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外側に答えを求めるマニアになってませんか?

ある方(Aさんとします)が純正律よりもっとすごい音律のセミナーを受けに東京まで行ってくると話してまして、その音律のレクチャーを受けると整って周りの人間にもいい影響を与えることができるというのです。まあ、それはわかります。整った人がいるとその場も整ってくるということですから。私もオペラ歌手の美しいソプラノでスーっと軸が整ったことがあります。が、同じ人の公演を聴きに言ったけど2回目はそうならなかったのです。受け手の私の問題かソプラノ歌手さんの問題かわかりませんが。そのことをAさんに伝えて、無意識のうちに歌えてしまっただけならなかなか再現難しいのかな?と言ったのです。すると、その音律のセミナーは無意識に植え込まれるだけで効果があるというのですよ。それでそのセミナーの主催者は目標人数を決めていて(確か1000人だったかな?)その人数までいったらセミナーは終了らしくて、その人数の人がセミナーを受けると世の中は変化するということらしいのです。自転車に一回乗れたらずっと乗れるでしょ、というのがその方の理論だとか。
うーん、理屈はわかるのですがね。
音律だけで、ややこしいこじらせ生物である人間が神性を体現してそれを維持できるとは到底思えないんですよ(ひねくれてますかね笑)きっと、素晴らしい音律ではあるのでしょうけどね。
お釈迦さまの悟りが摩訶迦葉に伝わったというお話を思い出します。
禅の公案「拈華微笑 (ねんげみしょう)」
『法華経』が説かれた霊鷲山にみんなが集まって説法を待っていると、お釈迦さまは何も説かずに、黙って青蓮華の花を拈じて(つまんで)手向けた。誰もその意味が分からずぼんやりしているなか摩訶迦葉だけは、それを見てにっことり微笑んだ。そこでお釈迦さまが「いま私の悟りの全てが摩訶迦葉に伝わった」とおっしゃったというお話です。目に見えないものは以心伝心で伝えられるということです。そしてわかったのは摩訶迦葉ひとり。音律もそうかなと。わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。共鳴できる人とできない人がいる。その音律の波動を伝授されたとして、そして共鳴できたとして、ずっとその状態を保てたらいいですが、悲しいかな人はたいてい外れます。外れない人がいてもごく稀なのではと。音律だけに限らずそれぞれ目指す姿、状態があるとして、そこから外れては戻し、また外れては戻すを延々と繰り返すことでその振り幅を小さくしていくことが大切で極意だと理解しているのですが。一度無意識に刷り込まれるだけで心が清浄になる音律って……(ーー;)
(そんなんあると思うかぁ?と心の声笑)
まあ、Aさんが東京から戻ってきたらわかるかなと思ってます。
耳障りのよいセミナー行きまくったりパワースポット巡りしたりするより(外に求めるのではなく)日々の生活で手にあるものを使って目の前の人と関わりつつ自分自身と向き合う方がいいんとちがうかなぁと思うのは私だけでしょうかf^_^;
隣人を愛し合いましょうと100回言うより愛のある行為を1回する方が価値があると思うのです。ええこと聞いたらすぐ実践。これが大事。
自戒の念を込めて。

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