13年間飼っていたロシアンブルーの話
昨年末に我が家のロシアンブルー(♀)が亡くなった。享年13歳9か月。
乳がんと結腸癌の疑いが見られ、動物病院の先生と相談の上、1年間の介護生活を経て、家で看取る形になりました。
我が家のピラミッドの頂点に間違いなく君臨し、自分の可愛さを武器に、命令、懐柔、お手の物。気に入らなければかぶりつき、自分の意志は100%貫く。
「そんな猫、可愛いの?」と言われそうですが、
猫にめちゃくちゃ嫌われていて、そばを通っただけで跳びかかられていた夫も『可愛い』と言っていたので…
我が家の家族全員がとてもかわいく愛おしく、大好きな存在でした。
ロシアンブルーを迎えた経緯
「猫が勝手に家の中を歩き回っていて怖い。」
私の実家の猫を見てはそう言っていた人が、いきなり猫を飼いたいと言いだしたのは、今から14年前。
よくそんな状態から飼いたいと思うまでに至ったたよなあと、感心するのですが、ただ単に会社の同僚に
「猫がいると生活にメリハリが出る。」と、そそのかされただけのよう。
自分で世話をしないのは分かっていたので、私は首を縦には振りませんでした。
そこに現れた援軍、子供1、子供2。
私の思惑など軽く吹き飛ばされ、家族の多数決によって、猫を飼う方向に舵は切られました。
「黒猫を飼いたい。」と言い出したかと思えば、
「いや、白猫が良い!」と意見が分かれ、
気づけば「間をとって灰色の猫になった」という嘘のような本当の話。
ロシアンブルーの特徴として、手足の長さがあげられるのですが、
我が家のロシアンは手足が短く、猫をよく知らない訪問者に
「なんていう種類なの?」と聞かれ、
子供が面白がって「ロシアン•マンチカンだよ。」と言い、
「え、そんな品種があるの?」なんて聞かれていたことも(笑)。
すみません。そんな品種はありません。
猫と私の13年間の思い出
晴れた日は、とても気持ち良さそうに伸びながら、日向ぼっこをするのがいつもの日課。干したての布団のような、お日さまの香りを全身に纏っていたね。
雨の日には、傘から滴る雫を見に、階段からトットットと急いで降りてきて、ジーッと1時間くらい眺めていたり。
君がいなくなって、そんな当たり前になっていた日常を、もう2度と見ることができず、毎回打ちのめされる。
いつも自分の要求が通るまでしつこくしつこく鳴き続け、諦めたかな?と思っても、こちらが根負けするまで主張は引っ込めない。
忘れたように見せかけて、執念深くいつまでも覚えている。
しかし私が旅行で三日ほど家を空けた時は、抱き上げてから5秒くらい私のことを忘れていたひどい奴だ。
我が家で一番小さいのにホットカーペットのど真ん中を陣取り、子供や私は申し訳程度の隙間で暖を取る。
「猫のくせに場所を取り過ぎ。」と言ってどけようとする夫には本気でかぶりつき、しょっちゅう流血騒ぎを起こしていた。
けれど私や子供が落ち込んだ時、いつの間にかそばに寄って来て、体をくっつけ顔を寄せ、ニャーと鳴き、こちらをうかがって来てくれたね。
一度や二度ではないので、偶然ではないと私は思っている。
いつでも本当にしんどい時に寄り添ってくれた。
腕に収まる小ぶりな体なのに、いなくなって分かる、存在の大きさ。
もう二度と触れない。吸えない。顔をうずめられない。
1年間の介護生活
病に侵されてからは、本人(本猫?)が一番辛かったとは思うのですが、飼っていた私たちも中々にきつい思いをしました。
なぜなら1年間大きい方をまともにトイレでしてくれなかったので。
トイレが気に入らないのか?砂が気に入らないのか?
猫を基準に考え、猫が1番好むと言われている製品をどちらも新たに買い足し、前の物と同時並行で試してみたけれど、結果は何も変わらず。
私たち一家は否応なく『うん○のある生活』を受け入れざるを得なかったのです。
いきなり日常にうん○が出現しても、始めのうちは中々対応する事が難しく、皆があちこちで踏んづける事態が勃発していました。
ドアを開けて、もしくは角を曲がって、『ちょうど一歩目』の絶妙な通り道に猫の忘れ物が設置してあるので、私たちは『うん〇トラップ』と呼んでいました。(お食事中の方がいらしたら大変申し訳ありません。)
私は朝起きて一番に『どこにブツがあるのか』を目を皿のようにして探し出し、掃除するのが日課になっていきました。
習性なのか、フローリングの上でするのに抵抗があるらしく、絨毯や毛布の上などを好んでしてありました。
病状が進むと嘔吐物も加わり、我が家は汚物屋敷へと変化していきました。(お食事中の方がいらしたら、重ね重ね大変申し訳ありません。)
多分ケージを用意して、被害を最小限に食い止めるということも出来たのでしょう。けれど猫にストレスを強いることになるので、誰もその提案をすることはありませんでした。
亡くなる前日の夕方、よろよろと歩いて立ち止まり、何もない所をしばらくの間、ぼーっと見ていました。
私には見えなかったけれど、きっと何かが見えていたのだろうと思っています。
そしてあの日の昼下がり、「くうー…。」と息を吐き、手足を突っ張って、そのまま息を引き取りました。
「やっと楽になったね。今までありがとう。」
苦しみから解放されたことにホッとする気持ちもありましたが、
止めどもなく湧き上がってくる深い悲しみにどうしようもなくなり、
細くなってしまった体をなでながら、泣くことしかできませんでした。
猫が残してくれたもの
今現在は日常から猫がぽっかりいなくなり、寂しいけれど、平和なような、物足りないような、ホッとしたような、何とも言えない日々が続いています。
空いた穴はとても大きく、深く、しかし空虚ではない。
なぜなら、家族間では普通に今でも「うちの猫」として会話が成立しているから。
もう物理的には2度と会うことはできなくなってしまった
けれど、あの猫は現在も私たちの家族に違いないのです。