ファリーニャ試訳 第二章
第二章
フラタニティ・ハウスでハッパを吸うタイプのやつ。鎮痛作用のあるポールモール(The Paregoric Pall Mall)。浣腸袋のサーガが始まる。パメラ・ワトソン-メイ─万歳そして彼女は立ち上がる。
(訳注:ポールモールは当時特に人気だったタバコのブランドで、1960年には全米シェア一位にまでなる。ただ、ここで言及されているのはポールモールの紙で巻いたマリファナである……なお、Paregoricはもともと18世紀に発明された樟脳やアニス油、安息香酸を混ぜた阿片チンキの鎮痛剤で、そこから転じて「鎮痛作用のある」という意味の形容詞でもあるが、主人公は本来のパレゴリックもドラッグとして常用しているよう。アメリカでは1914年以降阿片やコカインを含んだ製品を取り締まることになったが、パレゴリックは阿片の含有量が比較的少量(4%)ということで法の適用外麻薬"Exempt Narcotic"として医師の処方箋なしでも薬局で購入できた(その後1970年になってスケジュールⅢの薬物に指定された)。主人公の口癖である「俺は免除=Exemptされている」とパレゴリックの法の適用外性=Exemptが共鳴しあっているように思われる)
青みがかったキャンパスの至るところで、車が学生寮とフラタニティ・ハウスとレアヴィルのあいだを行ったり来たりしていた、イルミネーションのほどこされた高い時計塔は旋回し、お昼の出前の跡の残った無数の丘を上ったり下ったりと大忙し。冬の終わりの原始的な沈黙の上にエレクトリックな雰囲気が漂っていて、オゾンの匂いもする。目を光らせたフラタニティへの入会希望者がどこにでもいて、社交生活の最新版の複雑さを実地測定し、活動の一時停止期間の終了に神経質になりながらも興奮している。上流階級と兄弟の契りを交わして温厚なエレガンスさと混じりあうのも自由なのだ。フラタニティ会員のうち上位のものはサンダーバードやコルベット、MGやオースチン・ヒーレーに乗っていて、場合によっては白のリンカーン・コンバーチブルの屋根を開けて風の強い日の冒険に繰り出す。カイ・プサイのガソリン満タンのスポーツカーはマフラーから火を吹きながらラビリンス・アヴェニューを金属音を立てて疾走している(訳注:カイ・プサイ=ΧΨは1841年に創立され、団体名にギリシャ文字を使用した最初のフラタニティであり、現在のフラタニティのあり方の基礎を築いた。また、最初のフラタニティ・ハウスを建立したことでも知られている)。あらゆる戦略的な魔術(wizardry)がすでに事前の数週間に着想されていて、二つの学期のあいだの長い時間に収集された諜報活動の成果もすでに解剖された後でつなぎあわされている。アイデンティティーは集積され情報カードのかたちでカタログ化されている─名前、出生地、高校、課外活動、父親の地位、家族の収入、ご先祖様、人種、宗教、顕著な人格上の特徴、仕立屋(もしあれば)、微妙なニュアンス、好きなものと嫌いなもの。青い目をした結社が音もなくかき混ぜる力によって、表面のクリームから第一級のエッセンスがくるくる回転しながら上へ上へと遠心分離していく。一方そのころノーソスはチャコールグレーの4人乗りアストンマーティンの後部座席でクルーズ中、新入生二人のあいだに楔のように打ち込まれていて、ヴァージニア州アレクサンドリアから来た新入生たちはフットボールの英雄でアンドロイドの頭、もごもごしがちな口は緊張のため突っ張っていて、まるでアスリートの流儀で未開封のブラジルナッツを両方の頬で包装しているかのよう。調子はどうだい、エース?(How’s your ass, ace?)
情報カードは俺にはない、俺は「免除」されてるからな。秘密のアイデンティティーは必死に守り通された、というのも実は俺、プラスチックマンなんだ、軽い気持ちで苦もなくボーリング玉にもなれるし、敷石にも、ドアにも、コルセットにも、象の避妊具にだってなれるんだ。
「予備のブラジルナッツってあるかな?」
「なんですかそれ?」
「ブラジル産のナッツだよ」
「ハハハ、僕は持ってないですね」
「ハハハ、俺はそうは思わなかったけどな」ピンと張った一本の指でアダムのリンゴ(=のどぼとけ)を一突き、それでこいつは死を味わうことになるわけだ(A stiff finger to the Adam’s apple and he eats death)。オキナワのカラテならもっと美しく仕留められるのだろう。こいつはこいつの敵を知り損ねたんだ。
ぐいっと曲がってD.Uの私有地の車道へと入っていくと、ハリス・ツイードを着た居住者たちが開けっぴろげのフロントドアのあたりに集まっている、情報を絞り出そうと手はすでに準備万端、笑いは彼らの顎で凍りついている。ヘフのスーツは着心地が悪いな、俺の睾丸を押し潰してきやがる。神よ、もしも彼らが俺のセントルイスの靴下を見たら助けたまえ、すべてのことどもをどっかへ追っ払ってくれたまえ。すでに酔っぱらっているが、そうあるべきでないのはわかっている。サイドポケットにはパレゴリックが小さな隆起をつくっている。ヘフは良いやつだから彼のランプを使わせてくれた。だが場所を探さなきゃな、たぶんハウスの中の男性用トイレだろう。パメラにもあとで吸わせてやろう。最初のうちはたぶん良さがわかんないだろうな。フィッツゴアがやってきた。おお、彼の心配した顔を見てみろよ。気を楽にして、やつらの言葉遣いに合わせるんだ。「ハロー、ゴージー、調子はどうだい?」
「とても良いよ、パプス」周りを見回しながら、不安そうに歯を見せてくる、演じる役が多すぎて演じ切れていない。親密な感じで近づいてきて、ささやき声で話す準備をしている。「聞けよ、気楽に行こうぜ、わかってるよな?みんなはお前のことを転校生だと思っている。その概念を広く行き渡せなきゃいけない、何人かに会って、ちょっとした当たり障りのない会話をしてくれ」
「ディナーは何時から?」
