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善意の仮面と頭は空洞

私は此処に居るようで、此処に居ない。

私は此処に居ないようで、此処に居る。

毎秒、変化がある。

似たような瞬間やデジャヴュー(既視感)はあれど

私も友達も細胞構造はコンマ1秒で変化しているのは事実。

全く同じ瞬間など存在しないと理解せよ。

全く状態が変わらないことなど願うな。あり得ないから。

状態が変わらないことは願う。

しかし、細微な変化は頻繁に起こるものと心得る。

細微な変化の蓄積が大きな変化になる。

細微な変化から目を背けるものは

大きな変化にもついていけない。

大きな変化についていけないものは

社会から淘汰される道筋を辿ることになる。

常、細微な変化に気を巡らせ、キャッチし、

柔軟な変容を繰り返しつつ、向学するものからすれば

社会から淘汰され(る)た人々に対しては

「滑稽で愉快だ」

と考えることも自然、当然。

最も、冷淡な本心は、表すと

社会的信頼・信用を損ねることなど理解に容易いため

冷淡な本心は匿うに限る。

「無知な善人」を装い、

「意識高い系の勘違い大馬鹿野郎」としての印象が浸透することを

徹底的に「回避、回避」する。

完全性に固執すると、コミュニケーションのコストパフォーマンスが

悪くなる。

「賢人」が「無知な善人」を装い、

「他者と真っ向から対立することを避ける」

のは、実に長期戦略的な判断だ。

一々、微小なことで真っ向から論争するほど

我々、人間の体力も気力も時間は残されていないわけだ。

淘汰されるに限る、存在が存在していようと

一々、それが実現するために、体力、気力、時間を使用するなど

愚の骨頂。

馬鹿と阿呆は、本気で相手をしないに限る。

楽しくて得られるものが多いクリエイターになります⭐️⭐️🗼🔮🌈