フリーレンメソッドは、あらゆる努力に通用する

 以前こんな記事を書いたが、メソッドシリーズ。

『葬送のフリーレン』、なんかヒット作漫画で有名(重複表現)らしいがこれまで特に触れずにいたのだが、最近満を持してアニメ化されたので見ている。で、そこで感じたのが主人公であるフリーレンのこの設定(wikipediaより)、

見た目は少女だが長命なエルフ族の生まれで、既に1000年以上の歳月を生き続けている。人間とは時間の感覚が大きく異なるため、数ヵ月や時には数年単位の作業を全く苦に思わず

 この姿勢、ボイトレに限らず年単位で努力がいるあらゆるスキルに対して最強ではないか、という気付きがあった。
 人間の寿命は短い。70から80年程度、「健康寿命」なら60年くらいか。そして、芸事で「世に出る」ための実力・実績はルッキズムもあって10代から20代前半でほぼすべて決まってしまう。男性なら20代後半まで猶予があるとしても、せいぜいその程度だ。さらに恐ろしいことに、これは一般人の就職においても当てはまってしまう。学歴社会というのは実質的に18歳時点での学力がすべてで、就活ではその「新卒チケット」が重要。その後の転職で、畑違い・業務未経験の世界に行こうと思った場合も、30代前半がギリギリなのだ。

 私が働くIT業界は比較的「資格」、そのための勉強・努力が評価されやすい世界ではある。ただ、それよりも「業務・実務経験」が重視される。それがあった上で資格も持っていれば「まあ、間違いないよね」という評価にはなる程度。そこにもエイジズムがあって、若手なら資格だけでもいいね! となるが中年なら門前払いされる。そういう厳しい実績社会なのだ。

 なので、プロになるとか有名になりたいという目的での「努力」は、正直あらゆる世界で容姿含めた才能が全てと言っていい。これは私が自分自身中年に差し掛かったこともあって強く思うことである。
 ただし、趣味の世界は別である。歌が上手くなりたいとか、ピアノやギターが弾きたいとかを趣味でやるのであれば、時間は無尽蔵にあるし実力だけが全てである。決して第一人者にはなれないが、そこら辺の人間なら十分出し抜ける。競争ではなく比較対象は過去の自分だけでいい、という考えなら努力の積み上げには絶対に効果がある。

 なにしろ、私自身がフリーレンメソッドを実践してきたのだ。20代半ばでボイトレを真面目にやり出し、最初から才能のなさは自覚していたので「30歳までに人並みかそれよりちょい上手い程度に歌えるようになればいい」という構想だった。結果的にその目標は30代半ばまでかかったし、その後も課題はいろいろとあるが、10年単位で努力できる才能というのは人間では貴重だ。これこそがフリーレンメソッドなのである。

 今回は具体的なボイトレの話は一切していないが、こういう戦略的な話も重要だし、これはボイトレだけに限った話ではない。前々から「気楽・気長に行こう」という主張はしてきたが、それをさらに発展させ「時間はいくらでもある」「他人と競争しない」という鷹揚な姿勢こそが、最終的に勝利を掴む鍵なのだ。異論は認めない。この世界にエルフ族がいれば歌手はきっと実年齢1000年以上ばかりで、このメソッドの正しさは簡単に証明されるのだから。