「ジーザス。またその話かよ。だいたい三十分後くらいかな。でもその前に少しは交流して、一緒に物事を感じなきゃいかんぞ」
「トイレに行きたい」
「おお神よ。上の階(Upstairs)だよ、右に曲がって二番目のドアだ」そして彼の後ろから「二階(First floor)だよ、パプス」(訳注:イギリス英語では日本語の一階はground floorと呼び、そのから順にfirst=二階、second=三階と数えていく。パプスに絶対に間違った部屋に入ってほしくないから、わざわざイギリス英語まで使って誤解の余地をなくしたのか)
二人の兄弟がすでに後ろに迫っていたが、上手くやり過ごせた。内装はどこもウォルナット製のパネルが貼られていて、ずらっと並んだ革の椅子、金を持ってやがんな(brass)。チューダー様式ってのはどの辺がなんだ?(What was it about Tudor?)だが居心地の良い見た目だな、結局のところ。ああ、便所には誰もいないぜ。
ノーソスは窓を開けると、個室のドアを閉め、便器に座った。どっちのハッパもまだちょっと湿っていた、シロカビの生えたヘフの部屋の電球の熱で部分的に乾燥させただけなのだ。彼は蒸発乾燥を速めるためにそれらを空中で振ってみた、それから我慢の限界になって、最初の一本に火をつけた、可能な限り長く吸い込む、肺のなかに染み込んだ煙を三十秒はキープする。美味しい呼吸、ほとんどなにも出てこない。オー、イエス。
イエス。
もう一度吸い込む、こんどは前ほど長く吸わない、それから短いのを続けて何度か、空気を炭化させていく、音をたてて吸い付く。そうしてもう一度深く吐き出す。
うむむむむむむむむむむむむむむむ。
彼は一本目を吸い終えた。万事順調。完全に上手く行っている。二本目はお預けにしておこう、今夜はいつもより寛容でいられないかもしれないからな(low tolerance out tonight)。
彼はゆっくり立ち上がるとドアを開け鏡に写った自分の顔を見た。やたら変な目だ。めちゃくちゃ奇妙だ。こいつらのためになにかしてやらなきゃ。
オー。
良質なギリシャのワインを飲むのはとってもナイスなことじゃないかな。この部屋は誰の部屋だ?
つま先立ちして静かに動く。壁には闘牛のポスターとユトリロが描いたモンマルトルの絵の巨大なプリントが飾られている。ベラフォンテのカリプソのレコード(訳注:カリプソはカリブ海の音楽スタイルの一つで、1956年にはジャマイカ系アメリカ人ハリー・ベラフォンテの歌う「バナナ・ボート」がミリオンセラーとなっている。ベラフォンテは同年『カリプソ』というタイトルのアルバムもリリースしている。また、カリュプソーはギリシャ神話でオデュッセウスを愛した海の女神の名前でもある)が一枚、ターンテーブルの上に展示されている。趣のあるキャンティ(訳注:イタリアのワイン)のボトルはどれも空で、釘からぶら下げられられている、いくつかはボトルネックにろうそくを入れられている。寝室を試してみよう。
天井に貼られたプレイボーイのプレイメート、きちんと整えられたベッド。けれどもネクトル(訳注:ギリシャ神話で神々の飲む霊酒)の兆しはなし。やれやれ、誰かやってきやがった。クローゼットへ隠れる。やったね、カティサークのボトルだ。ホーホーホー。
彼はそれを開けると、唇に押しつけて、そのまま流し込んだ。まったくもって輝かしいな。俺の阿片漬けの細胞へのささやかな挑発だぜ。彼らのやりとりを聞いてみよう。
「……バスルームはここですよ、ハリーくん。僕たちは他のいくつかのフラタニティ・ハウスのような学生寮風の部屋の配置には賛成しないんです、パーティーがやりづらくなりますからね、僕の言ってることがわかるかな、ハハ」
「もちろん、みんなてんでばらばらの時間に起きて授業に行くんですから、ひとつの巨大な部屋があってもそんなんじゃ……」
「まさしく、ハハ……」
去っていった。もうちょっと飲もう、十分長い一口、心臓がバクバクいうほどだ。彼はボトルを慎重にシャツの山の下に入れた、それからそっと部屋を出ていった。俺は目に見えないんだ。ディナーのあとにも来れるようにこの場所を覚えとかないとな。階下へ。おお、畜生、誰かがこっちにやってくる、居住者みたいだぞ、笑顔を浮かべろ、ラヴォリスでうがいだ。
「こんなところでお会いできるとは、ヌーシスさん(Nooses=一般名詞としては絞首刑用の縄といった意味)、わたしの名前はジョン・メイク(John Mayke)です。みんなはメイクス(Maykes)と呼びますがね」ピストンのような握手。なにを作るってんだ?(Makes what?)毎晩自分のまくらでも作ってんのか?気をつけろ、ゲームをプレイするんだ、彼は酒のにおいを嗅ぎ付けるかも。だが俺の脳ミソまでは見れないんだから。
「ノーソス(Gnossos)と発音するんですよ、メークスさん(Makes)、だけど親愛なるゴージーはパプスと呼びます」
「なるほどね、ゴージーですか。素晴らしい男です。このハウスのために何でもやってくれました。あなたは転入生だと言ってましたね」
「その通りです。プリンストンには飽き飽きしましてね、女の子もいないですし(訳注:プリンストンが共学になったのは1969年から)。言ってみればね、ハハ」
「なるほど、そんな風に考えたことはなかったです。彼が言うには奨学金を貰ってここに通っているとか」
「ちょっとした天文学の活動によってです、なんでも払ってもらってますね、まあ、賄賂なんですけれど、おわかりでしょう」頭を高くあげる、もしかしたら逃げ出さなきゃいけないかも。
「ほんとですか?このハウスでも二三人が一対一指導の授業を科学の必修で受けてましたけど、本当にガッツがいるって言ってましたよ」
「そうですね。特に上級クラスになると大変なんですよ。相対性原理とか、髪の毛座の渦巻星雲とか、その手の面倒なことばかり。常に気を張りつめさせられます。全部の時間が持ってかれますよ。ピクニックには行けません」
