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「不思議な国のアリス」の原書を読むChapter1:Down the Rabbit-Hole ①

「不思議な国のアリス」は子どもの時に読んで、とても注釈が多い本だなと思った。また、注釈には英語の韻や英語でないと面白いさがわからない表現の説明が沢山あって、これは訳より原書で読んだほうが楽しい本だと感じていた。

学生時代に原書を買ったが、途中で読まなくなってしまった。数年前に、アリスの話はあの世とこの世の話らしい?!と聞き、その視点で読んでみようとまた買ったがページが止まってしまった。

最近参加しているオンライン読書サークルで読書会で盛り上がっていて、今後は語学系も充実させていけたらという話が出ていて、ずっと積読だったこの本をこの機会に読んでみようと思った。「不思議な国のアリス」の原書を読む部屋を作り、読んで気がついたことを書き込んだり、定例読書報告会でもそのことについて何度か話したり、オンライン読書会を開催し輪読しながらそれぞれの解釈を話している。

絵と会話がない本

アリスはお姉さんが読んでいる本を、
No picture or conversation is it
Without pictures or conversation
と2回、絵と会話がないと繰り返し言っている。訳では大抵1回だ。それ程幼いアリスにとっての本とは絵と会話中心のものなのだろう。

私が読んでいるこの本は表紙と裏表紙にこのnoteのタイトル画の絵があり、文中には全く絵がない。またアリスの独り言、動物たちとの訳のわからない意味の成り立たないやりとり、会話?対話?ではないものもある。私は本を通して自分自身と沢山会話をした。1チャプター、たったの4Pなのに長時間の対話でなかなか次に進まないのだ。話としてはスラスラ読めるとしても、話から見える気づいたこととの自身との深掘り対話は凝り出したら止まらない。自分だけでは収まらず、読書会で他のと人話たり、今こう書いている。

即興で語られた話

「不思議な国のアリス」は作者ルイス・キャロルが隣人家族の三姉妹のアリスに「何かお話しして。」とせがまれ即興で作って話し聞かせたものが始まりだ。口頭で聞かせる前提なのである。書かれたものを読んでいる私達はそのこと頭に入れて読まないと、疑問に思う表現が色々出てくる。または全く気がつかないまま読んでしまったりするだろう。私達は既にアリスの大体の話を知っていて、そのイメージ、色々な偏見や概念が邪魔をするのだ。

ウサギが初めて登場する時の説明が、“When suddenly a White Rabit with pink eyes ran closed by her.” 突然ピンクの目をした白ウサギが彼女の近くを走った。この一文だけ聞けば、特に驚くことではない。本文にもそのまま書いてある。口頭説明だけなので、ウサギについては白ウサギなのとピンクの目だけの情報で、まだ何を言っているか、着ているか、しているかなどの情報は出てきていない。にも関わらず、私は何でアリスは驚かないのだ?と思ってしまった。私はウサギが話していて、服を着ていて、時計を取り出すいうことを既に知っていて、絵やアニメで見たようにウサギの姿が見えた瞬間にそれらの情報全てが認知されているものだと思い込んでいた。訳文でも一文でそれを全部説明している本もあるのだ。なので、何故アリスがすぐに驚かなかったのか疑問だった。

実在モデル少女アリスやこの話を口頭で初めて聞いた人は、まだピンクの目をした白ウサギしか思い浮かばず、文字通り驚かないだろう。次の情報が出てきてから、やっと驚くのだ。またアリスの話を知っていても、偏見に捉われずそのまま素直に読める人は、順次語られる情報で徐々に説明されて驚くのだと直ぐに理解するのだろう。

先入観と想像

物語本に絵があると楽しいが、読む前に先入観が出来てしまう。そしてそれらが色々なものを見えなくさせる。即興聞かせ話は、聞いた各自がそれぞれのイメージを浮かべて楽しむものだ。絵のない本もしかり。

私の本は絵がないので、想像させる表現から色々なイメージを多数浮かべた。こうなのだろうなとその絵、図も描いたりした。不思議の国なので、地球の物理法則ではありえないことが起こっていて、後から他の本のその部分の絵を見たり、読者会メンバーのイメージを聞いて「え?そんな風に想像していたのか?!捉えていたのか?!」とそれぞれの解釈の違いも比べるのがとても楽しかった。

アリスは絵のない本なんてと思っているが、ないからこそ想像の楽しみがある。ましてや不思議な国の話なのだから。ありえないことを想像するのだから、この本は絵がないほうが色々楽しめると思った。あったらフィルターがかかって全体が見えなく、物語を狭めてしまう。全部読んだつもりでも、ある部分目隠しになってしまう。

現実の世界でもそうだ。こういうものだという先入観フィルターでありのまま見られない、捉えられない、狭められた世界を見ている。アリスを読んでいて、ウサギの件ははっきり簡潔にそこに書いてあって、自分で音読していても先入観の世界にしばらく全く気がつかなかったのがとてもショックだった。

現実でもそんなことだらけなのだろう。アリスを読み、色々なことに気がつきながら、現実でももっとそのまま捉えられたら、先入観に気づけと強く思うのだった。


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