飲酒や喫煙してる自分かっこいー」みたいな趣旨を含む(と私が勝手に解釈しているだけかもしれないが)人の投稿や話を見聞きする。確かにお酒やタバコが似合う渋い大人がいるという点で少し賛成しそうになり、危なかった。
渋くてかっこいい人は、お酒やタバコの力で憧れの対象になったわけではない。それらが似合うというだけで、そんなものなくても、いやむしろない方がカッコ良い。
ということで、今日は故事成語「水は方円の器に随う」を紹介した(紹介というよりかはそれについて持論を述べただけかもしれない。自己啓発チックの胡散臭い文章に感じられたら申し訳ない)。
一応言っておくがすべての飲酒や喫煙が悪いという趣旨ではさらさらない。(いい加減な場所・タイミングでの喫煙に関しては受動喫煙防止のために宇宙服のような密閉空間で煙まですべて吸えと思っているが)
また、自分もまだまだ自制できていない部類に入ることは自覚していて、上から目線で書いているわけではない。ただ、流されてしまう人はもったいないから一緒に頑張りたい、と思うので投稿する。
あくまで嗜好品を嗜む程度なら何も口は出さないが、飲酒や喫煙に関わらずもし自己制御ができてないなと考える人がいたら、良い器に自分を注ぎ込むことを一種のテクニックとして実践してみて欲しいと思うのである。
ではまた。
これは私がインプットをしてよりよいアウトプットを生成するための燃料です。あなたの活力にできるような文章を生成することに尽力します。