さらに二人がやってきて、会話の端っこに吊り下がった。社交的であれ。「ごきげんよう」と気取らないタッチ。「僕の名前はパプスです」隣り合った円錐形の丘の頂点ですよ(Conical hilltops side by side=papsが乳首の意味であることを思い出している)。
「オハイオ出身のアル・ストロジャーです」
「シカゴ出身のマイク・ピールです」
「こちらのパプスさんはちょうど天文学の話をしてくれてたんだ」
「ガッツがありますね」とピールがいった、ブラシのような短い髪型に、タブカラーのシャツ、コードバンの靴を履いて、ペイズリー模様のネクタイにはスカル&ダガーのピン。
「シカゴですか?」とノーソス、阿片がいまだに上へ上へと昇ってきている。「ミスターケリーズ、高架鉄道(the Loop)、アドラーとサリヴァンのオーディトリウム─」
「最後のやつはなんですか、パプス?」
ペリシテ人め。「一種のオペラハウスです。音響的に完璧なんですよね。閉鎖してしまいましたけど。戦争中はボウリング場として使われてました、USO(訳注:米軍慰問団=United Service Organizationsはアメリカ陸軍兵士の支援と娯楽の提供を行う非営利組織)とかその手合いによってです。ご存知でしょう、天才ですよ、サリヴァンは。狂人とも言えます。孤独に死んでいった」(訳注:ルイス・サリヴァン1856-1924はシカゴ派の代表的な建築家)
「天才ってそういうものですよね」とストロジャーがいった。ねっとりとしたトーンに疑惑のよじれがあって、ノーソスの髪を見つめている。
「どうして僕の髪を見つめているんです?」
彼ら三人の顔が不安そうに赤らんだ。「ハハ」とストロジャー、周りを見ながら「ハハハ」
「あなたは僕の髪を見ていましたよね。なにか変なところがありましたか?」
フィッツゴアが大惨事の気配を感じ取って、ちょうどディナーを告げるチャイムが鳴りひびく中をやってきた。「食事に行こうぜ、パプス」
「彼は俺の靴下を見るべきだったんだよ、もし俺の髪の毛が変に感じられるならね」タイトなズボンをグッと引き上げると、シャルトリューズ(訳注:もともとカルトジオ会修道会により製造されていたフランスのリキュール)が一瞬あらわになって部屋にいる誰もが目を奪われた。
「食事だよ、パプス、覚えてるかい?さあ、行こう」
彼らは少しはマシになった秩序のもとダイニングルームへと入っていった。どの新入生の横にも選ばれた兄弟が付き添っていて、自分で選んだと考えている席へと誘導され配備されていく。彼らはハウスの長(the president of the house)が着席の合図を送るまで椅子の後ろに立ったままでいた。誰もかれもアイビーリーグのラクロス選手タイプだ、元ネタはおそらくチェビー・チェイスだろうな(訳注:「チェビー・チェイスのバラードThe Ballad of Chevy Chase」はイギリスとスコットランドの確執を描いた詩篇)。銀で出来た皿がガチャガチャいう音、水を注ぐ音、賑やかな会話の声。長くて荒削りな二つのテーブル、時代物の椅子、ステンドグラスの嵌まった窓、天井から荷馬車の車輪を吊り下げてそこに載せたランプ、梔子色の日除け。蜂蜜酒は?踊る女の子たちは?酒の入った樽は?エールを入れた大ジョッキは?パパドポウリスは一瞬目を閉じて、意志の力で自分を地中海のオリーブの林に向かわせる、サンダルを履いた十八歳の妖精のような女の子が隣にいて、軽い木綿のドレスが暖かい風に吹かれている、下にはなんにも着ていない、脛とわき毛は剃っていなくて、ハンマーで加工した工芸品が耳たぶからぶら下がっている。彼の眼瞼のヴィジョンでは、彼女が手まねきしていた。彼はまぶたを開けた、彼女がテーブルの上で両足を組んで座っていることを願いながら、しかし代わりに見いだしたのはアルファベット・スープのお椀だ、トーストが一切れそのなかに浮かんでいる。フィッツゴアは彼の左にいて、右側からはべっこう縁の眼鏡をかけた知らない男が熱心に彼に目配せしてくる。彼はスープの染み込んだトーストを一口で一気に食べ終えると、お椀の半分をパーカーハウスロールごと吸い込んだ。笑いが波打つ。
俺のことを笑っている?パラノイアの一撃を避けなきゃ。徴候と病気はしばしば一致するものだ。阿片がまだ働いている。フィッツゴアが何かを言っている。ピールたちがテーブルの端からじろじろ見てくる。シアン化合物のスプレーで夜にやつらを襲撃してやる。シューっと一吹き、死を吸い込んじまえ。
「あなたに会いたかったそうだよ、パプス。こちらはバイロン・アニヨ(Byron Agneau)。こちらがノーソス・パパドポウリス」
軟弱な手がべっこう縁のやつから差し出された。「調子はどうです、パプス、こちらのゴージーがあなたの天文学の話をしてくれました。僕自身は文学を専攻してましてね、副専攻は演劇です」
あんたもそうなのか。そんで隣のテーブルにいる中国人の小人は誰なのさ?幻覚か?猿の悪魔(monkey-demon)に注意しなきゃ。俺の後ろか?いないや。アニヨはまだしゃべっている。「……あなたが物語を語るのを楽しんでいると言っていました、折に触れたお話ですね。どんな種類のお話をされるんですか?」
「お話はなし。もうどんなお話もしないですよ、もしあなたが僕のいう意味がわかるならね」
「正確にはわかりませんね」
「破壊的な芸術形式、情熱の古色蒼然としたな歪曲、おわかりですか?」
「破壊的?」真面目に尋ねてきた。フィッツゴアは緊張で上唇と眉毛に汗をかいている、俺がこのマヌケ野郎の耳を切り取るんじゃないかと恐れているな。
「物語の語り手はいつもトラブルメーカーですよ、アニヨ、彼らの後ろに混乱の山を残していく、そうでしょう?社交的な分裂症患者ですよ、狭い路地でくたばるか、金床を足に結びつけてトレッスル橋から飛び降りるかして、恐ろしい光景を作り出します。あと彼らのほとんどはおかまですね。ミケランジェロさえもおかまでした」
「ミケランジェロ?だけど彼は芸術家ではなかったですか、ハハ?絵描きでしたよね?」
「物語の語り手ですよ。“私に優しいのは眠り”、でしょう?引用しても構いませんか?」
