哲学対話② 「役に立つ歴史」
今回の哲学対話では「教育」がテーマとされた。私はそれに対する問いを二つ考えてみた。
一つ目の問いは、最も効果的な教育方法とは何かだった。私は大学に入学してから教育方法の違いに衝撃を受けた。それまでの教育では、教室で大人しく問題を解いたり、勉強をしてその成果をテストで試されるのが言うまでもなかったが、大学生になり、使う脳みその部分が全く異なるということに気づいた。大学では内容を頭に刻むだけではなく、その内容について自分自身の考察と意見を形作り、それを他人と共有することが重要である。また、他人の意見も取り入れ、それに対する考えを瞬時にまとめ、的確に伝える訓練も必要だと思う。対話スキルは必ず実社会で活用するため、教室で先生から講義を受けるだけではなく、人数が少ないグループで議論をする練習も教育の一環として含めた方が良いだろう。このような対話スキルを養うためにはソクラテス問答法などが適当だと考えた。
二つ目の問いは、何を持って「賢い」、そして「頭がいい」と言えるのだろうか。「賢さ」や「頭の良さ」は主観的な概念だと思う。一般的に賢い人は学校でいい成績を取得し、何らかの分野で豊富な知識や経験を持っている人と定義されている。しかし、真の賢さは自分の知識や経験にとらわれず、柔軟な考え方を持っている人だと思う。教えられたことを鵜呑みにするのではなく、それに対して批評的な視点で自分なりの考え方を明確にすることが大切だ。その上、自分の考え方が一番正しいと思うのではなく、反対意見を述べられた時に、異論を受け入れ、様々な考え方を持つ人が存在するということを理解することも重要だと思う。多様な人間が生きる世の中で自分の考えを押し付けることなく、共存できる人が真に賢いと言えるだろう。
10月7日に行われた哲学対話では「役に立つ歴史とは何か」といった問いが取り上げられた。これについて私たちはまず、誰にとって歴史が役に立つのか、という問題を議論の出発点とした。結局結論は出なかったが、歴史は使い方によって善か悪をなすことができる。責任ある若者を多様性に富んだ考え方の持ち主に育てるために歴史が役に立つこともあれば、政府の悪用によって陰謀論や危険な歴史の解釈にもつながることがある。
さらに、歴史は人々のアイデンティティーと離すことはできるかについて議論した。そもそも歴史とは人間によって作られ、人間によって語られるものであるため、人間自身から切断することは不可能なのではないかという論点が上がった。これについて私は納得し、哲学対話が終わったからさらに考え始めた。アイデンティティーと歴史は密接な関係で維持されることが重要であり、その関係性を認識することによって初めて責任を持つ「国民」になるという考えに至った。
歴史は複雑なテーマではあるが、その歴史の教え方はそれより難しい問題であることが今回の哲学対話で明らかになったと思う。また今回も非常に面白い議論になったので、今後も歴史についての考察を続けたい。
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