「to U」to you
「募金、参加する。応援する。やろう」
即決だった。
小4の息子の言葉。
とあるクラウドファンディングの存在を話して聞かせた時のこと。
ライターのさとゆみさんが運営する「CORECOLOR(コレカラ)」というメディアの特集で、能登の地震で被災された方々を取材したシリーズがある。
七尾市のこども園「ひまわり」の園長さんのインタビュー記事を読んだ。
こども園復旧のためのクラウドファンディングの存在を知る。
私も参加しようかな、
やったことないけど。
そう思った矢先。
私の中にいる、もう一人の私が肩をゆすった。
「ねぇほんとに参加するの?」
もう一人の私は、
この件について、心にひっかかりがある模様。
「自分の力なんて、ちっぽけだよ」
「大きな額を協力できるわけでもないのに」
「同じクラファンでも、
協力するのはひとつのこども園だけでいいの?」
「もっと広い意味で、能登を応援できる協力先はないの?」
正直、こんな思いが浮かんだのだ。
もう一人の私が言うことも、
一理ある気がしてしまい考え込む。
でもなぁ。
記事を読んでいたら、
この園の子どもたちを想像してしまったんだよなぁ。
子どもたちを守る大人たちのことも。
会ったことはないけどさぁ。
被害の様子だって、まだちゃんとは理解できてないと思うんだけどさぁ。
だけどもうすでに「わたくしごと」のようになっちゃった。
この、能登の、とあるこども園のことが。
でも。
迷いが消せない。
どうしようか。
その段階で、小学4年生の長男に相談してみた。
能登の記事を見せて、クラファンのことを話す。
私の、ゆらいだ気持ちも正直に伝えてみた。
息子は小さな声で、うんうん、とか、えっ、とか言いながら聞く。
それから言った。
「募金、僕も参加する。応援する。やろう」
早い!
迷ってない!
…そうだね、やろう。
息子は自分のおこづかいからもお金を出すと言う。
私の行動を促すだけなのかなと思っていたから、驚く。
息子にひっぱられるようにして、
初めてクラファンの入力フォームへと進んだ。
私を動かしてくれたのは、息子の言葉。
それとクラファンのページに書かれたメッセージ。
6倍!
そんなにかぁ。
子どもにとってはひとつの出来事が6倍に、
という意味にも感じられた。
私にできるのは、小さな協力だけど、
もしそれが6倍の意味を持ってくれるなら。
そんな感覚になって、少し気持ちが強くなった。
このこども園だけに協力して、いいんだろうか。
正直なところ、
少しそんな風に思ってしまったけれど。
では、
他のどんな人たちへ、
いつ、
どんな行動を起こせる?
例えばこども園よりもっと、
たくさんの人の役に立てる方法を…と思ってみても
それが何なのか、今はまだわからない。
わからないことを理由にして
何もしないままでいいの?
少しでも何かしたいと思ったなら。
たぶん、行動を起こしたほうが、いい。
せめて、自分の元に届いた誰かの声には、
「届いたよ!」と返事をしたい。
勢いで、
感情で、
動いた先に、
意味が生まれることはあるはず。
世の中にたくさんあるであろう、
クラファンや募金を求める声。
私の元に届いたのは、
たまたま、このこども園で過ごす人たちのストーリーだった。
コレカラの記事やクラファンページのメッセージによって。
コレカラの記事が、
「この場所の、この人たちへ」と焦点を一か所にしぼってくれた。
ひとつの出来事にフォーカスしてくれた。
そのおかげ。
ある、こども園の出来事が「わたくしごと」になった。
いつか、また・・・と流してしまわずに
応援を行動に移すことができた。
*
能登の記事を読むようになってから、
そして、宮崎での地震があったことも起因してか、
最近久しぶりによく聴いて歌うようになった曲がある。
BankBandの「to U」
安らげず眠れないでいる誰かを思うと、
何をどう届けたらいいのか
答えがわからず、口をつぐんでしまいそうになる。
だけど、私は記事の、息子の、『言葉』によって、
行動する勇気を持たせてもらった。
そして、クラファンへの寄付金も
ライターとして微力ながらも言葉を紡いで、
いただいたもの。
言葉など虚しい。
だけど虚しいままにしたくないな、と思いながら聴く。
繋げてもらって私のところまで届いた、
能登の地元の人の想い。
私たち親子だけでできることは小さい。
けれど、
想いを途切れさせないことだけでも、できたらと思う。
誰かが、想いを受け取って、
繋いでくれたら。
今を好きになれる時が、
どんな段階で、
どんな形で訪れるのかはわからない。
本当に人それぞれだと思う。
でも、例えば、「家を失った」という出来事は変えられなくても。
そこから「家を再建できた」という未来に、もしたどりつけなかったとしても。
一人の人が何かをきっかけに、
何かの拍子に、
「今を好きになれる」ことってあるんじゃないだろうか。
人によっては、
時間をかけて。
何かを手に入れて。
もしくは何かを手放して。
そんな「今」を迎えに行くために
クラファンでも、募金でも、
ボランティアでも、祈ることでも、
一人でも家族でも大勢でも、
何かやってみたい。
記事の言葉の力で。
息子の言葉の力で。
私の中の、小さな迷いは、
少しだけねじれを伸ばしてもらった。
迷って、やってみて
そのあと自分の気持ちがどうなるのか。
私はまだ心の観察の途中です。
災害のこともよく知って学ぶのはこれから。
でも、自分の耳元に届いた声を、
流さずに、無視せずにいられた。
通りすぎず、
「どうしたんですか?」
「大丈夫ですか?」
と声をかけてみた感覚。
そのことが、
少し背すじを伸ばしてくれている。
息子に、
どうして寄付しようと思ったと?と聞くと
答えが返ってきた。
「え、だって困っとうっちゃろ?」
能登か、能登の未来か、こども園のこどもたちの元へか。
私たち親子の声も届くことはあるだろうか。
今回の私たちの小さな心の動きが、
姿を変えて誰かへと繋がってくれたらいいなとねがう。
クラファン自体は終了しています(2024/08/26現在)
(最近Salyuへの熱量が高まっていて、よく聴いてます)