「ええ、まったく、お気遣いなく」
「どこまで引用しましたっけ?」
「眠りが優しいとかなんとか」
「そうそう。“悪徳と恥とが生き長らえるあいだは、見ないこと、感じないことが私の幸運である”(訳注:ミケランジェロ御年70歳の時の四行詩より。一部のフレーズが抜けた不正確な引用)。危険な作品ですよ、あれは。この男は石なんかの中に没入したんですよ、わかります?キッチンでなにが彼らをこんなに手間取らせているかご存じですか、アニヨ?ひどくお腹が空いてしまって。ワインといっしょに食事を提供してくれるべきですよ、休みなくね」
「ハハ。まったくですな。けれどもお酒は新入生の歓迎期間は許可されていないんですよ。I.F.C.がそう決めているんです(訳注:Interfraternity Councilは複数のフラタニティを束ねる意思決定機関)。交換食事会だけは別ですがね、これとはまた別の私たちのいつもの催しです」
I.F.Cね。ポリ公は俺らのまわりのどこにでもいる。気をつけろ、ランプのなかにマイクロフォンが仕込まれてるかも。あるいはスープのなかにさえ、ね。小さなアルファベットたちのうちのひとつはトランジスタのピックアップなのさ。
「なにを交換するんです?」
ちびちびと落ち着きなくパーカーハウスロールを口にしながら、俺の汚れた歯を見てくる。「ハハ、ご存じでしょう。三重デルタ(訳注:Tri-Delt=ΔΔΔは1888年にボストン大学で創立されたソロリティ)かあるいはカッパ(訳注:カッパ・カッパ・ガンマ=ΚΚΓは1870年にMonmouth Collegeで創立されたソロリティ。創立時はまだソロリティという言葉が作られる前で、最古のソロリティとも言われる)が女子学生を送ってきて、代わりに僕たちは向こうへ何人かの男を送るんです」
パープルパッション(ウォッカをベースにしたカクテル)を飲んで、二階へ走っていって互いの下着を探りあうってわけかい。本番をするまえのリハーサル、パンツの中でイってしまい、どちらも濡れてない振りをする。神よ、俺は腹が空いたぜ。うめいてみるか。
「むむむむむむむむ」
フィッツゴアは心労が絶えないようで、用心深く囁いてくる。「どうかしたか?」
「平和の挨拶かな(Pax.)。ただの消化管の音にすぎないよ。むむむむむむむむむむむ」
「頼むよ、何人かこっちを見ている」
「ムムムムムム」
「おお、ジーザス」フィッツゴアがグラスに噛みついた。
「それではもう物語はされないんですか?」と聡明なアニヨが、気を逸らそうと試してくる。「そういうことですね、パプス?」
「ポルノはやってますよ。「サリー姉妹年代記」と呼んでるやつをちょっと片手間にね。いまは貨物エレベーターに閉じ込められるエピソードを作ってます」
「本当ですか?エピソード?」
「色情狂いのウード・トリオとか(訳注:ウードはトルコ、中央アジア、アラブなどで多用される撥弦楽器。リュートの原形)、南米のバンド、シャム双生児たちとか。むむむむむむむむ」
鋭く耳障りな囁きが、すでに絶望しはじめているフィッツゴアから。「パプス!」アニヨがなにも気づいていない風を装おっているのは驚くべきことだ。ほとんど先住民特別保留地のイギリス人といった感じだ。彼の目の前で試してみよう、彼のべっこう縁の眼鏡を曇らせてやるんだ。「ムムムムムムムムムムムムムムムムムムムムムムムムムムム」少しはマシにうめけたようだ、不安げなざわめきが発生し、何者なのかを見ようといくつかの頭がキョロキョロ。
「シャム双生児たちですか?本当に?」
「左側が僅かにつながっているんです(Joined at the left diddly)。誰もが別の誰かを構成しています。みんながプラグを差し合って、ひとつにくっついているんです、究極の機械ですよ、おわかりですか?その双子たちはそんな機械の仕組みを破壊することなしに抜け出ようとするんです」
アニヨは口の端からヨダレを垂らさんばかり。「どうやってそうするんです?」
「何かを取り外すたびに、別の誰かにプラグを繋いでいくんです。差し込み口がある限りはね。一瞬の停止はありますが機械は常に作動しています」
「むむむむ」とアニヨ。誰もが彼らを見ていた。上流階級の兄弟はTボーンステーキが運びこまれると急いで授与を開始した。マッシュルームのグレイビーソース、フライドオニオン、サワークリームとチャイブを添えたベイクドポテト、サヤインゲンとホワイトソース、エンダイブのサラダ、そしてケチャップの瓶。
「うむむむむむむむむむむむむ」中国人の小人はまだそこにいた、俺は狂ってないぞ。「フィッツゴア、ちょっと良いか、あの中国人の小人は誰だっつーんだよ?」
「シーーーーッ!ホーリー・クライスト、パプス、あれはハロルド・ウォンだよ」
「第一級のヤツか?」
「ボート競技のクルーとしてオリンピックに出たことを威張ってるんだ」
「おお、素晴らしい、素晴らしいじゃないか」
アニヨが親しげに前にもたれてきた。「それってすごく長いお話なんですか?」
「あなたっておかまですか?」
「えっ?」
「ただ単に肝心のことを知りたいだけです。あなたには同性愛的な傾向があるのかなあ、と」
「─私に?」指で自分の心臓を指しながら。
「彼は酔っているんです」とフィッツゴアが説明した、そしてこっちへ身を乗り出して必死に囁く、他の人になるべく聞かれないよう努力する。「僕は君がお腹が空いているんだと思っていたよ、神に誓ってね」
パパドポウリスはステーキを手でつかむと切歯で巨大なかたまりに引きちぎる。「ぐむむむむ」部屋中の注意力が料理のメインコースへと移っている。ひょっとすると彼らはコーヒーが出るまでに俺のことを不具にしようとするかも。でもまあとりあえず食うか。
