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曖昧な記憶の中に

夏真っ盛りのある日、あるボランティアセミナーに出かけた。
講師の先生のお話の後、あらかじめ分けられていたグループでグルーブワークをすることになった。

席は講義の前から作られていたので、決められたところに座って講義が始まるのを待っていた。
私の前にどこがで見たことがある女性が座った。
ショートカットで背が高く色黒。
切れ長の涼しげな目。
それなのに服装がなんとなくアンバランスで、
「もっとおしゃれしたら素敵なのに」
他人のことなのにお節介な話だ。
この彼女、講義の間どこがで見たことがあるとずっと思っていたが、見たことがあるのではなく会ったことがある人だと気がつく。それも子供の頃。
相手もそう思っていたようで、休憩時間に声をかけてきた彼女はお見込みの通り中学1年の時の同級生だった。

中学の時の同級生には会いたくない。3年間を通して全くいい思い出がないからだ。特に中1の時はひどいいじめに遭い思い出したくもない。
講座に参加できるのは居住地の住民。ということは彼女もこの市に住んでいるということだ。

待っていましたというように彼女は一気に私に話しかけてきた。
家はどこだったか?
Wさんととなり同士だと思っていたけど違っていた?
今どうしているのか?
来週同窓会があるけど来ないか?
もっと話したい。

私は話すことは何もない。
家なんてどこでもいい。ちなみにWの家とは離れている。
彼女にはいじめられたことはないけれど、私がいじめられていたことは知っていたはず。
同窓会も遠慮しておく。

私も含めて、人の記憶は曖昧だ。
そうでなかったら私のことを同窓会には誘えないだろう。
人は曖昧な記憶の検証がしたくて、懐かしい人と出会うとついつい饒舌になる。
そんなことに私は乗らないよ。
曖昧な記憶の中にも鮮明な記憶がちゃんとあるから。
忘れたくても忘れられない記憶がちゃんとあるから。

そんな夏の午後の出来事。

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