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#28 ビコリム戦争、歴史的には結構重要(かも?)/コトノハーバリウム

 現代はインターネット隆盛、情報の海である。安全な航海をするには海域選びも重要だが、航海士の能力も問われる。

 私が記事を書くときはインターネットで一通り調べるのだが、Wikiediaはそんな私御用達の超絶便利サイトである。あんなことからこんなことまで記事がある。インターネットネイティブ世代に限って言えば、使ったことない人の方が少ないのではないかと思うほどの便利度・浸透度である。

 さて、ここまで読んで不思議に思う方が少なからずいたのではないだろうか。表題語と文章の書き出しが全然繋がりそうにない、と。でも安心して欲しい。そんなことはない。

 今日紹介するコトノハは、「ビコリム戦争」である。

1640年から1641年にかけて、ゴアを支配するポルトガル王国軍とその北のマラーター王国の大軍が衝突し、後にビコリム戦争と呼ばれる戦闘が起こった。その名は主戦場となったインド北部のビコリムから付けられた。戦争は和平協定を以って終結し、インドにおけるゴアの自立が進むことになった。

 これはWikipediaに実際に載っていた記事の概要である。しかし、こんな歴史的事実はどこにもない。

 そう、完全なデマ記事である。しかもこの記事はWikipedia内で「良質な記事」(全記事の1%程度)として2012年までの間ピックアップされていたというから驚きである。(さらに、参考文献が少ないという理由で却下されてはいるものの、全記事の0.1%しか選ばれない「秀逸な記事」にも筆者は自薦していたようである。)

 この記事の筆者は、参考文献までしっかり示して4500語にもわたり詳細に虚偽の戦争について論じた。そしてある日、Wikipediaの真偽判定が趣味(変わった趣味である気はするが)のShelfSkewedさんという方が記事「ビコリム戦争」の参考文献について調べたところ、そんな資料などどこにもないことが発覚したのである。また、参考サイトとして挙げられていたものを調べると、どうやっても元の記事に戻ってきてしまうようになっていたのである。つまるところ、かなり手の込んだ悪ふざけと言える。

 このガセネタが判明し、Wikipedia側は当該ユーザーを無期限ブロックしたことを発表した。しかし、嘘が書かれてしまうというのがWikipediaの弱点だとして、その権威は弱まることとなってしまった。

 インターネットはとても便利だが、情報リテラシーがないと途端に罠だらけと化す。今現在ビコリム戦争についてWikipediaで調べると、その事件の顛末と、「このように手間を惜しまない人ならある程度の期間インターネットを欺くことが可能である」という教訓が載っている。

 ということで今日は「ビコリム戦争」について紹介した。私個人的には、「虚構新聞」とか「アンサイクロペディア」のような悪ふざけ記事は大好きである。しかし、このような知らん顔した悪意のある記事が存在してしまうのは少し残念である。ただ、こんな悪戯をする人がいなくなることはなく、あなた自身が警戒していないとふとした瞬間に足元を掬われるかもしれない。

 今度実在しない言葉でコトノハーバリウム書いてみようかな。ではまた。

 

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