彼は皿に乗っている食べ物をむさぼると、おかわりをして、また食った、おわかり、そして暴食。沈黙が長引き、皿のカチャカチいうノイズが響く。彼は人差し指の先端を湿らすして、半分満たされたグラスの縁をスムーズになぞると、ほとんど認識できないほど高音のキーンという音を発して、それから水をいくらか飲み、音域を変えてまた同じことをした。「この騒音はなんなんだ?」とピールがテーブルの上座から尋ねた。彼はもう一インチ飲み干すと、指を水に浸けてまた同じことをした。「高いドの上のミだな(E. Above high C.)」(訳注:オペラ歌手くらいしか出せない超高音)フィッツゴアは青ざめてしまい、彼の隣でなにも食べられないでいる。
デザートにはホットファッジサンデー、入会希望者は感銘を受けたよう、ノーソスは二つ頂き、ファッジは最後に取って置く。刑務所でパンと水で一晩過ごすことになるかもしれない、あるいは帰宅途中のトラックに轢かれるかも。だからいつでも良く食べろ。アングロサクソン的な食材の核心の中で栄養素がのたうっている。俺はロボットでいっぱいの部屋にいる。気をつけろ。お前はお前の食べたもので出来ているんだ(You are what you eat=英語圏で有名なことわざ)。
彼はジャケットのポケットに手を伸ばすと、二本目のランプで乾かした紙巻きたばこを取り出して、フィッツゴアが気づく前にはすでに火をつけている、霊感に満ちた一吸いだけで半分ちょっとを燃やし尽くし、煙を押さえつけるように離さない、鋭く吸い込んだ空気をちょっとずつ飲み込んでいく。彼の背中は前屈み、目玉は飛び出しそうになっていて、居住者たちが不安げにぶつぶつ言いはじめる、誰かがフィッツゴアと話に来た、ちゃんと俺に報告しろよ。息を吐き出す、美しい、煙が出てこない。もう一口、ほとんどなくなってしまった、泣けてくるね。フィッツゴアが鼻をくんくんさせている。
「君の吸っているのはなんだい、パプス?」
話している暇はない、肺を満たさなきゃ。あのスポンジのような繊維全体で吸い尽くす。神経がハミングするのを聴け。イエス。
オー、イエス。
フィッツゴアはこっそりと彼らに俺のことを叩き出すと話しているところだろう。どうなるかな、君たち。五十対一ではある、だが彼らは俺がシャドウであることを知らないのだ。姿を消してやれ。
「ウーーーーーーーーッ……」
フィッツゴアが跳び上がった「オーケー、パプス、出ていこう、もう十分だろ?」
「ウーーーーーッ・フーーーーーッ!」
「パ・プ・ス!」
「シャザム!」(訳注:少年ビリー・バットソンが唱えるとスーパーヒーローに変身できる魔法の言葉)彼はテーブルの上に昇って、雷鳴のような音を立てている、それから跳躍してダイニングルームのど真ん中に着地すると、ハロルド・ウォンに向かって指を突きつけた。「猿の悪魔に気をつけろ、ウォン」それから食事を中断され冷たくひきつっているその他の驚愕した顔たちに向かって「ドアの鍵を閉めときなよ、みなさん。寝室の窓にかんぬきを掛けな。彼はいまはこのハウスの守り神かもしれない、だが十年もすると、飛行機でブーン、北京に戻ってコミッサール様だよ。スゥープス……」彼はドアの外へと空を飛ぼうとする鳥のように翼をバタバタやりながら出ていった。階段が背後にある。
逃走だ。どこへ?あのカティサーク。ヒュっと階段を昇る、二段飛ばしで。声がつきまとう。どの部屋だったっけ?ここだ。クローゼットのなかへ、ホーホー。
彼はシャツの山の下にボトルを見つけて、たっぷり三分の一ほど飲み干すと天地を逆にしてベルトの下にたくしこんだ、しかしボトルに蓋をするのを忘れてしまっているので冷たいウィスキーが足を滴り落ちていく、靴と靴下へと。なんてひどいことを。大虐殺だよ(Carnage)。もっとあるはずだよな。シャツの下にはないか?ない。ケチな野郎だぜ。代わりに服を頂戴していこう、カフリンクスの入った箱も。オールドスパイス(訳注:1937年創業のアメリカの男性用化粧品会社)の化粧水だ、酒のにおいを消してやるか。これはなんだ?ホーリー・ゴッド、浣腸バッグじゃないか!これももらっていこう、誰にも気づかれまい。声が近づいてきた、俺を探してるんだ。隣の部屋で足音。やつらの白目が見えるまで待て。クローゼットの目の前まで来やがった。
バン!ドアが突然開く、見知らぬ顔が三つとピールだ、怯えさせてやれ。「ハアアアア!」
彼らはショックで後退りした、互いにぶつかり合っている。彼が彼らを通りすぎる、動物を捕獲するための投げ縄のように浣腸バッグを頭からぶら下げながら。またしても階段を降り、チューダー様式のリビングルームを通り抜ける、そこには小グループが銀のサモワールの前に集まって、去勢されたシマリスのようなコントラルトの声でおしゃべりしていた。
「バシッッッッ!(Zaaaap!)お前らみんな種無しだぜ」フロントドアを出て、ストリートへ。ホーホー。どこへ?聖域へ。持ち運びできる子宮へ。できれば眺望がいいとこへ。上へ、上へ、そんでもってこっから離れろ。
メトロポリスの上空を飛行するスーパーマン、激しい風にケープをはためかせて。誰かが鉛の箱からクリプトナイトを引っ張りださない限りは安全だ。ヒャッホー、ロースクールの後ろの消し炭の通りを下る、人々が通りすぎていく、飛び上がって道を開けてくれる。やったぜ。マン・オブ・スティールは完全無欠なんだ、透視能力によって人のすべての動きがわかるし。いまはアカデミア・アヴェニューへと出て、照明が瞬いている、壊れやすいチューブにはネオンガスが入れられていて、小さなイオンの鎖で内臓の見取り図をつくっている。左足は酒のせいで歩くたびビシャビシャ音をたてる。おいおいなんてこった、警察だぞ。玄関のところに。
彼は厳重な入り口をあとにしてふらふらと写真屋へ向かった、くるくる回る赤い光が何事もなく去っていくまで。それほど多くの人がストリートにいるわけではない。なんとなく知り合いのような人影が何気なく通りすぎていき、ドライアド・ロードからの角を曲がっていき、閉店後の店のウィンドウを覗き見している。彼女の髪は真鍮のバックルで纏められていて、緑のニーソックスとローファーを履いている、自分自身に向けて鼻歌を歌っている、完璧だ。彼女はキャンパスへ向けて歩いていった、前行く人と腕を組みながら。誰だろう?
だが猿の悪魔に気をつけるんだぞ、興味が移り変わった時ほどな。
彼は振り返ると鋭く肩越しに見やった、待機していた暗殺者をびっくりさせてやろうして。すると代わりにヘッフォランの写真が学生ランドリーの赤い光の反射しているなかで彼にパチパチまばたきを送ってきた、ハンフリー・ボガートのポーズ、タバコは下唇からぶら下がっていて、片目はもやのなかで半分閉じられている、タバコの煙は写真家のかなり才気ある照明によって偏光されている。ビーバーの歯。パチパチッ、パチパチッ、パチパチッ。
それからストリートを下り、丘を下る、ポリ公はみんないなくなっている、あとをつけてきたやつがいたら逃げろよ。左右を見てみる。あれは一体なんだったんだよ?そこだ、白いスイスのドローリー、109号。ドアへと階段を上がる。ネクタイはまっすぐに。ピンポーン。近づく足音。
「はい、どうぞ」
おお神よ。黄色い目をしたベナレス野郎の顔が俺を覗き見ている。なにかいわなきゃ。「なにが起こってるんです?」
「もう一度よろしいですか?」長い髪、こんな骨ばった手でチェリーソーダを?ガーゼのコートを着ている。彼は酔っぱらっている。
「間違ったベルを鳴らしてしまったようです。パメラを探していたのですが」
「あなたはパパドポウリスさんだね、もちろん、そうだね?」
もちろん。ほとんどね。ドラキュラでもあるけど。でもどうしてそんなこと知ってんのさ?あんたの頸静脈を守っとけよ。「あなたはムットゥさん?」
「ラハムットゥです、その通りです」と歯切れ良く、酔っぱらいが歌うようなアクセントで。「あなたが持ち物を運び込む時には、わたしと妻のところに寄ってちゃんと報告しないといけませんよ」
「もちろんです。もしかしたら─」ドアが俺の目の前で閉じられるかも?
「それではおやすみなさい。パメラさんは必ずなんの疑いもなくお家にいますよ」去っていった。ジーザス。
彼はつま先立ちでポーチを回り、竹の日除けのなかを覗きこもうとした。彼女は暖炉の横のナヴァホの絨毯に一人で座って、TVディナー(訳注:1953年にスワンソン社が発売を開始した冷凍食品。当時はアルミニウムの容器から一旦取り出してオーブンで暖める仕様だった)を食べていた。解凍して再加熱した食べ物をアルミニウムのトレイの仕切りからスプーンで食べている。クリームコーン、グレイビーソースをかけたビーフ、マッシュドポテト。ウォーター・スパニエルのような目だな。窓ガラスをこんこん叩く。彼女が顔をあげる。俺が見えてない、外が暗すぎるんだ。ガラスに鼻を押しつけようか。怖がらないで、かわい子ちゃん、これはゴム製の顔(Rubberface=プラスチックマンの顔のことか)にすぎないんだから。
彼はドアの前に行って待っていた。
「あら、エヴァーグリーンさん、またしてもご機嫌よう。一体なにを持ってきてくれたのかしら?」
「ちょっとした贈り物ですよ」彼女にオールドスパイスの化粧水を手渡しながら、カフリンクスの箱と浣腸バッグを隠そうとする。彼女の行方不明だったまゆげにはまゆ墨がのせられていた。
「まあ、ありがとう。お入りになったら?」
「ちょっと立ち寄っただけなんです、荷造りがうまくいってるか見たいなと思って」やれやれ。
「あなた、蒸溜所みたいなにおいね」と彼を部屋に通しながら。ゆっくり振り向くと、微笑みを浮かべた。神に誓って、彼女に息は吹きかけられないな。「パーティーから戻ってきたの?」が彼女の質問。
「いつものことですよ。僕のあり方の一部なんですね。そして僕の名前はパパドポウリスです」
「そうね、そんなことを前に言ってたわね。私はあなたがジョークを言っているんだと思ったわ」
シラブルが五つ、まともに聞こえる名前としてはシラブルが多すぎる。訓練された耳には三つのシラブルが魅力的だ。バッキンガム。ボリングブルック。バターボール。まったく、ねぐらはすっかり混沌としている、箱とか、引っ張り出された本とか、婦人用品とか。あの写真も。
「あなたの旦那さんですか?」彼は意味ありげに指差して尋ねた。
「フィアンセよ。去年農学科を卒業したの」口調に少し熱がこもっている。まだあのキモノみたいなのを着てる、子猫の綿毛も、ハイヒールも。
「ねえ、食事を続けてくださいよ、僕のことは気にせずに。なんのエネルギーも使わないでください」ここにハッパを持ってくるべきだったな、くつろげるようになるために。白熊の絨毯。そして黒ミサ。
ビーフを齧るあいだに、日本風のローブが意図せずわずかに開いて彼女の胸に生えている一本の毛を見ることができた。
「あなた本当にここの学生なの、パパドポウリス?私の質問に気分を害さないと信頼してるけど」
「履修登録すればすぐにね。どうして?」
「あなた、ほとんどそういうタイプに見えないんだもの」俺を見ている。ホーホー、こいつぁ取っ掛かりになる。
「たしかにそうです。分類不可能なことが肝心なんです。その辺をぶらぶらしてるやつらよりはマシではあるはずなんですが」虚空へとうなずく、アテネ市の市境を越えたところ時間へのマーキング。スコッチは純粋なアンブロシアだな(訳注:ギリシア神話における神々の食べ物。 語源的には「不死」を意味するらしい。一般にネクトルが飲み物でアンブロシアは食べ物とされるが、混用されることも多く明確には分けられないようだ)。パレゴリックは食後だとあんまりグルーヴィじゃないけど。
「理解できてるか心許ないんだけど。どうマシであるの?」
「あらゆるものはオルゴン・ボックス(訳注:オルゴンはヴィルヘルム・ライヒが発見したとされるエネルギー)のようなものです。ちょっとした閉ざされた小宇宙ってやつがどこにでも生起してるんです」
「責任から自由(No responsibility)、ってことかしら」
「確かめてみますか」
「かなり魅惑的ね、結局のところ」
謙虚になれ。嘘をつけ。情熱的なマーロン・ブランドのように見せかけろ。「うーん、あなたはいつ結婚される予定なんですか?」
スプーンに乗せたクリームコーンが彼女の口まで半分のところで躊躇して、空虚な感じで肩越しに向こうを見る。「はっきりとはわからない。彼は農園を持っていてね、わかるでしょ、ハイブリッド・アイオワ・コーンのね。降雨量とかその手のことにすべてが掛かっているやつ」
「ジーザス」
「どうしてジーザスなんていうの?」
「あの辺りの土地ってなんでもアリですからね。人肉を喰らう雌のブタとか、B-47とか(訳注:ボーイング社が開発した大型戦略爆撃機)。去年の八月にこの国の半分を歩きましたけど、誰も車に乗せてくれませんでした」
「一人だったの?」
悲しげに見せろ。「いつもそうでした。同じ過ちを何度も犯してしまうんです。いくつもの州で困り果てましたよ。二杯か三杯のビールを飲んで、ハイウェイ40をずいぶん遠くまで歩いていっても、車は停まろうとしません。隣の町まで歩かなきゃならないんですよ。頭蓋骨の上を飛んでいく爆撃機や、科学薬品で育った穀物の海がいたるところにありました。そこは肥沃な土地だと思っていました、みんなそう言いますからね、でもなにもかもが不毛に見えたんです。わかるでしょう。過剰に豊かで。クリーム色をしていて。開発され悪用され、デブどもに浪費されているんです。アメリカに神のご加護を。乾杯」彼女に祝杯をあげて、もう一口啜る。彼女は興味を持ってくれている。
「どんな感じなのかしら、そんな風に走り回るというのは」
「大したことじゃありません」
「たしかに大したことなのよ、あなたがそうする限りはね。熊に引導を渡したり、ヒッチハイクしたり」
最後の一口を食べ終えた、やったね。食事中にはけっして誰にも糸を通そうとしないこと(Never thread anyone while they’re eating)。「火を起こしましょうか?」
「ええ。まっすぐ行ってください。もし気にしないならお酒を一杯入れてくれても良いんだけど」
そして俺の分も一杯。そしてマーゲイトだかブライトンに運ばれたくはないですか、 白しっくい塗りのコテージで、ウィンドウボックスにはイギリスの薔薇が植えられている、木と鉄でできたドアは六インチの厚さのところに。ランプを消しましょう。
「なんのためにそんなことをするの?」
注意深くあれ。「明かりを抑えたくて」
「ああ」それから「あなた、ホントは天文学者(an astronomer)じゃないのね、そうでしょ?あれは全部エヴァーグリーン関連のことだったのね、そうよね?」
「星を見ることがすべてです(Stargazing is all)」
「そうだと思ったわ、あなたってとんでもなくリリカルね」
「とらえどころのない僕らの種族の良識は僕のことなんかちっとも相手にしません。でも僕は耐えるんです、もしあなたにお分かりになるようでしたら」
「どうしてそんなに謎めいた言い方しなきゃいけないの?」
いつでも移動する標的を提供せよってね。「物事を定義するんです、するとそれがなくても大丈夫になります、そうでしょ?こっちへ来て」
「いやよ、いまはまだ。あなたのこと、もっと知りたいの」
「もちろん。でも君の胸には一本の毛が生えていて、それが僕を緊張させるんです」
「うえ。そんなこと口にするのってひどくない?」だが彼女の紅潮した顔は拒絶を示してはいない。もっと近づいてみよう。彼女の腕に触れるんだ。そうそう。浣腸バッグを下ろさなきゃ。
「君の肌ってクリーミーだね。ジャーゲンズのローションとかその他すべてのおかげかな」
「お願い、まだって言ったわよね─」首だ、首を指先で触るんだ。ホー、彼女の目を近くで見よう、俺は彼女になんて言ったんだっけ。ひざはどうだろう?
「お願い─」
「君も気に入るよ」
「なんでそんなに確信できるの」
「試してみよう」
「ホントに、ダメだってば─」
やれやれ、まったくおっぱいがない。なにひとつとしてない。だけどあの毛は。なんと素晴らしい欠陥だろう。ふとももに挑戦だ。
「ああ、お願いだから、それにあなたはサイモンのことを気にもかけてないじゃない」
「サイモン?」突然宗教に走りだしたか?
「私のフィアンセよ」
「調べとくよ」首すじにキスをする。彼女がうごめいているのを感じる。
「あなたってホントにいやらしいわね」
「感動させてやるよ、ベイビー」
スコッチを軽く一口、それから彼女を押し倒す。分かってた、俺はこうなると分かってたんだ。
「やめて」
「やめない」
ああ、めちゃくちゃ酔っぱらってるな。キモノを取っ払う、彼女を覆うものはなにもない。
「なにしてんのよ」
「むむむむむむむむむ」
「あわわわ」
「ムムムムム」
「でもまだヒールを履いたままなの」
「あーーーっむむむむむむ」
「あわわわわ、あんたってサイテー」
だかそれが良いんだろう。ジーザス、俺はまだ服を着てるぞ。注意深く動けよ、彼女を床に押しつけたままにしとけ。ジャケットがしっかりしすぎだろ。よし。シャツなんてクソ食らえだよ。次はズボンだ。
「待ってよ、あんた、アレ持ってるの?」
畜生、パルカのポケットのなかだ。ウソをつけ。「まあね」ズボンをおろすが、ピッチリしすぎてて靴に引っ掛かる。これがアイヴィーリーグのフッションってわけね。このまま放っとこう。
「あなたって下着は履かないの?」
「まったく使ったことない」
「割礼は済ませてる?」
「見てみな」
「ああ、してないじゃない」
「カトリックなんだ」
「御愁傷様」
「なぜ?」
「なんかで読んだことがあるのよ、癌についての記事を」
「俺は免責されてるよ。いくぜ」
「うううううん……」
「しこたま感動させてやるぜ、ベイビー」
「あん!」
昇っていく。彼女の目はワイルドだ。もしかしたら狂気のしるしかも。なんでもかんでもうまくはいかないよな。落ち着け。それ。それ。
「うんんん」
酒をちょいと飲む、ゆっくりいこう。「酒は飲みたかったりする?」
「なに?いま?」
「ここにあるよ」
「いらない。いいから早くしてよ」
ちょっくら横向きの運動も。おお、彼女の脚を感じる。ヒールに拍車が要るな。気楽に、気楽に、気楽に、気楽に。もっと速く動いてみよう。
「あわわわあわわわあわわわわ」
「むむむむむむむむむむ」なんのリズムだっけ?「チュニジアの夜」。チャーリー・パーカーじゃないか。ティンパニだな。イキそうになってきた。うぅぅぅぅぅ。もっと速く。
「オー・ゴッド……」
まじないの言葉は必要ないよ、ベイビー、ノーソスがここにいるからな。イキそうだぜ。
気楽に
気楽に
気楽に
うんん。
んんんん。
ウンン!
「オオオオオ」
「イク」
「ゴッド……」
「まさしく」
「あなた、ちゃんと着けてくれたわよね?」
「なにを?」
「アレ」
「アレってなんだよ?」
「避妊具よ」
「実は持ち合わせがなくてね」
「なんですって?」
「欲望に負けちゃってさ」
「ハア?なにそれ?」パメラが下から出てよろめきながら離れていくと、片方の脚を転がり落ちていった。酒とパレゴリックで満たされた種子が。なにか甘い言葉をかけてやったほうが良いだろう。
「パレゴリック」
「はあ?」
「俺はヤク漬けだからさ、君はけっして孕まないだろうよ」
「ああ、なんて醜い言葉なんでしょう。私はどうしたらいいの?私の内側にソレがあるのを感じるのよ」
「ほらよ」彼女に浣腸バッグを差し出す。「緊急用のドゥーシュだ、君の心の平安のためのね」
「ブタ野郎」
彼女はそれをひったくるとバスルームへと駆け込んだ。ノーソスは靴のまわりにズボンをまとわりつかせたまま、そこに座っていた。シャツもネクタイもまだ着けたまま。勃起は徐々に萎れていってる。彼はスコッチのグラスを飲み干すともう一杯注いだ。壁越しに、怒り狂ったうめき声と吹き出す水の音が聞こえる。彼女と話さなきゃ。
「なにか助けはいるかい?」
「ああもう、どっかへ行って」
感謝してるよ。言ってみればね。
彼はレコードプレーヤーのところにスタコラ行くと、彼女のコレクションをパラパラ見たが、ほとんど価値を見出だせず、最終的にブルーベックで手を打つことにした。足音が近づいてくる。「アレはうまく働いた?」
「そうなんじゃないかしら。気分が悪い」
「原罪ってやつだ」
「あなたも一役買ってるじゃない、あなただって。それとあなたはなんでそんなところでズボンを下げたまま座っているの?ねえ、どっかに行ってくれないかしら?少しのあいだだけでもいいから、ね?」
立ち上がると、ズボンはびしょ濡れだった。彼女によって?いや、例のカティサークだ。ジーザス、あのディナーのことをすっかり忘れていた。かわいそうなフィッツゴア。「今日引っ越してきたりはできないのかな?」
「まさか!サイテーの気分だわ。かわいそうなサイモン」
小便がしたい。どっか別の場所に行くまでは我慢しといたほうが良さそうだ。「オーケー、ベイビー、またあとでね」
「これも持ってって」とじっとり湿った、空気の抜けたバッグを差し出す。
彼は肩にヒョイとそれを掛けると、肩をすくめて、彼女が暖炉のそばで震えながらお腹の前に腕を組んで立っているのを一瞬悲しげに見つめたあと、身を翻してドアを出てストリートを上っていった。
彼は一度、影の中から奇妙な姿が躍り出てくるのにひるんだ。手首はぐったりと垂れ下がり、瞳を月のない曇った夜のなかで性的な欲望に輝かせて、それから姿を消した。彼はそれがいたところを目をしばたたいて見た。禿げ上がった頭蓋骨だった?彼は寒さに肩をすぼめると雪のなかの歩行を続けた。かまうもんかよ。
常に無垢なる(Semper virgini.)。
罪を犯すことさえなかったなら膜はまだ無傷でいられただろう。すぐに、と彼はまたしても自分に語りかける。すぐにでも─愛が訪れるに決まっている(there must come love)。
黒く腫れ上がった憂鬱が彼の周りを閉ざしてしまい、彼自身ともいうべきこの夜の血と骨髄から重々しく溢れでていった(A black and swollen depression closed down around him and spilled heavily through the blood and marrow of his night)。